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国鉄キハ54形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄キハ54形気動車
キハ54形0番台(製造当初の塗色)
窪川駅、1986年)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
北海道旅客鉄道
四国旅客鉄道
製造所 新潟鐵工所富士重工業
製造年 1986年 - 1987年
製造数 41両(0番台12両・500番台29両)
主要諸元
軌間 1,067 mm
最高速度 95 km/h (1 - )
95 km/h → 110 km/h (501 - )
車両定員 68(席)+ 80(立)= 148名 (1 - )[1]
70(席)+ 30(立)= 100名 (501 - )
自重 37.2 t (1 - )
38.7 t (501 - )
全長 21,300 mm[1]
全幅 2,920 mm[1]
全高 3,845 mm (1 - )[1]
3620 mm (501 - )[1]
台車 DT22A・DT22C (1 - )[1]
DT22F→N-DT54 (501 - )
動力伝達方式 液体式[1]
機関 DMF13HS
機関出力 250 PS × 2基[1]
制動装置 DA1A自動空気ブレーキ[1]
直通予備ブレーキ[1]
備考 501 - は一般車の数値
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国鉄キハ54形気動車(こくてつキハ54がたきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1986年昭和61年)から製作した一般形気動車である[2][3]

四国向けの温暖地型(キハ54 1 - )[1]北海道向けの酷寒地型(キハ54 501 - )の2種が製作されており、各部の仕様・形態には相応の差異がある。

概要

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1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に先立ち、経営困難が予想された北海道・四国・九州の「三島会社」(さんとうがいしゃ)の経営基盤整備を目的として、民営化直前の1986年(昭和61年)に製作された車両群の一形式である。

「三島会社」は利用客が少ない非電化路線の割合が高く、当該路線で使用する車両も経年の高い老朽車が多数を占めていた。民営化後の車両計画にあっては、これら「三島会社」の地理的・経済的条件を主因とする脆弱な経営基盤に配慮して、国鉄最終年度の予算で当該地区向けの新形車両を製作し、将来の車両置換え負担を軽減する方法が採られた。

この計画に基づき、全長 21 m 級の両運転台式一般形気動車として製作された車両群がキハ54形である。北海道向けの酷寒地仕様、四国向けの温暖地仕様の2種が計画され、国鉄最終年度の1986年(昭和61年)に新潟鐵工所富士重工業(共に当時)の2社で合計41両が製作された。

耐候性に優れるステンレス製軽量車体の採用[1]、勾配や積雪に耐える性能を得るためのエンジン2基搭載など、地域の実情に応じた装備が施されている。一方、台車や変速機・運転台機器等には在来車の廃車発生部品を再利用し、一部の機器にはバス用の汎用部品を用いるなどの策で、製作コストの適正化を図っている[1]。これらの設計は同時期に登場した、九州・四国地区向けのキハ32形キハ31形にも採用されており、本形式と2形式との間には共通項が数多くみられる。

構造

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車体

21 m級の構体で、国鉄の気動車ではキハ35形900番台以来となるオールステンレス車体を採用した。これは、1985年205系以降国鉄車両に軽量ステンレス車体が本格採用されて一般化し、製造コストが下がってきたこと、また北海道では酷寒な気候や海岸部での塩害に対する耐久性が要求されたことなどが挙げられる。構造簡素化のため幅広車体とはされず、車体裾は絞りのない直線形状である。側面窓上下には外板歪みを防ぐビード加工がなされる。客用扉は車体両端に片側2扉を配置する。運転台を車体の前後に設ける両運転台式で[1]、ワンマン運転時の乗降監視を容易にするため低運転台としている[1]

正面形状は平妻貫通式で[1]、運転台窓回りを黒色とした大窓風の意匠を採用する。運転台窓上には種別・行先表示器を設ける。前面と側面の接合部は白色のFRP部材を額縁状に配する[1]

駆動系

新潟鐵工所(現・IHI原動機)製の直列6気筒ディーゼル機関DMF13HS (250PS/1,900rpm) を2基搭載し、車両の定格出力を500PSとしている。ターボチャージャー付の直噴式で始動性と熱効率に優れ、メンテナンス性も改善されている。

