勇知駅
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勇知駅 | |
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駅舎(2024年8月) | |
ゆうち Yūchi | |
◄W76 兜沼 (5.8 km) (8.3 km) 抜海 W78► | |
所在地 | 北海道稚内市抜海村字上勇知 |
駅番号 | ○W77 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 236.7 km(旭川起点) |
電報略号 | ユチ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
4人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1924年(大正13年)6月25日[1] |
備考 | 無人駅 |
勇知駅(ゆうちえき)は、北海道稚内市抜海村字上勇知にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はユチ。事務管理コードは▲121848[2]。駅番号はW77。
歴史
[編集]- 1924年(大正13年)6月25日:鉄道省天塩北線稚内駅(現・南稚内駅) - 兜沼駅間開通に伴い開業[3][4]。一般駅[1]。
- 1926年(大正15年)9月25日:天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)7月:駅舎改築、貨車駅舎となる[6]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1][4]。
- 2025年(令和7年)3月15日:抜海駅の廃止に伴い[JR北 1]、当駅が日本最北の無人駅となる(予定)[7]。
駅名の由来
[編集]当駅の所在する地域名(字名)より。地域名は、アイヌ語の「イオッイ(イオチ)〔i-ot-i(i-otci)〕」〔それ(=蛇)・多くいる・ところ〕に由来する[8]。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の東側(稚内方面に向かって右手側、旧2番線)に存在する[9]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能駅で、駅舎側(東側)が上りの2番線、対向ホームが下りの1番線となっていた。ほかに1番線側に稚内方から分岐した側線を1本有していた[10]。当時、互いのホームは駅舎側ホーム中央と対向ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた[10]。
稚内駅管理の無人駅。開業時からの駅舎は改築され、ヨ3500形[11]車掌車を改造した貨車駅舎となっている。駅舎は構内の東側に位置し、ホームに接している。駅舎内にトイレを有する[12]。
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外壁改修前の駅舎(2005年5月)
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駅舎内(2024年8月)
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ホーム(2024年8月)
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駅名標(2017年10月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1935年(昭和10年) | 9,760 | (26.7) | [13] | ||
1949年(昭和24年) | 37,134 | (101.7) | |||
1968年(昭和43年) | 52,438 | (143.7) | [14] | ||
1970年(昭和45年) | 43,236 | (118.5) | |||
1975年(昭和50年) | 26,956 | (73.9) | |||
1978年(昭和53年) | 63 | [15] | |||
1980年(昭和55年) | 20,248 | (55.5) | [14] | ||
1981年(昭和56年) | (28.0) | [10] | 乗降人員56人 | ||
1992年(平成 | 4年)(22.0) | [9] | 乗降人員44人 | ||
2011年(平成23年) | (0.0) | [16] | 乗降人員0人 | ||
2012年(平成24年) | (1.0) | 乗降人員2人 | |||
2013年(平成25年) | (1.0) | 乗降人員2人 | |||
2014年(平成26年) | (2.0) | 乗降人員4人 | |||
2015年(平成27年) | 10名以下 | [JR北 2] | |||
2016年(平成28年) | 3.6 | [JR北 3] | |||
2017年(平成29年) | 3.0 | [JR北 4] | |||
2018年(平成30年) | 3.8 | [JR北 5] | |||
2019年(令和元年) | 4.0 | [JR北 6] | |||
2020年(令和 | 2年)3.8 | [JR北 7] | |||
2021年(令和 | 3年)4.4 | [JR北 8] | |||
2022年(令和 | 4年)4.4 | [JR北 9] | |||
2023年(令和 | 5年)3.0 | [JR北 10] |
駅周辺
[編集]小さな集落が広がる。
- 市立稚内病院附属上勇知診療所
- 稚内警察署勇知駐在所
- 勇知郵便局
- 上勇知ふるさと資料館(稚内市立上勇知小・中学校の廃校舎を活用)
- 悠遊ファーム(観光農園)
- あとりえ華 画家高橋英生のアトリエ・カフェ
- 六花丘茶寮(レストラン・ギャラリー)
- 勇知川
-
JR勇知駅と市立稚内病院附属上勇知診療所
簡易軌道勇知線
[編集]かつて当駅裏から勇知川河口の下勇知地区へ、簡易軌道勇知線が運行されていた。勇知駅前 - 下勇知間9.8km。動力は馬力で、農業開発が目的であった[17]。
歴史
[編集]- 1944年(昭和19年):勇知駅前 - 下勇知七線間工事着工(第一期)[17]。
- 1947年(昭和22年):勇知駅前 - 下勇知間開通(全線開通)[17][注 1]。
- 1955年(昭和30年)頃:運行休止[17]。
- 1958年(昭和33年):廃止[17][注 2]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 別説として1949年(昭和24年)全線開通説あり(今尾恵介 監修『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線』 1巻、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、49頁。ISBN 9784107900197。)
- ^ 別説として1957年(昭和32年)全線廃止説あり(今尾恵介 監修『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線』 1巻、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、49頁。ISBN 9784107900197。)
出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、903頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1924-06-21). “鉄道省告示 第120号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3548) .
- ^ a b c d 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、14-17頁。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ 「“列車待合室”が登場 宗谷本線合理化を象徴」『名寄新聞』1985年7月8日。
- ^ 「JR北海道、最北の木造無人駅・抜海駅を廃止へ 25年3月」『日本経済新聞』2024年12月13日。2024年12月14日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト モク~リ P131-140”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b 宮脇俊三 著、原田勝正 編『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』小学館、1993年6月、151頁。ISBN 4093954011。
- ^ a b c 宮脇俊三 著、原田勝正 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、186頁。ISBN 4093951012。
- ^ 笹田昌宏『ダルマ駅へ行こう!』小学館〈小学館文庫〉、2007年5月、19頁。ISBN 9784094116519。
- ^ 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』北海道新聞社、2008年8月、225頁。ISBN 9784894534643。
- ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729 。2022年8月11日閲覧。
- ^ a b 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、729頁。doi:10.11501/9490970 。2022年8月11日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、890頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
- ^ a b c d e 田中和夫『北海道の鉄道』北海道新聞社、2001年2月、273頁。ISBN 4894531364。
JR北海道
[編集]- ^ 『2025年3⽉ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2024年12月13日。オリジナルの2024年12月13日時点におけるアーカイブ 。2024年12月13日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区). 北海道旅客鉄道 (2017年12月8日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年7月2日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 勇知|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 1947年(昭和22年)9月撮影航空写真 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。 駅裏より南に向かった後、勇知川に沿って西へ向かう殖民軌道が確認できる。