吉田郡
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人口18,307人、面積94.43km²、人口密度194人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 永平寺町(えいへいじちょう)
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 福井市の一部(概ね福井市街の北半および九頭竜川・日野川以東かつ丸山町、北今泉町、河増町、印田町、曽万布町、荒木別所町、殿下町、河水町、大畑町、岡西谷町、次郎丸町、宮地町、花野谷町より北東)
- 坂井市の一部(春江町江留下各町)
- 永平寺町の大部分(鳴鹿山鹿を除く)
歴史
[編集]近世以降の沿革
[編集]- 「旧高旧領取調帳」では明治初年時点で、全域が福井藩領とされているが、国立公文書館所蔵「府藩県高帳」などによると廃藩置県時に1村が丸岡藩領, 1村が本保県管轄となっている[1]「旧高旧領取調帳」に記載されている村は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。(1町134村)
- 寺前村、新保村、大和田村、北野上村、北野下村[2]、高柳村、経田村、重藤村、町屋村、大願寺村、幾久村、高木村、舟橋村、稲多村、八重巻村、古市村、下森田村、天池村、河合新保村、石盛村、河合寄安村、上野村、上森田村、河合鷲塚村、中角村、勝見村、六日市村、山室村、高屋村、上伏村、里別所村、地蔵堂村、西堀村、三屋村、土橋村、郡村、灯明寺村、舟橋新村、堀宮村、牧野島村、三郎丸村、東今泉村、北今泉村、下中村、上中村、重立村、間山村、原目村、岩野村、京善村、野中村、寺本村、●市野々村[3]、印内村、島村、猪谷村、宮重村、西野中村[4]、小畑村、堅達村、宮地村、大畑村、次郎丸村、西谷村、河水村、奥花谷村、寮村、印田村、上北野村、下北野村、志比堺村、松岡町[5]、中ノ郷村、泉田村、藤島村、林村、玄正島村、吉野境村、法寺岡村、諏訪間村、山村、東古市村、高橋村、谷口村、花谷村、轟村、飯島村、北島村、牧福島村、市右衛門島村、大野島村、清水村、中島村、浅見村、栗住波村、石上村、大月村、竹原村、市荒川村、吉峯村、栃原村、吉波村、上浄法寺村、下浄法寺村、上合月村、下合月村、末政村、兼定島村、渡り村、定正村、坂下村、新田三ヶ村、下吉野村、江留下村、二日市村、海老助村、黒丸村、河増村、上里村、栗森村、八島村、福万村、漆原村、安竹村、丸山村、開発村、殿下村、網戸瀬村、曽万布村、光明寺村、山王村、藤巻村、領家村(旧高旧領取調帳では福井藩領となっているが、幕末に旗本の本多大膳領(初代丸岡藩主本多成重の二男本多重看の系譜)、明治維新での旗本領廃止により福井藩御預所、明治3年12月22日(1871年2月11日)以降本保県管轄とする資料あり[1])、樋爪村(旧高旧領取調帳では福井藩領となっているが、廃藩置県時に丸岡藩領とする資料あり[1])、堂島村
- 明治4年
- 明治初年(1町137村)
- 河合新保村の一部地域が分離独立して南河合新保村となる。
- 市野々村の一部地域が分離独立して荒谷村・門前村となる。門前村は志比村に改称する。
- 奥花谷村が改称して花野谷村となる。
- 印内村が改称して上吉野村となる。
- 渡り村が改称して渡新田村となる。
- 明治6年(1873年)1月14日 - 敦賀県の管轄となる。
- 明治8年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により石川県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての吉田郡が発足。「足羽吉田郡役所」が足羽郡福井佐佳枝上町に設置され、同郡とともに管轄。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 福井県(第2次)の管轄となる。
- 明治17年(1883年) - 江留下村の所属郡が坂井郡に変更される。(1町136村)
町村制以降の沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足する。(15村で構成された)
- 西藤島村 ← 牧野島村、重藤村、福万村、上里村、八島村、堀宮村、三郎丸村、西堀村、三屋村、地蔵堂村、里別所村、海老助村、上伏村、安竹村、土橋村、黒丸村、郡村、足羽郡田原下村、深谷村(現・福井市)
- 河合村 ← 中角村、網戸瀬村、勝見村、六日市村、高屋村、二日市村、山室村、河合鷲塚村(現・福井市)
- 森田村 ← 天池村、八重巻村、稲多村、古市村、下森田村、上森田村、石盛村、定正村、上野村、栗森村、河合寄安村、漆原村、河合新保村(現・福井市)
- 中藤島村 ← 灯明寺村、舟橋新村、舟橋村、高木村、寺前村、高柳村、南河合新保村、新田三ヶ村(現・福井市)
- 円山西村 ← 経田村、幾久村、町屋村、大願寺村、開発村、新保村、丸山村、足羽郡松本地方(現・福井市)
- 円山東村 ← 河増村、東今泉村、北今泉村、下中村、足羽郡下四ツ居村、米松村、北四ツ居村、四ツ居渡村(現・福井市)
- 岡保村 ← 堅達村、坂下村、寮村、殿下村、印田村、曽万布村、河水村、西谷村、大畑村、次郎丸村、宮地村、花野谷村、足羽郡合島村、荒木別所村、荒木村(現・福井市)
- 東藤島村 ← 原目村、上中村、間山村、重立村、玄正島村、島橋村[6]、中ノ郷村、泉田村、北野上村、北野下村、大和田村、堂島村、藤島村、林村(現・福井市)
- 松岡村(松岡町が単独村制。現・永平寺町)
- 吉野村 ← 上吉野村、猪谷村、島村、宮重村、西野中村、小畑村、下吉野村、吉野堺村(現・永平寺町)
- 五領ヶ島村 ← 渡新田村、末政村、下合月村、上合月村、兼定島村、領家村、樋爪村(現・永平寺町)
- 志比谷村 ← 山村、諏訪間村、寺本村、京善村、市野々村、荒谷村、志比村(現・永平寺町)
- 浄法寺村 ← 下浄法寺村、上浄法寺村、岩野村、吉波村、栃原村(現・永平寺町)
