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稚内駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稚内駅
駅舎(2021年11月)
わっかない
Wakkanai
W79 南稚内 (2.7 km)
地図
所在地 北海道稚内市中央3丁目6-1
北緯45度25分1.3秒 東経141度40分37.2秒 / 北緯45.417028度 東経141.677000度 / 45.417028; 141.677000座標: 北緯45度25分1.3秒 東経141度40分37.2秒 / 北緯45.417028度 東経141.677000度 / 45.417028; 141.677000
駅番号 W80
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 259.4 km(旭川起点)
電報略号 ワカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
[* 1]48人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日 1928年昭和3年)12月26日
備考 日本最北端駅
直営駅管理駅
みどりの窓口
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稚内駅(わっかないえき)は、北海道稚内市中央3丁目に所在する北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。駅番号W80[注釈 1]事務管コードは▲121851[1][2]。現存する日本国内の鉄道駅としては最北に所在する[注釈 2]

歴史

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1977年(昭和52年)の宗谷本線稚内駅と周囲約1 km範囲。島式ホーム1面2線でたくさんの副線を持つ。北側の防波堤がかつての稚泊連絡船のターミナルで、先端の駐車場の手前の青い屋根の所にかつて稚内桟橋仮乗降場があった。当時の岸壁の一部は既に埋め立てられているが、路盤はまだ残っている。また稚内駅南東の埋立地への専用線もすでに撤去され、こちらも路盤が残っている。島式ホームの南端の左付近から、倉庫群を挟んで本線の1区画左を走る国道40号の右横に沿う空き地に向けて斜めに残されている路盤は、1975年(昭和50年)頃に現在の位置に切り替わるまで本線が敷かれていた跡である。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

稚内における鉄道は、1922年大正11年)に開業したが、当初の稚内駅は現在の稚内駅の約2 km 南に位置し(南稚内駅の前身、その後移転)[3]南樺太大泊へ向かう鉄道連絡船稚泊航路」への乗船客は徒歩で、貨物は荷車で連絡していた。

この不便を解消するため、1928年昭和3年)12月26日に稚内港駅(わっかないみなとえき)まで鉄道路線が延伸されたのが、当駅の始まりである[4]

1936年(昭和11年)には稚内港の北防波堤桟橋が竣工し、さらに防波堤桟橋内への線路延長敷設工事(約850 m)が始まり、1938年(昭和13年)10月1日から防波堤桟橋内(現:北防波堤ドーム内)に稚内桟橋駅(わっかないさんばしえき)を、稚内港駅の構内乗降場の扱いで設置している[注釈 3][4]

1939年(昭和14年)2月1日に稚内港駅を稚内駅に、稚内駅を南稚内駅に改称した[4]。その後、稚泊航路は1945年(昭和20年)8月以降のソ連軍の南樺太侵攻開始後も樺太からの引揚者輸送に当たり、同年8月24日に稚内港に入港した便を最後に運航停止となって、稚内桟橋駅も実質的に廃止となった[4]

2010年平成22年)1月31日には2番線が廃止されたことにより、単線の駅になった。2011年(平成23年)4月3日には「稚内駅前地区第1種市街地再開発事業」に伴う稚内駅再開発ビル「キタカラ」(KITAcolor)に新しい駅舎(4代目)が開業した(「キタカラ」(KITAcolor)は2012年(平成24年)に全面開業した)[5][6]