液体変速機は再用品で[1]、TC-2A形(神鋼造機製)DF115A形(新潟コンバータ製)のいずれかを装備する[1]。これはキハ20系気動車などの従来車で採用された1段直結式(変速段と直結段の2速)の変速機で、逆転機の機能は内蔵しない。機関出力の向上に応じ、クラッチ周辺を強化する改造が施された。

台車は再用品のDT22系を装備する[1]。軸箱支持はウイングバネ式、枕バネはコイルバネを用いた国鉄一般形気動車の標準仕様品である。

駆動機関以外の伝動機構が在来車両の再用品であるため、最高速度は在来形気動車と同等の 95km/h とされた[1]

ブレーキ装置

在来型車同様のDA1A自動空気ブレーキを使用する。

仕様別詳説

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四国仕様車(0番台)

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温暖地で使用する区分で、1987年に12両 (1 - 12) が製作された。
製作の経緯
四国島内は予讃本線法華津峠越えや土讃本線四国山地越えなど、主要線区の急勾配区間が存在する。地域間輸送向けに高出力の両運転台車が必要であったが、当該地域に配置された高出力気動車は1960年代に製作された急行形車両が主であり、両運転台車は低出力の1機関搭載車が多数を占めていたほか、数少ない2機関搭載両運転台車のキハ52形は昭和30年代に製造された初期車が多く、老朽化が進行していた。
仕様
四国島内の地域輸送に使用するため、短距離輸送に特化した収容力・運用コストを重視した仕様で製作された。
外部塗色は、当初はステンレス地に黄かん色のストライプを斜めに配した[1]JR移行後にコーポレートカラーの水色を基調とした塗色に変更[注 1]された。
客室窓は二段式の大型ユニット窓である。客用扉は 900mm 幅の折戸とし、戸袋を省略している。下方まで拡大された大型窓が特徴で、バス用のドアエンジンを利用したほか、速度感知式のドアロック機構を装備し、出発・到着時に自動で施錠・解錠をおこなう仕様である。正面下部のスカートは当初省略されたが、2010年頃より簡易的なスカートとして鉄棒が装着された。これは予土線の沿線で増加するシカとの衝突を想定したもので、車両の下へ巻き込ませないための予防的措置である[4]
客室の座席配置はロングシートとされ、キハ38形と同一のバケットシートに加え、肘掛の役割を兼ねた仕切板を座席間に3~5人毎に配置して着席区分を明確化している[1]トイレは設置されず、室内のデッキ仕切りもない。冷房装置はバス用の機器を流用し[1]、走行用エンジンの余裕出力を用いてコンプレッサーを走行用エンジンで駆動する機関直結式としている。

北海道仕様車(500番台)

