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国策研究会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公益財団法人国策研究会
創立者 大蔵公望小野塚喜平次美濃部達吉矢次一夫[1]
団体種類 公益財団法人
設立 1933年[1]
所在地 日本の旗 日本東京都中央区
日本橋1-17-4 永田ビル5階
北緯35度40分59秒 東経139度46分38秒 / 北緯35.68306度 東経139.77722度 / 35.68306; 139.77722座標: 北緯35度40分59秒 東経139度46分38秒 / 北緯35.68306度 東経139.77722度 / 35.68306; 139.77722
法人番号 7010005004600 ウィキデータを編集
主要人物 会長森章[2]
副会長大橋寬治[2]
理事長新井弘一[2]
副理事長竹内透[2]
事務局長吉田弘[2]
ウェブサイト 公式ウェブサイト
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公益財団法人国策研究会(こくさくけんきゅうかい、英語: Research Institute of National Policy)は、日本の民間研究団体。

1933年昭和8年)10月に国策研究同志会として発足し、1937年(昭和12年)に国策研究会と改称、1945年(昭和20年)3月に休会した。第二次世界大戦後は、主権回復後の1953年(昭和28年)6月に三菱・住友・三井など旧財閥系企業の支援で再発足し[3]1957年(昭和32年)に財団法人化、さらに2013年平成25年)に公益財団法人へ移行した[1]

これまでに、法眼晋作[4]山本卓眞[5]清水信次らが会長を務めた。

戦前・戦中の国策研究会

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前身となった国策研究同志会は、大蔵公望男爵貴族院議員)、小野塚喜平次東京帝国大学総長)、美濃部達吉(東京帝国大学教授)、矢次一夫労働事情調査所主幹)らが参加して1933年10月に結成された[1]1937年二・二六事件を契機に戦時体制への傾斜が進む中で、1938年に国策研究会と改称し、「実践的研究団体」として拡大改組され、以降、多数の調査研究報告書等を作成し「民間企画院」とも評された[1]。特に、第1次近衛内閣(1937-39年)から小磯内閣(1944-45年)に至る各内閣には、国策研究会の関係者多数が入閣をしていた[1]。また、電力管理法の成立過程(1937-38年)、国民健康保険法の成立過程(1937-38年)、総合国策10ヶ年計画の作成過程(1940年)において、重要な働きをしたことから、軍国主義的体制に貢献したともいえる。昭和研究会と対比的に国研を分析した伊藤智央によれば、こうした政治的関与の背景には、実用主義があったとされる[6]

1942年には、高橋亀吉が常任理事調査局長となり、大東亜共栄圏の具体的構想に取り組んだ[7]

戦後の国策研究会

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1952年サンフランシスコ講和条約の締結によって連合国による占領が終わりを告げ、主権が回復された後、矢次一夫は1953年6月に国策研究会を再発足させ、以降、政財界の要人の交流の場となった[8][9]

1957年第1次岸内閣の下で国策研究会は財団法人認可を受け[1]、主宰者として活動した矢次は、政界の舞台裏で、特に韓国台湾との水面下の外交交渉に影響力をもつようになり[10]、国策研究会も日華協力委員会の設立や、水面下の日韓国交回復交渉に関わった[1]

国策研究会は、早くから行政改革についての提案を行なったほか、佐藤内閣の下では核拡散防止条約日中国交正常化などに関わる政策提言を行なった[1]

2013年4月1日第2次安倍内閣の下で国策研究会は公益財団法人認可を受けた[1]

会報『新国策』

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戦前の国策研究会は、時期により題号の異なる複数の機関誌を発行していたが、その中には『新國策』と題する旬刊の機関誌も含まれていた[11][12]。 戦後、再発足した国策研究会は、『新政』と題する機関誌を当初は月刊で、その後一時期は旬刊で刊行していた[13]1956年8月以降は『新国策』と改題[14]、近年では月刊で発行している[15]

同名の組織

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「国策研究会」という名称は、「国策」についての研究会という意味で、公益財団法人国策研究会とは無関係に用いられることがある。

