呂 (春秋)
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国姓 | 姜姓呂氏 |
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爵位 | 侯[1] |
国都 | 河南省南陽市臥竜区 |
分封者 | 帝堯 |
始祖 | 伯夷 |
滅亡原因 | 楚により滅亡 |
史書の記載 |
『史記』周本紀 『春秋左氏伝』成公七年 |
周朝諸侯国一覧 |
呂(りょ)は、伯夷が受封された国。周朝の諸侯国で春秋時代に楚によって滅ぼされ、楚の北境の重鎮となった。国都は現在の河南省南陽市臥竜区王村郷一帯。
歴史
[編集]『国語』周語中では斉・許・申の四国が同源で、皆姜姓であることが記されている。
『尚書』呂刑には穆王が呂侯命令したとある。当時は呂侯または甫侯と呼ばれていた[2]。
しかし春秋時代、呂は楚によって滅ぼされた。具体的な滅亡年は不明。
呂入楚多年後,『左伝』成公七年追溯紀元前594年的史実,当時楚荘王同意以申和呂両地部分土地作為子重的賞田。而当時楚国申県長官巫臣勧諫,説申和呂是楚国北方辺境重要的軍事重地和兵源地,如果以申呂為賞田而不是楚王直轄,那就喪失該両地的軍事功能,晋和鄭就必然突破辺境而攻撃到楚国的腹地漢江流域。