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キハ54 501
(1990年)
酷寒地で使用する区分で、1986年に29両 (501 - 529) が製作された。過酷な気象条件の中での運用に備え、随所に耐雪、凍結対策が施される[5]。排雪走行や動物との衝突などに備え、運転台下にはスカートが装備される。
製作の経緯
北海道の非電化路線は冬期の積雪と列車頻度などの条件により、走行する列車自身が線路上の積雪を除去する、排雪走行の能力が要求される。国鉄時代には北海道向けの2機関搭載両運転台車は長く製作されず、キハ22形キハ40形などの1機関搭載車を地域輸送に使用していた。これらの形式は出力に余裕がなく、冬季は冗長性確保のため、2両以上の編成で運行する対応がとられた。輸送実績に比しコストが過大となることから、この運用方法の解消は長年の課題であった。
1986年には、急行列車の削減で余剰となったキハ56形を改造した2機関搭載の両運転台車、キハ53形500番台が深名線などに投入された。しかしこれは、種車の経年等からも、長期の使用を想定しうるものではなかった。
仕様
客室窓は小型の一段上昇式で、車内側にFRP枠の内窓を備えた二重窓である[5]。客室扉は 850mm 幅の引戸で、凍結対策として、ドアレールとステップに機関廃熱利用の温水ヒーターを装備する。開閉はドア横の押しボタンによる半自動仕様[注 2]である。ドアチャイムはドア付近の天井に設けられ、閉まるときのみ鳴動する仕様である。
車体には赤16号を主体として下部にクリーム10号と灰茶8号の細線を配したテープを貼付する。
一般仕様車(501 - 526)の製作当初の座席配置は、出入台付近を四国仕様と同一のバケット式ロングシートとしたセミクロスシートとして長距離乗車に適応させた[5]。クロスシート部はバス用座席に類似するヘッドレスト独立型の軽量設計である。モケットの色はオレンジ色が基本であるが、所々に黄色を点在させてアクセントとしていた[5]
長距離運用に備え、トイレを設置する。当初はFRP製ユニット式(和式)の垂れ流し式であった[注 3]が、後に洋式便器を使用する循環式に改造され、汚物タンクは床下に設置するスペースがないため床上に追設された。水タンクは屋上に設置され、圧縮空気やポンプを使用しない重力給水式である。
冷房装置は装備せず扇風機のみを室内に設置し、屋上には押し込み式通風器を配置する。暖房装置は機関冷却水を利用した強力な仕様である。
駆動系は、1台の機関を停止し、1機関での走行も可能な仕様とされた[5][注 4]。これは排雪対策を要しない夏季の運用コストに配慮した仕様であったが、使用線区の線路条件に鑑み、実際の運用では通年にわたって2機関を使用する。台車は軸ばねにゴム被覆を施したDT22F形[5]で、コイルばねへの雪噛みによるばね機能喪失(線間密着)を防止する。
  • 急行仕様 (527 - 529)
急行「礼文
(1990年 旭川駅)
旭川 - 稚内間の宗谷本線急行「礼文」専用車として製作され、0系新幹線電車の廃車発生品である転換クロスシートを当初から装備した。窓割りは一般仕様車と同じなので、窓と座席が合っていない。車内の座席番号表示はない。識別のため、窓上に赤帯が追加されている。
この3両は「礼文」での運用を主とし、間合いで臨時の急行快速普通列車運用にも充当されたが、2000年3月ダイヤ改正で「礼文」が廃止され、以後は他のキハ54形500番台同様に運用されている。

改造

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鹿笛追設
警笛は在来車と同様のタイフォンを装備していたが、野生動物、特にエゾシカとの衝突事故が多発する路線事情に対応するため、「鹿笛」と呼ばれる甲高い音色のホイッスルに交換されている。屋上装備で、耐雪カバーに覆われている。元々の警笛が付いていた部分はステンレス板で塞がれた。
機器更新
キハ54 526のN-DT54形台車(2005年5月) 既存車との併結も可能(2010年6月)
キハ54 526のN-DT54形台車(2005年5月)
既存車との併結も可能(2010年6月)
駆動系の主要機器について、流用部品(廃車発生品)を更新する工事を2003年 - 2005年に実施した。
液体変速機を直結2段(変速段+直結2段の3速)式の N-DW54 形に換装し、推進軸も軽量化されたものに交換された。制御装置は電気式の自動進段装置を装備し、変速段と直結段の切替が自動化された。他車への切替指令を可能とするため変直切替ハンドルは残されており、キハ40形気動車など手動切替式の在来気動車とも併結運転が可能である。
台車は軸梁式ボルスタレス台車の N-DT54 形に交換された。牽引装置は種車の心皿を流用している。釧路運輸車両所所属車両には台車に砂撒き装置が装備されている。
ブレーキ装置は制御弁をE型制御弁に取替え、応荷重装置を新設したほか、特殊鋳鉄制輪子(乙32-F:JR北海道苗穂工場製)を装着して制動力を向上させた。
施工後は自重が約 1t 軽くなり、最高速度は 110 km/h に引き上げられたが、使用線区の現状に鑑み最高速度 95 km/h のまま運用されている。
機関は在来のままながら、排気系にDPF(粒子状物質減少装置)を追加装着した車両が一部存在する。
座席交換
500番台一般車ものちに、観光客や長距離客に配慮し、キハ183系からの発生品である簡易リクライニングシートに座席を交換した。回転機構を用いない集団見合い方式の座席配置となり、対面部分は間隔を広く取りテーブルが設置されている。
釧路運輸車両所所属の花咲線用の車両は再交換を実施し、急行仕様と同型の0系新幹線電車の廃車発生品である「海峡」用のオハ50系から再転用した転換クロスシートを装備した。座席のモケットは、水色地に北海道の鳥をデザインしたものに張り替えられた。
旭川運転所所属車両の一部には、製造当初の座席のまま、モケットのみをキハ183系同様のタンチョウ柄に張り替えたものがある。
後述するラッピング車両でもある522はダンプカーとの衝突事故で廃車となった789系1000番台HL-1005編成から自由席と同タイプのリクライニングシートへ交換された。こちらも集団見合い式の固定配置となっている。