松下政経塾は研究活動のひとつとして、2010年野田佳彦を座長、小野寺五典を副座長とする「国策研究会」と称する研究会を組織し、森尾稔山形俊男湯原哲夫らを講師に招いて研究会を行った[16]

早稲田大学の学生サークルのひとつは、「早稲田大学国策研究会」と称している[17]

参考文献

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Tomohide Ito: Militarismus des Zivilen in Japan 1937–1940: Diskurse und ihre Auswirkungen auf politische Entscheidungsprozesse, (Reihe zur Geschichte Asiens; Bd. 19), München: Iudicium Verlag 2019。本書は、戦前の国策研究会を昭和研究会との比較しながら、その組織的発展(社会ネットワーク分析)、思想、政治活動を分析している。分析の始めにおいて、国研の前身団体である、国策同志会及び滝正雄の国策研究会も扱っている。国策研究会を長期にわたって包括的に分析した唯一の学術書。

出典・脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 沿革”. 公益財団法人国策研究会. 2013年10月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e 主要役員”. 公益財団法人国策研究会. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ ライフ・清水信次会長「政財界交友録」蓮舫氏の父、祖母との絆2017.1.23 週刊朝日
  4. ^ “サハリン州知事の思惑 北方領土・色丹島の土地貸与問題”. 朝日新聞・朝刊: p. 5. (1992年10月2日) 
  5. ^ 情報処理学会創立50周年記念(第72回)全国大会 イベント詳”. 情報処理学会. 2013年10月7日閲覧。
  6. ^ Tomohide Ito: Militarismus des Zivilen in Japan 1937–1940: Diskurse und ihre Auswirkungen auf politische Entscheidungsprozesse, (Reihe zur Geschichte Asiens; Bd. 19), München: Iudicium Verlag 2019”. 2019年11月21日閲覧。
  7. ^ 高橋亀吉の紹介:高橋亀吉の経歴”. 徳山大学総合研究所. 2013年10月7日閲覧。
  8. ^ “竹下氏、総裁選後の結束を強調”. 朝日新聞・夕刊: p. 1. (1987年9月21日). "自民党の竹下幹事長は21日、都内のホテルで行われた財界人らの集まり「国策研究会」の朝食会で講演し、..." 
  9. ^ 清水信次長、織田一「(証言そのとき)異能商人の戦後:2消費税、断った協力要請 清水信次さん ライフコーポレーション会長」『朝日新聞・朝刊』2012年6月26日、4面。「私は若いころから、政財界人がメンバーの政策研究グループ「国策研究会」の評議員などを通じて政治家と親しくなり、竹下さんとは何でも言える仲だった。」
  10. ^ “韓国への「謝罪」は葬られた 「伊藤博文の過ち」岸首相の伝言を追う”. 朝日新聞・朝刊: p. 6. (1995年6月22日) 
  11. ^ 戦時政治経済資料 第1巻 昭和15年1〜12月 国策研究会/編”. 国立国会図書館. 2013年10月7日閲覧。
  12. ^ 現在の国策研究会の公式サイトでは、『新国策』を1933年創刊としているが、国会図書館のデータベースに見える他の書誌データと整合性がとれないため、ここでは創刊年を断定しない。:定期・不定期刊行物”. 公益財団法人国策研究会. 2013年10月7日閲覧。 “創刊以来(昭和8年)本誌は ...”
  13. ^ 新政 国策研究会 編”. 国立国会図書館. 2013年10月7日閲覧。
  14. ^ 新国策 国策研究会 編”. 国立国会図書館. 2013年10月7日閲覧。
  15. ^ 機関誌「新国策」バックナンバー”. 公益財団法人国策研究会. 2013年10月7日閲覧。
  16. ^ 研究・連繋”. 松下政経塾. 2013年10月7日閲覧。
  17. ^ 早稲田大学国策研究会”. 早稲田大学国策研究会. 2013年10月7日閲覧。