和田 (栄町)
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和田 | |
---|---|
北緯35度50分42.8秒 東経140度13分56.4秒 / 北緯35.845222度 東経140.232333度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 印旛郡 |
市町村 | 栄町 |
標高 | 5 m |
人口 | |
• 合計 | 258人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1521[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は栄町和田集会所付近 |
和田(わだ)は、千葉県印旛郡栄町の大字。郵便番号270-1521[2]。
地理
[編集]北は茨城県河内町大徳鍋子新田、北東は茨城県河内町小林町歩、東は安食、南東は安食卜杭新田、南は印西市安食卜杭、南西は布鎌酒直、西は南、布鎌酒直、生板鍋子新田、北西は茨城県河内町龍ケ崎町歩に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 下沖耕地(しもおきこうち)
- 下耕地(しもこうち)
- 外裏耕地(そとうらこうち)
- 外下中耕地(そとしたなかこうち)
- 外下耕地(そとしもこうち)
- 外前耕地(そとまえこうち)
- 外上耕地(そとかみこうち)
- 内上耕地(うちかみこうち)
- 上耕地(かみこうち)
- 上沖耕地(かみおきこうち)
- 圦場入会地(いりばいりあいち)
- 下仲耕地(しもなかこうち)
- 下加輪(しもかわ)
- 上加輪(かみかわ)
- 外加輪耕地(そとかわこうち)
- 中耕地(なかこうち)
- 反高(だんだか)
歴史
[編集]江戸期は下和田新田であり、下総国印旛郡のうち。江戸初期大瀬野村に属し、延宝元年から布鎌新田の1つ、布鎌を冠称。もと草刈場大瀬野を寛永頃埴生郡安食村が新田開発、明暦3年大瀬野村200石余に含まれる。はじめ旗本本多氏領、寛文2年から幕府領、天保10年から浜松藩領、弘化3年一時幕府領となるが、以後再び浜松藩領。村高は、延宝元年拾九ヶ村村名寄帳・「元禄郷帳」ともに79石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに87石余。また、延宝元年の反別15町5反余、皆畑(印旛郡誌)。明治6年千葉県に所属。神社は天神社など。明治22年布鎌村の大字となる[5]
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し、布鎌酒直新田、布鎌下和田新田、布鎌四ッ谷新田、布鎌脇川新田、布鎌請方新田、布鎌長門谷新田、安食卜杭新田飛地、布鎌大森新田、布鎌押砂新田、布鎌上曽根新田、布鎌中谷新田、北布鎌村、布鎌四箇村新田、三和村、布鎌太郎右衛門新田、布鎌南新田、布鎌西新田が合併し布鎌村が発足。布鎌村大字下和田新田となる。
- 1910年(明治43年) - 下和田新田が改称し、布鎌村大字和田となる[5][6]。
- 1955年(昭和30年)12月1日 - 布鎌村、安食町が合併し栄町が発足。栄町和田になる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
和田 | 109世帯 | 258人 |
小・中学校の学区
[編集]町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。[7]
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 栄町立布鎌小学校 | 栄町立栄中学校 |
施設
[編集]- 栄町和田集会所
- 印旛排水機場
- JA西印旛東部
- JA西印旛米穀低温倉庫
- 出津河川防災広報センター
- 天満宮
- 長門川公園
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “統計資料<ひと>”. 滑川町. 2017年11月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月16日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月20日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1450頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 455頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 905頁
- ^ 栄町教育委員会 通学区域、2013-11-26閲覧
関連項目
[編集]茨城県河内町龍ケ崎町歩 | 茨城県河内町大徳鍋子新田 | 茨城県河内町小林町歩 | ||
生板鍋子新田、 南 |
安食 | |||
和田 | ||||
布鎌酒直 | 印西市安食卜杭 | 安食卜杭新田 |