- 上志比村 ← 北島村、野中村、浅見村、牧福島村、市右衛門島村、山王村、大月村、栗住波村、清水村、大野島村、中島村、石上村、竹原村、藤巻村、市荒川村、吉峯村(現・永平寺町)
- 下志比村 ← 志比堺村、法寺岡村、東古市村、高橋村、谷口村、花谷村、光明寺村、飯島村、轟村(現・永平寺町)
- 下北野村・上北野村が足羽郡和田村の一部となる。
- 明治24年(1891年)
- 明治27年(1894年)4月23日 - 郡役所が円山西村松本地方に設置される。
- 明治39年(1906年) - 岡保村の一部地域(増谷)が足羽郡酒生村に編入される。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止される。郡役所は存続された。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止される。以降は地域区分名称となる。
- 昭和5年(1930年)2月11日 - 松岡村が町制施行して松岡町となる。(1町14村)
- 昭和10年(1935年)4月3日 - 森田村が町制施行して森田町となる。(2町13村)
- 昭和16年(1941年)4月1日 - 円山東村が福井市に編入。(2町12村)
- 昭和17年(1942年)5月5日 - 円山西村が福井市に編入。(2町11村)
- 昭和23年(1948年)6月1日 - 西藤島村の一部(田原下・牧の島)が福井市に編入。
- 昭和26年(1951年)3月30日 - 西藤島村が福井市に編入。(2町10村)
- 昭和29年(1954年)3月31日 - 志比谷村・下志比村・浄法寺村が合併して志比村が発足。(2町8村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 東藤島村・岡保村が合併して藤岡村が発足。(2町4村)
- 昭和32年(1957年)5月1日 - 河合村が福井市に編入。(2町3村)
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 志比村が坂井郡丸岡町の一部(鳴鹿山鹿の大部分)を編入。
- 昭和36年(1961年)10月1日 - 藤岡村が福井市に編入。(2町2村)
- 昭和37年(1962年)9月1日 - 志比村が町制施行・改称して永平寺町となる。(3町1村)
- 昭和42年(1967年)7月30日 - 森田町が福井市に編入。(2町1村)
- 平成18年(2006年)2月13日 - 松岡町・永平寺町・上志比村が新設合併し、新たな永平寺町が発足[7]。(1町)
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
松岡村 | 昭和5年2月11日 町制 |
松岡町 | 昭和30年3月31日 松岡町 |
平成18年2月13日 永平寺町 |
永平寺町 | ||
吉野村 | 吉野村 | 吉野村 | |||||
五領ヶ島村 | 五領ヶ島村 | 五領ヶ島村 | |||||
志比谷村 | 志比谷村 | 昭和29年3月31日 志比村 |
昭和37年9月1日 改称町制 永平寺町 | ||||
下志比村 | 下志比村 | ||||||
浄法寺村 | 浄法寺村 | ||||||
上志比村 | 上志比村 | 上志比村 | 上志比村 | ||||
円山東村 | 昭和16年4月1日 福井市に編入 |
福井市 | 福井市 | 福井市 | 福井市 | 福井市 | |
円山西村 | 昭和17年5月5日 福井市に編入 | ||||||
西藤島村 | 西藤島村 | 昭和26年3月30日 福井市に編入 | |||||
中藤島村 | 中藤島村 | 中藤島村 | 昭和30年3月19日 福井市に編入 | ||||
河合村 | 河合村 | 河合村 | 昭和32年5月1日 福井市に編入 | ||||
東藤島村 | 東藤島村 | 東藤島村 | 昭和31年9月30日 藤岡村 |
昭和36年10月1日 福井市に編入 | |||
岡保村 | 岡保村 | 岡保村 | |||||
森田村 | 昭和10年4月3日 町制 |
森田町 | 森田町 | 昭和42年7月30日 福井市に編入 |
行政
[編集]- 石川県足羽・吉田郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)12月17日 | |||
明治14年(1881年)2月6日 | 福井県に移管 |
- 福井県足羽・吉田郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治14年(1881年)2月7日 | |||
明治24年(1891年)3月31日 | 廃官 |
- 福井県吉田郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治24年(1891年)4月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
[編集]- ^ a b c d 以下参照:
- 国立公文書館所蔵, 『府藩県高帳 中』 (1870年).
- 福井県編, 「県の管轄廃合」『福井県史 第三冊第三編 県治時代』, 3-46 (1920年).
- 海道静香, 「越前国の村高と所領の変遷(一)」, 若越郷土研究, 41 (6) 89-97 (1996年).
- ^ 「旧高旧領取調帳」には記載なし。
- ^ 記載は市野々荒谷村。
- ^ 記載は野中村。
- ^ 室村・椚村・窪村に分かれて記載。町方(松岡台町・松岡本町・松岡観音町・松岡松原町・松岡極印町・松岡毘沙門町)は無高のため記載なし。明治7年に室村・松岡観音町・松岡松原町が江上町、椚村・窪村が芝原町、松岡台町・松岡毘沙門町が神明町、松岡本町・松岡極印町が本極町に再編されるが、明治13年ごろに元の6町3村が復活した。
- ^ 近世から独立村だったが、玄正島村のうちとして扱われた。本項では村数に数えない。
- ^ 合併協定項目. 吉田郡三町村合併協議会
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 18 福井県、角川書店、1989年11月1日。ISBN 4040011805。
- 旧高旧領取調帳データベース