年表

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  • 1923年大正12年)5月1日:稚泊航路開設[3]
  • 1924年(大正13年)11月10日:稚内連絡待合所開設。
  • 1928年昭和3年)12月26日:宗谷線稚内駅(現在の南稚内駅) - 当駅間延伸開業[4][7]。開業時の駅名は稚内港駅(わっかないみなとえき)[4][7]一般駅
    • 開業時の駅舎は、稚内連絡待合所の建物を改修した上で利用していたと推測されている。「稚泊航路」への連絡を重要としていたため市街地とは反対側の海側に駅舎があった。
  • 1938年(昭和13年)
    • 6月30日:駅舎を市街地側に移転(2代目駅舎)。
    • 10月1日:稚内桟橋駅開業(当駅構内の仮乗降場扱い)[4]
  • 1939年(昭和14年)2月1日:従来の稚内駅を南稚内駅とし、当駅を稚内駅と改称[4]。このときから南稚内駅を当駅駅長の管理下とする[8]
  • 1945年(昭和20年)8月25日:稚泊連絡船運航停止し、稚内桟橋駅が事実上廃止[4]
  • 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道(国鉄)に移管。
  • 1952年(昭和27年)11月6日:南稚内駅移転に伴い、南稚内駅との間のキロ程が1.2 kmから2.7 kmに変更[4]
  • 1965年(昭和40年)10月1日:駅舎建替えにより、3代目駅舎使用開始[9]
  • 1967年(昭和42年)
  • 1970年(昭和45年)3月1日:補助コンテナ基地設置[11]
  • 1973年(昭和48年)10月1日:コンテナ基地に昇格[12][13]
  • 1975年(昭和50年)11月:南稚内駅 - 稚内駅間の高架工事(全長1.1km)が完成[14]。併せてプラットフォームを50 m 延長し有効長250 m とする[15]
  • 1984年(昭和59年)2月1日:貨物取り扱い廃止[11][16][17]、名寄駅 - 稚内駅間の貨物列車も廃止となる[17]
  • 1985年(昭和60年)5月:国鉄の余剰人員対策として、構内に国鉄直営の土産店を開設[15]
  • 1986年(昭和61年)11月1日:新聞紙を除き荷物取り扱い廃止[18]
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[19]
  • 1991年平成3年)10月25日:新聞紙の取り扱い廃止[18]
  • 2000年(平成12年)3月11日:特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」運転開始により、特急列車発着駅となる[9][20]
  • 2006年(平成18年)3月18日:夜行特急「利尻」が季節運転の「はなたび利尻」となる[9][21]
  • 2007年(平成19年)9月30日:臨時夜行特急「はなたび利尻」廃止。夜行列車の運行終了[9]
  • 2010年(平成22年)1月30日:2番線廃止[9][22]
  • 2011年(平成23年)4月3日:前日の営業をもって旧駅舎(3代目駅舎)を閉鎖し、新駅舎暫定開業[9][23]。関連して日本最北端線路地点が約100m南側に移動。営業キロの改キロはなし。
  • 2012年(平成24年)
  • 2017年(平成29年)4月1日:窓口営業時間を短縮し、早朝・夜間の社員配置が取りやめとなる。
  • 2024年令和6年)11月18日:自動券売機を廃止[27]

駅名の由来

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市名より。アイヌ語の「ヤワッカナイ(ラテン翻字: yam-wakka-nay)」〔冷たい・水(飲み水)の・川〕から[28]

駅構造

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単式ホーム1面1線を有する地上駅

以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年平成22年)1月30日をもって2番線を廃止し、線路や分岐器、出発信号機場内信号機が撤去され、棒線化及び停留所化した(現駅舎開業以前は構内踏切(警報機のみ)も設置していた)。これに伴い、南稚内駅から当駅(線路終端)間は1閉塞となり、2列車以上の進入ができなくなった。また、以前の日本最北端の線路として使用していた車止めとレールが、JR北海道から稚内市に寄贈され、駅前広場上のモニュメント「日本最北端の線路」として2012年(平成24年)3月に復元されている。

改札口からホームへ向かう通路はスロープになっており、バリアフリー化している。社員配置駅(現在は南稚内駅の被管理駅)。改札口横にみどりの窓口指定席券売機クレジットカード専用)[29]、待合室がある。

なお、当駅は稚内市が整備した複合施設「キタカラ(KITAcolor)」内に入居しているが、「キタカラ」は駅のほかバスターミナル(稚内駅前バスターミナル)、売店飲食店コンビニエンスストア観光協会、地域交流センター、映画館グループホーム、高齢者住宅を備えた複合施設であり[30]、「道の駅わっかない」として道の駅の指定を受けているほか、稚内港国際・国内フェリーターミナルなどと合わせて「みなとオアシスわっかない」の指定も受けている[31]

