安牛駅
安牛駅 | |
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駅舎(2016年10月) | |
やすうし Yasuushi | |
◄W68 雄信内 (6.0 km) (1.9 km) 南幌延 W70► | |
所在地 | 北海道天塩郡幌延町字開進 |
駅番号 | ○W69 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 189.7 km(旭川起点) |
電報略号 | ヤス |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
2人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1925年(大正14年)7月20日[1] |
廃止年月日 | 2021年(令和3年)3月13日[JR北 1][JR北 2][新聞 1] |
備考 | 無人駅 |
安牛駅(やすうしえき)は、北海道(宗谷総合振興局)天塩郡幌延町字開進にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅(廃駅)である。電報略号はヤス。事務管理コードは▲121839[2]。駅番号はW69。
歴史
[編集]- 1925年(大正14年)7月20日:鉄道省天塩南線問寒別駅 - 幌延駅間延伸開通に伴い開業[3][4][5]。一般駅[1]。
- 1926年(大正15年)9月25日:天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[6]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[6]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1963年(昭和38年)2月10日:公衆電報の取り扱い廃止[7]。
- 1977年(昭和52年)5月25日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)7月:駅舎改築、貨車駅舎となる[新聞 2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 2016年(平成28年)3月26日:同日のダイヤ改正に伴う普通列車の減便で音威子府駅 - 幌延駅間の普通列車が5往復から3往復となり、全普通列車が停車するようになる[注釈 1]。
- 2019年(令和元年)12月3日:JR北海道が宗谷本線沿線自治体に、当駅含む29駅[注釈 2]について、自治体による維持管理もしくは費用負担による存続か、2021年(令和3年)3月での廃止かの方針を2020年3月までに報告するよう要請[新聞 3]。
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)3月13日:利用者減少とダイヤ改正に伴い、廃止[JR北 1][JR北 2][新聞 1]。
- 駅舎は2021年(令和3年)夏に幌延町により駅隣接地へ移設され、当面の間見学が可能[新聞 5]。
駅名の由来
[編集]当駅の所在する地名より。アイヌ語の「ヤスシ(yas-us-i)」(〔網で)魚をすくう・いつもする・所)に由来する[10][11][12]。天塩川にサケが上り、その網引き場であったことによる名称である[12]。
所在する字名は、1959年(昭和34年)の字名改正で周辺地区と再編され「開進」となっているが、これは「現在開拓適地が広大であり今後の開拓を大いに促進する上より」命名された名称である[幌延町 2]。
駅構造
[編集]地上駅。単式ホーム1面1線を線路の南西側(稚内方面に向かって左手側)設けた棒線駅となっていた[4]。
ヨ3500形車掌車[13]を改造した貨車駅舎がホーム横に設けられていた旧駅舎の基礎上に設置されており、トイレを有するが閉鎖されていた[4][11]。2017年時点では集落に面した側の塗装がかなり剥げ落ちている[幌延町 3]。
かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[14]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[14]。駅舎側(西側)が下り1番線、対向側ホームが上り2番線となっていた[14]。そのほか1番線の旭川方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[14]。
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駅舎(2005年5月)
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ホーム(2017年10月)
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駅名標(2017年10月)
利用状況
[編集]廃止直前までの乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1966年(昭和41年) | 23,131 | (63.4) | [15] | ||
1978年(昭和53年) | 16 | [16] | |||
1981年(昭和56年) | (6.5) | [14] | 1日乗降客数13人 | ||
1992年(平成 | 4年)(2.0) | [4] | 1日乗降客数4人 | ||
2015年(平成27年) | 「1名以下」 | [JR北 3] | |||
2016年(平成28年) | 0.6 | [JR北 4] | |||
2017年(平成29年) | 0.2 | [JR北 5] | |||
2018年(平成30年) | 0.2 | [JR北 6] | |||
2019年(令和元年) | 0.0 | [JR北 7] | |||
2020年(令和 | 2年)0.0 | [JR北 8] |
駅周辺
[編集]駅前は集落となっていたが、幌延町では2017年(平成29年)時点で「駅周辺には人家もなく[幌延町 3]」なったとしている。集落には洋服仕立て屋、雑貨店、商店、日本通運があった[幌延町 3]。東側(駅裏手)は樹林、旧集落を抜けた西側は牧草地で、天塩川に沿った沼(三日月湖)も多い[14][11]。
- 開進集会所 - 幌延町立安牛小学校(1982年(昭和57年)3月閉校[幌延町 4])跡地。
- 開進神社
- 北海道道256号豊富遠別線
- 天塩川
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、902頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1925-07-16). “鉄道省告示 第123号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3869) .
- ^ a b c d 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、149頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)47ページより。
- ^ a b 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、179-180頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 『鉄道百年記念 旭鉄略年表(1972年)』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1972年、33頁。doi:10.11501/12061017 。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)149ページより。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト モク~リ P131-140”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
- ^ a b c 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)220ページより。
- ^ a b 太田幸夫『北海道の駅 878ものがたり~駅名のルーツ探求~』(1版)富士コンテム、札幌市、2004年2月29日。ISBN 4-89391-549-5。
- ^ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)23ページより。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)184ページより。
- ^ a b 白山友正 編『幌延町史』幌延町、1974年、784頁。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、889頁。doi:10.11501/12065814 。
JR北海道
[編集]- ^ a b 『来春のダイヤ見直しについて』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年12月9日。オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ 。2020年12月9日閲覧。
- ^ a b 『2021年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年12月18日。オリジナルの2020年12月18日時点におけるアーカイブ 。2020年12月18日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ 「宗谷線(名寄・稚内間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブ 。2017年12月30日閲覧。
- ^ 『宗谷線(名寄・稚内間)』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2017年7月2日。オリジナルの2018年7月3日時点におけるアーカイブ 。2018年7月13日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 4 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
幌延町
[編集]- ^ “幌延町内における宗谷本線「極端に利用の少ない無人駅」に係る町方針について”. 幌延町. 2020年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月29日閲覧。
- ^ “町の区域内の町及び字の区域及び名称(昭和34年4月23日北海道告示第573号)”. 幌延町例規類集第1編 総規/第1章 町制(北海道町村会法務支援室例規集データベース) (1959年4月23日). 2017年12月16日閲覧。
- ^ a b c “幌延町内の各駅ご紹介”. 幌延町 (2017年11月6日). 2017年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月6日閲覧。
- ^ “幌延町史跡標柱等について”. 幌延町. 2017年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月19日閲覧。
新聞記事
[編集]- ^ a b “18無人駅に「ありがとう」 JRダイヤ改正で廃止 住民やファン 各地で別れ”. 北海道新聞. (2021年3月13日). オリジナルの2021年3月13日時点におけるアーカイブ。 2021年3月13日閲覧。
- ^ “列車待合室”が登場 宗谷本線合理化を象徴(名寄新聞、1985年7月8日)
- ^ “宗谷本線の無人駅、廃止が加速…幌延町が2駅廃止を容認 2021年3月のダイヤ改正で”. response. (2020年3月30日). オリジナルの2020年5月16日時点におけるアーカイブ。 2020年5月20日閲覧。
- ^ “宗谷線13無人駅 来年3月廃止へ”. 北海道新聞. (2020年3月28日). オリジナルの2020年3月28日時点におけるアーカイブ。 2020年3月28日閲覧。
- ^ “廃止の「秘境駅」フォトコン結果発表 上幌延駅、安牛駅の過去と今を写す”. 北海道新聞. (2021年5月26日). オリジナルの2021年5月26日時点におけるアーカイブ。 2021年5月26日閲覧。