吉川庄一
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吉川庄一(よしかわ しょういち、1935年4月9日-2010年11月5日[1])は、日本の原子力工学者。
略歴
[編集]東京都出身。1958年、東京大学理学部を卒業。プリンストン大学大学院に学び、1961年博士号を取得、プリンストン大プラズマ物理研究所主任研究員となる。1973年帰国して東大の教授となる。1976年プリンストン大に戻り教授。大河千弘とともに核融合実験装置の研究開発を進める。1974年の「核融合への挑戦」で毎日出版文化賞受賞[2]。元妻は画家・評論家の吉川裕子。裕子との二女・マコ・ヨシカワ(en:Mako Yoshikawa)は小説家。
著書
[編集]- 『核融合への挑戦 無限のエネルギーを求めて』講談社<ブルーバックス>、1974年
- 『エネルギーへの挑戦 日本への手紙 日米文化を比較する』サンケイ出版 1981年
- 『理工系のための数学入門 1 (線形代数・微積分)』講談社、1993年
- 『理工系のための数学入門 2 (常微分方程式・偏微分方程式)』講談社、1994年
共著
[編集]- 『核融合入門 高温プラズマの閉じ込め』(飯吉厚夫との共著) 共立出版、1972年
- 『大学院原子核物理』(玉垣良三・大塚孝治・森田正人・谷畑勇夫との共著、中村誠太郎監修)講談社、1996年
- 『新・核融合への挑戦 いよいよ核融合実験炉へ』(狐崎晶雄との共著)講談社<ブルーバックス>、2003年
論文
[編集]妻・吉川裕子について
[編集]吉川裕子(よしかわひろこ)は、1936年名古屋市に井上五郎の娘として生まれる。父方祖父は井上角五郎、母方祖父は男爵木越安綱。東京女子大学英米文学科を卒業。1960年渡米、吉川庄一と結婚(三女を儲けたが1983年離婚)[3]。ハーバード大学大学院に学ぶ。水彩画を描き、たびたび個展を開く[4]。プリンストン日本語学校校長、ニューヨーク読売スペシャル・コレスポンドを歴任。1985年に米国GAF社副会長のジェームズ・T・シャーウィンと再婚同士で結婚、シャーウィン裕子となり、著書多数[5]。1991年よりスイス在住、1999年より英国ウィンズレイに暮らす[6]。
著書
[編集]- 単著
- 翻訳
脚注
[編集]- ^ 追悼・吉川庄一先生
- ^ 日本人名大辞典
- ^ Sherwin, Hiroko 1936encyclopedia.com
- ^ 『孤独なアメリカ人』著者紹介
- ^ JAMES SHERWIN IS WED TO HIROKO YOSHIKAWAThe New York Times, June 16, 1985
- ^ 戦争を悼む人びと著者紹介