番 (春秋)
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不詳 - 紀元前504年 | |
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国姓 | 己姓 |
爵位 | 伯 |
国都 | 番(河南省信陽市固始県) |
分封者 | 不詳 |
始祖 | 不詳 |
最後の君主 | 潘子臣 |
滅亡原因 | 呉により滅亡 |
史書の記載 | 『春秋左氏伝』(始見は昭公十二年) |
周朝諸侯国一覧 |
番(ばん)は、周代の諸侯国。潘・鄱とも呼ばれる。爵位は伯爵。国君は己姓で遠古時代の祝融八姓の一つの昆吾の末裔。楚と国源が同じである。
西周及び其の以前の番は現在の河南省焦作市温県付近に存在した。西周末年に淮河の上流(現在の河南省信陽市一帯)に南遷した。春秋早期以後は固始・淮浜地区に東遷した。西周中晩期、番の貴族は周王室の要職に付き、『詩・小雅・十月之什』には「番維司徒」とある。「番氏嫁女于周」、周王室の縁戚となった。春秋中期に楚の附庸国となり、呉によって併呑された。『春秋左氏伝』定公六年には「呉太子終纍敗楚舟師,獲潘子臣、小惟子及大夫七人」と、『史記』楚世家には「呉復伐楊,取番。夫差曾在番国旧地与楚国征戦,史曰守番」とある。
国姓は己姓で昆吾の末裔。楚の君王とは同源。番は楚の附庸国になると、公族は楚に仕えた。楚の穆王の太師の潘崇や荘王の太師の潘尫が著名である。
歴代君主
[編集]- 番伯官曾(番伯官曾𦉢[注 1]、西周晩期)
- 番伯者孫(番伯者孫鬲、西周晩期)
- 番君𨠣[注 2]伯(番君𨠣伯鬲、西周末東周初)
- 番君□[注 3](番君□[注 3]匜、春秋早期)
- 番君酓(番君酓匜、春秋早期前段)
- 番君者君(番君者君鼎、春秋早期後段)
- 番君伯攏(番君伯攏盤、春秋早至中期)
- 番君召(番君召簠、春秋早至中期)
- 鄱子成周(潘子成周編鐘)
- 潘子(『春秋左氏伝』昭公十二年、紀元前530年)
- 潘子臣(『春秋左氏伝』定公六年、紀元前504年)
遺跡
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]引用
[編集]参考資料
[編集]- 楊伯峻《春秋左伝注》ISBN 7101002625
- 田成方《東周時期楚国宗族研究》武漢大学、2011年