運用・現況

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トロッコ列車「清流しまんと号」として運用される
キハ54形0番台と
トラ45000形トロッコ車
予土線窪川駅

JR四国

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松山運転所に全12両を配置し、以下の区間で使用する。

1990年11月21日に予讃線伊予市駅 - 伊予北条駅の電化により、全車両が高知運転所に転属したが、1エンジン小型車のキハ32形が粘着重量不足により、登坂の際に空転を頻発させて運行に支障を来したことから、これを代替する目的で同運転所配置のまま予土線を介して2003年ごろから充当されるようになり、のちに1500形導入に伴う玉突き転配で段階的に松山運転所に再配置されていった。

予土線でのトロッコ列車運転期間には、出力に余裕のあるキハ54形がトラ45000形トロッコ車の牽引車に用いられ、貫通ドアには「アンパンマン」の主要キャラクターのステッカーが貼られていた。2013年10月にキハ54 4をトラ45000形トロッコ車コトラ152462と共にリニューアルして「しまんトロッコ」として運転している。
予土線、予讃線、内子線において、ラッピング列車「おさんぽなんよ」、「しまんと開運汽車 すまいるえきちゃん号」も運行[6][7]

JR北海道

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製造当初は旭川運転所(501-503, 527-529)、苗穂運転所(504-506, 511-515, 524-526)、函館運転所(507-510)、釧路運転所(516-523)に配置され、既存形式と混用された[8]。しかし、分割民営化後、車両性能を活かせていないことや、バスとの対抗上列車のスピードアップが必要となったことを受け[9]、1988年(昭和63年)10月までに旭川・釧路に配置を集約し[8]、続く同年11月3日改正より、道北・道東地方各線の普通列車高速化に貢献した[9]

その後は配置換えや宗谷本線・根室本線(花咲線)における運輸営業所の設立・廃止を経て、現在も引き続き旭川運転所釧路運輸車両所に配置される。

旭川運転所配置車

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現行の定期運用(2024年3月16日時点)
過去の定期運用
  • 富良野線
    H100形の投入に伴い、2023年3月17日をもって定期運用を終了。
  • 石北本線
    H100形の投入に伴い、2024年3月15日をもって定期運用を終了。
    特別快速きたみ」も担当していた。
    急行仕様車は留萌本線での通勤通学需要に適応させるため、同線での使用を一時中断の上で2007年9月に一部座席の撤去工事を実施し、引き続き同線で使用されている。一般仕様車も、ロングシート部の拡大工事が施工されている。

釧路運輸車両所配置車

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現行の定期運用(2024年3月16日時点)
  • 根室本線(花咲線)(釧路 - 根室間)
    花咲線用の車両は、台車交換工事施工時に車体の帯をハマナスの花の色に似たピンク1色のテープに変更した。520は車体全体に花をあしらったデザインのラッピングを施されたが、同車は2007年3月1日に石北本線で発生した踏切脱線衝突転覆事故に罹災、同年3月7日付けで廃車となった。これに伴い、旭川運転所から507が釧路運輸車両所に貸し出された。507はラッピングが施され、JR北海道釧路支社の広告車として釧路地区で運用されていた。その後、507は正式に釧路運輸車両所に転属となり、車体の広告も外された、のちに後述の「流氷物語」に改造されている。
    522は、2012年より「ルパン三世」のラッピングが施されている(原作者のモンキー・パンチの出身地である浜中町が花咲線の沿線に含まれているため)[11]
    507・508の2両は、2017年1月28日より釧網本線網走 - 知床斜里間において運行を開始した臨時列車「流氷物語号」へ充当するため、専用のラッピングを施されている。なお、508は2020年10月19日に釧網本線で発生したタンクローリーとの衝突事故[12]により、翌年の「流氷物語号」が別車両による運用に変更される[13]などの影響が発生している。その後、508は2022年9月に修復工事が完了し運用に復帰しているが、被災した部分の前面が新規製作となったため、片側のみであるがタイフォンカバーの撤去跡が見られなくなっている[14][15]
    521は、車体の半分が赤基調、もう半分が白基調のラッピング(花咲線の場合、根室方向を進行方向とすると進行方向右半分が赤基調、左半分が白基調)を施され、「地球探索鉄道花咲線ラッピングトレイン」として2018年11月1日より運行されている(通常の普通・快速列車として花咲線および釧網本線で使用)[16]
過去の定期運用
  • 釧網本線
    H100形の投入に伴い、2024年3月15日をもって定期運用を終了。
  • 石北本線(北見 - 網走間)
    H100形の投入に伴い、2024年3月15日をもって定期運用を終了。