かつての配線図

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かつては稚泊連絡船への接続などを考慮した広大な構内に複雑な配線を施していた。しかし、貨物営業の廃止などにより側線は縮小していき、旅客列車が停車する部分についても棒線化が行われ、現在は分岐器がない駅になった。

1975年3月時点の稚内駅配線図

旭川方
1975年3月時点の稚内駅配線図
凡例
出典:[32]


利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「稚内市統計書」を基とする値については窓口乗車券発売人員のみの値であり、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員(人) 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1935年(昭和10年) 71,776 (196.1) [* 2]
1949年(昭和24年) 308,210 (844.4)
1968年(昭和43年) 433,355 (1,187.2) [33]
1970年(昭和45年) 364,331 (998.1)
1975年(昭和50年) 335,540 (916.7)
1978年(昭和53年) 694 [8]
1980年(昭和55年) 219,339 (601.1) [33]
1985年(昭和60年) 119,307 (326.9)
1990年(平成02年) 86,553 (237.1) 前年度で天北線廃止
1991年(平成03年) 88,674 (242.3)
1992年(平成04年) 87,161 (238.8)
1993年(平成05年) 89,790 (246.0)
1994年(平成06年) 88,011 (241.1)
1995年(平成07年) 88,567 (242.0)
1996年(平成08年) 87,235 (239.0)
2005年(平成17年) 53,300 (146.0) [* 3]
2006年(平成18年) 47,450 (130.0)
2007年(平成19年) 45,200 (123.5) [* 4]
2008年(平成20年) 43,400 (119.0)
2009年(平成21年) 40,150 (110.0)
2010年(平成22年) 36,500 (100.0)
2011年(平成23年) 38,690 (105.7) [* 5]
2012年(平成24年) 38,690 (106.0)
2013年(平成25年) 36,360 (99.6)
2014年(平成26年) 34,700 (95.1)
2015年(平成27年) 39,100 (106.8) 10名以上 [* 5][JR北 1]
2016年(平成28年) 38,000 (104.1) 117.8 [* 6][JR北 2]
2017年(平成29年) 30,700 (84.1) 120.0 [* 6][JR北 3]
2018年(平成30年) 30,300 (83.0) 111.8 [* 6][JR北 4]
2019年(令和元年) 30,400 (83.0) 105.4 [* 6][JR北 5]
2020年(令和02年) 16,100 (44.1) 106.8 [* 7][JR北 6]
2021年(令和03年) 14,200 (38.9) 93.8 [* 8][JR北 7]
2022年(令和04年) 17,500 (47.9) 86.2 [* 1][JR北 8]
2023年(令和05年) 89.0 [JR北 9]


駅弁

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かつては優等列車の発着に合わせて、社員1人で調製から販売を行うサンエイ商事の駅弁が立売で売られていたが、2004年1月にその社員が死去したため、それ以後立売は行われなくなった。その後旭川駅立売商会傘下の稚内駅立売株式会社が発足し調製及び販売を行なっている。

2009年平成21年)6月30日をもって名寄駅が駅弁販売を終了したため[34]、稚内駅が宗谷本線所属駅では唯一の駅弁販売駅になった。主な駅弁は下記の通り[35]

  • こぼれいくら!ほたて弁当
  • 四大かに弁当
  • かに海鮮御膳
  • どっさり海鮮弁当
  • かにいくらめし

駅周辺

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駅前交差点は国道40号の終点、国道232号北海道道106号稚内天塩線の起点になっている。市街地は南稚内駅周辺まで広がっている。稚内フェリーターミナル、稚内港国際旅客フェリーターミナルまでは車で約2分(徒歩約15分)、稚内副港市場までは車で約3分、稚内市開基百年記念塔・北方記念館のある稚内公園までは車で約15分、ノシャップ岬(野寒布岬)までは車で約15分、稚内空港までは車で約20分(バスで約30分)、宗谷岬までは車で約1時間の距離に位置している。

バス路線

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宗谷バスのバスが発着する。路線は当該記事を参照。

  • 案内所はキタカラ内(駅舎直結)に、バス停は駅前バスターミナルと駅前道路上に設けられている[37]
  • 都市間バス「特急わっかない号」は北都交通との共同運行。

