司令部を砲撃せよ
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「司令部を砲撃せよ」(しれいぶをほうげきせよ、簡体字中国語: 炮打司令部)は、1966年8月5日に毛沢東が『人民日報』に掲載、発表した評論[1]。副題は「私の大字報」(簡体字中国語: 我的一张大字报)。
概要
[編集]「司令部を砲撃せよ」の事実上の内容は、当時国家主席を務めていた劉少奇を打倒せよというもので[2][3]、発表から2日後には、折から開催中だった8期11中全会の出席者に配布された。同年5月16日に中国共産党中央政治局拡大会議で採択された「五・一六通知」によって始まっていた文化大革命は[4]、「司令部を砲撃せよ」発表3日後の8月8日に8期11中全会が「プロレタリア文化大革命についての決定」を採択したことで[5]、本格化していった。
毛沢東が「司令部を砲撃せよ」と揮毫したポスターも作成掲示され、自らが築いた組織である中国共産党への攻撃を呼びかけていた[4]。このようなことは、ヨシフ・スターリンもポル・ポトもしていない、と歴史家のフランク・ディケーターは2016年にCNNに対して述べている[4]。
脚注
[編集]- ^ “共同富裕に舵を切った中国-文化大革命に逆戻りし経済発展が止まるのか?”. ニッセイ基礎研究所. 2023年10月5日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年2月5日). “【藤本欣也の中国探訪】劉少奇没後50年(上) 一葉の写真が語る名誉回復の虚実(2/4ページ)”. 産経新聞 2023年10月5日閲覧。
- ^ “【今日は何の日?】1966年:毛沢東、「司令部を砲撃せよ」”. サーチナ. (2006年8月5日)
- ^ a b c “文化大革命から50年 中国を永遠に変えた革命の功罪”. CNN. (2016年5月22日) 2023年10月5日閲覧。
- ^ 中津俊樹「研究ノート 中国文化大革命期における紅衛兵の「極左思潮」について -- 革命委員会の成立を巡る動きを中心に」(PDF)『アジア経済』第46巻第9号、日本貿易振興機構アジア経済研究所、2005年9月、28-41頁。