車歴表

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0番台

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500番台

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改造歴

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  • 改造所(四国)…高知:高知運転所
  • 改造所(北海道)…旭川:旭川運転所、苗穂工:苗穂工場、釧路:釧路運輸車両所[注 6]

0番台

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500番台

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脚注

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注釈

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  1. ^ キハ54 1には警戒色と呼ばれるオレンジ色の帯が運転席、助士席窓の下に入っていたが間もなく消去された。
  2. ^ 後のワンマン改造時に押しボタンを撤去し、撤去跡にワンマン放送用のスピーカーを設置した。
  3. ^ 日本において垂れ流しトイレ仕様で新造された最後の鉄道車両である。
  4. ^ 軽量ステンレス車体と新型エンジンゆえに、キハ40系等従来型の気動車よりは燃費や走行性能に改善が見られたという。
  5. ^ 1996年(平成8年)4月30日までは釧路運転所。
  6. ^ 1996年(平成8年)4月30日までは、車両基地の名称は「釧路運転所」、車両工場の名称は「釧路車両所」。

転属

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  1. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2016年03月26日
  2. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2016年03月26日
  3. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2016年03月26日
  4. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2012年03月17日
  5. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2012年03月17日
  6. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2008年03月15日
  7. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2008年03月15日
  8. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2008年03月15日
  9. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2008年03月15日
  10. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2008年03月15日
  11. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2008年03月15日
  12. ^ 松山→高知:1990年03月10日、高知→松山:2008年03月15日
  13. ^ 苗穂所→旭川:1988年03月13日
  14. ^ 苗穂所→旭川:1988年10月20日
  15. ^ 苗穂所→旭川:1988年10月29日
  16. ^ 函館→旭川:1988年10月15日、旭川→宗谷:1993年03月30日[18]、宗谷→釧路:2007年05月15日[19]
  17. ^ 函館→旭川:1988年10月15日、旭川→宗谷:1993年03月31日[18]、宗谷→釧路:2016年11月11日[20]
  18. ^ 函館→旭川:1988年10月15日、旭川→宗谷:1993年04月01日[21]、宗谷→旭川:2017年03月04日[20]
  19. ^ 函館→旭川:1988年10月15日、旭川→宗谷:1993年04月01日[21]、宗谷→旭川:2017年03月04日[20]
  20. ^ 苗穂所→旭川:1988年10月19日、旭川→宗谷:1993年04月01日[21]、宗谷→旭川:2017年03月04日[20]
  21. ^ 苗穂所→旭川:1988年10月29日、旭川→宗谷:1993年04月01日[21]、宗谷→旭川:2017年03月04日[20]
  22. ^ 苗穂所→旭川:1988年10月19日、旭川→宗谷:1993年04月02日[21]、宗谷→旭川:2017年03月04日[20]
  23. ^ 苗穂所→旭川:1988年10月20日、旭川→釧路:1993年04月02日[21]、釧路→花咲:2003年10月30日[22]、花咲→釧路:2009年03月16日[23]
  24. ^ 苗穂所→旭川:1988年10月19日、旭川→花咲:1993年03月16日[18]、花咲→釧路:1994年01月18日[21]
  25. ^ 釧路→花咲:1991年07月01日、花咲→釧路:1994年02月01日[21]、釧路→花咲:2003年12月16日[22]、花咲→釧路:2009年03月16日[23]
  26. ^ 釧路→花咲:1994年01月18日[21]、花咲→釧路:1998年12月18日[24]、釧路→花咲:2004年02月21日[22]、花咲→釧路:2009年03月16日[23]
  27. ^ 釧路→花咲:1991年07月01日、花咲→釧路:2003年07月03日[22]
  28. ^ 釧路→花咲:2003年07月03日[22]
  29. ^ 釧路→花咲:1994年02月01日[21]、花咲→釧路:2009年03月16日[23]
  30. ^ 釧路→花咲:1991年07月01日、花咲→釧路:2003年10月30日[22]
  31. ^ 釧路→花咲:1991年07月01日、花咲→釧路:2003年12月16日[22]
  32. ^ 苗穂所→釧路:1988年10月23日
  33. ^ 苗穂所→釧路:1988年10月23日、釧路→花咲:1991年07月01日、花咲→釧路:2009年03月16日[23]
  34. ^ 苗穂所→釧路:1988年10月23日、釧路→花咲:2007年05月15日[19]、花咲→釧路:2009年03月16日[23]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 鉄道ジャーナル』第21巻第5号、鉄道ジャーナル社、1987年5月、80-83頁。 
  2. ^ ネコ・パブリッシング『レイルマガジン』No.37 P.56
  3. ^ ネコ・パブリッシング『レイルマガジン』No.39 P.60
  4. ^ シカと列車の衝突事故に悩むJR各社、全国の「シカ対策担当者」による会議(朝日新聞2010年12月16日夕刊)
  5. ^ a b c d e f 鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、84-85頁。 
  6. ^ JR四国ニュース 平成28年3月号 - 四国旅客鉄道
  7. ^ 「 しまんと開運汽車 すまいるえきちゃん号」を運行します!
  8. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻943号 pp.106-112
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  15. ^ 【やっぱりそうなるよね】キハ54 508、修復された前面はタイホン跡なし! - 鉄道ホビダス(2022年9月20日)、2022年9月29日閲覧
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参考文献