その他

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1995年9月4日深名線が廃止されて以降、最長片道切符の起点駅となっていたが、2024年4月1日根室本線富良野駅 - 新得駅間が廃止されて以降は起点駅でなくなった[注釈 4]。ただし、運賃計算キロベースで距離を計算した場合は、引き続き起点駅となる。

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
  • 特急「宗谷」「サロベツ」発着駅
普通
南稚内駅 (W79) - 稚内駅 (W80)

脚注

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注釈

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  1. ^ 稚内駅の駅番号に付番された数字(80)は、JR北海道管内の駅番号の数字としては最大。
  2. ^ 戦前に日本が南樺太を領有していた頃は、樺太東線古屯駅(1944年以降)が日本最北端の駅であった。
  3. ^ なお、諸般の文献では12月11日を正式な開設日として扱っているが、当時の時刻表などでは10月1日から稚内桟橋駅までの運行を開始しており相違がある。
  4. ^ 同日以降、最長片道切符の起点駅は大村線竹松駅長崎県大村市)となった。

出典

[編集]
  1. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  2. ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
  3. ^ a b 曽根悟, p. 14.
  4. ^ a b c d e f g h i j 曽根悟, p. 15.
  5. ^ 新駅舎きょう開業*地元グルメも満喫*旭川から記念列車運行”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2011年4月3日). 2017年7月25日閲覧。
  6. ^ 飲食店や高齢者住宅が一体*稚内駅ビル 全面開業”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2012年4月29日). 2017年7月25日閲覧。
  7. ^ a b 『官報』 1928年12月20日 鉄道省告示第315号(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ a b c 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、891頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  9. ^ a b c d e f g h i 『週刊JR全駅・全車両基地 No.60 稚内駅 北見駅 丸瀬布駅ほか77駅』朝日新聞出版、2013年10月13日、4-10頁。 
  10. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、132頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  11. ^ a b 曽根悟, p. 16.
  12. ^ 『稚内市史』(2) (1999), p. 725.
  13. ^ 「集配送システム実現 稚内駅 コンテナ基地に昇格」『北海道新聞』1973年9月28日、朝刊、道北版。
  14. ^ 『稚内市史』(2) (1999), pp. 720–721.
  15. ^ a b 『稚内市史』(2) (1999), p. 726.
  16. ^ 『稚内市史』(2) (1999), p. 730.
  17. ^ a b 「来月からの国鉄貨物廃止 9線区を認定 本道11線区に」『北海道新聞』1984年1月20日、朝刊。
  18. ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、904頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  19. ^ 曽根悟, p. 17.
  20. ^ スーパー宗谷デビュー*期待乗せて雪原を疾走*乗客「揺れ少なく静かで快適」「名寄以北は実質値上げ」「乗り換えないのが便利」*鉄道ファン 駅にカメラの列”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2000年3月12日). 2017年7月25日閲覧。
  21. ^ 名残惜しむ乗客、ファン*「利尻」定期運行終了*車窓の景色 見納め*稚内駅長「皆さんに親しまれた」”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2006年3月19日). 2017年7月25日閲覧。
  22. ^ JR稚内駅*さよなら2番線*駅舎新築で30日廃止”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2010年1月28日). 2017年7月25日閲覧。
  23. ^ 稚内新駅舎の開業日について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2011年2月9日https://www.jrhokkaido.co.jp/press/2011/110209-1.pdf2017年7月25日閲覧 
  24. ^ 稚内駅ビル「キタカラ」全面開業*飲食コーナー盛況*最北端の線路*モニュメント除幕”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2012年4月30日). 2017年7月25日閲覧。
  25. ^ 稚内駅ビル「キタカラ」グランドオープン! 市民の憩いの場に”. 北海道ファンマガジン (2012年4月30日). 2017年7月25日閲覧。
  26. ^ GW後半も各地で笑顔*記念切符に長い行列*道の駅わっかない開業”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2012年5月4日). 2017年7月25日閲覧。
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JR北海道

[編集]
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  8. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
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稚内市資料

[編集]
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  8. ^ 第10章 交通”. 令和4年版稚内市統計書. 稚内市 (2023年3月). 2023年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月23日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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