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鉄道ファン

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  • 編集部「JRグループ 車両のデータバンク91/92」『鉄道ファン』第32巻第8号(通巻376号)、交友社、1992年8月1日、pp.79-91。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータバンク92/93」『鉄道ファン』第33巻第8号(通巻388号)、交友社、1993年8月1日、pp.80-90。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータバンク93/94」『鉄道ファン』第34巻第9号(通巻401号)、交友社、1994年9月1日、pp.80-90。 
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  • 編集部「JRグループ 車両のデータバンク97/98」『鉄道ファン』第38巻第7号(通巻447号)、交友社、1998年7月1日、pp.71-89。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータバンク98/99」『鉄道ファン』第39巻第7号(通巻459号)、交友社、1999年7月1日、pp.70-89。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータバンク1999/2000」『鉄道ファン』第40巻第7号(通巻471号)、交友社、2000年7月1日、pp.70-93。 
  • 編集部「JRグループ 車両のデータバンク2000/2001」『鉄道ファン』第41巻第8号(通巻484号)、交友社、2001年8月1日、pp.86-98。 
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  • 編集部「別冊付録『JR旅客会社の車両配置表2005/JR車両のデータバンク2004-2005』」『鉄道ファン』第45巻第7号(通巻531号)、交友社、2005年7月1日、pp.34-42。 
  • 編集部「別冊付録『JR旅客会社の車両配置表2006/JR車両のデータバンク2005-2006』」『鉄道ファン』第46巻第7号(通巻543号)、交友社、2006年7月1日、pp.34-48。 
  • 編集部「別冊付録『JR旅客会社の車両配置表2007/JR車両のデータバンク2006-2007』」『鉄道ファン』第47巻第7号(通巻555号)、交友社、2007年7月1日、pp.34-47。 
  • 編集部「別冊付録『JR旅客会社の車両配置表2008/JR車両のデータバンク2007-2008』」『鉄道ファン』第48巻第7号(通巻567号)、交友社、2008年7月1日、pp.34-49。 
  • 編集部「別冊付録『JR旅客会社の車両配置表2009/JR車両のデータバンク2008-2009』」『鉄道ファン』第49巻第7号(通巻579号)、交友社、2009年7月1日、pp.33-48。 
  • 編集部「別冊付録『JR旅客会社の車両配置表2017/JR車両のデータバンク2016-2017』」『鉄道ファン』第57巻第7号(通巻675号)、交友社、2017年7月1日、pp.33-40。 

鉄道ピクトリアル

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  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年2月号 No.742 p27 - 29
  • 斎藤幹雄 (2018-03-01). “JR北海道旭川運転所のキハ54”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 第68巻 (第3号(通巻943号)). 

関連項目

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