智恵文駅
智恵文駅 | |
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駅舎(2017年10月) | |
ちえぶん Chiebun | |
◄W49 日進 (11.0 km) (2.1 km) 智北 W52► | |
所在地 | 北海道名寄市智恵文十一線 |
駅番号 | ○W51 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 91.2 km(旭川起点) |
電報略号 | チフ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
10人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1911年(明治44年)11月3日[1] |
備考 | 無人駅 |
智恵文駅(ちえぶんえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市智恵文十一線にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はチフ。事務管理コードは▲121822[2]。駅番号はW51。
歴史
[編集]- 1911年(明治44年)11月3日:鉄道院天塩線名寄駅 - 恩根内駅間延伸開通に伴い開業[3][4][5]。一般駅[1]。
- 1912年(大正元年)9月21日:線路名を宗谷線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1919年(大正8年)10月20日:線路名を宗谷本線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1][1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 時期不詳:貨車駅舎を改修[12]。
駅名の由来
[編集]開業時の所在地名(下名寄村字智恵文[3])より。
「智恵文」の名称は現在の智恵文沼のアイヌ語名「チェプウントゥ(ciep-un-to)」(魚・入る・沼)に由来し[13][14][15][16]、後年大地名化して村名となり、現在でも字名として用いられている。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の西側(稚内方面に向かって左手側、旧1番線)に存在する[10]。分岐器を持たない棒線駅となっている[10]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[14]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム北側と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[14]。駅舎側(西側)が下り1番線、対向側ホームが上り2番線となっていた[14]。そのほか対向側ホーム外側への、主に貨物の留置用もしくは山側からの貨物積卸用として副本線を1線[14]、1番線の旭川方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[14]。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲している[10]。
名寄駅管理の無人駅。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している[10]。有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[12]のヨ4053を改造した貨車駅舎となっている[10]。旧駅舎の基礎の上に設置されている[17]。宗谷本線のほかの貨車駅舎と違い、外壁に華やかな藤色の鋼板が張られている[17]。塗色によるものではなく、完全に新調された外壁で、間隔が細かい波板を使用している[12]。同時に内部も再整備されている模様である[12]。改築当初は他の貨車駅舎と同様の塗色であったが(1993年(平成5年)3月時点ではこの塗色[10])その後外壁にひまわりの絵が描かれた時期[17]を経て現在の外壁となった[17]。駅舎内にトイレを有する[17]。かつての2番線ホームは1番線ホームに比べ有効長が短かった[14]。
かつて林業が盛んであった頃は、近隣の山林から切り出した木材の積み出し駅であった。
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外壁改修前の駅舎(2004年8月)
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待合室(2004年8月)
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ホーム(2017年10月)
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駅名標(2017年10月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。なお、1925年(昭和元年)から1955年(昭和30年)および1970年(昭和45年)の数値はいずれも当該年から過去5年間の平均値であり、1日平均はいずれも365で除して算出し括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1911年(明治44年) | 6,847 | (18.7) | [18] | 開通初年度。11月3日から営業。 | |
1912年(大正元年) | 15,651 | (42.8) | |||
1913年(大正2年) | 12,749 | (34.9) | |||
1914年(大正3年) | 10,119 | (27.7) | |||
1915年(大正4年) | 14,500 | (39.6) | |||
1925年(昭和元年) | 11,000 | (30.1) | |||
1935年(昭和10年) | 35,065 | (96.0) | |||
1955年(昭和30年) | 70,494 | (193.1) | |||
1960年(昭和35年) | 65,059 | 178 | [19] | ||
1961年(昭和36年) | 59,416 | 163 | |||
1962年(昭和37年) | 57,288 | 157 | |||
1963年(昭和38年) | 62,442 | 171 | |||
1964年(昭和39年) | 66,687 | 183 | |||
1965年(昭和40年) | 71,827 | 197 | |||
1966年(昭和41年) | 65,966 | 181 | |||
1967年(昭和42年) | 64,370 | 176 | |||
1968年(昭和43年) | 62,735 | 172 | |||
1970年(昭和45年) | 21,695 | (59.4) | [18] | ||
1978年(昭和53年) | 74.0 | [20] | |||
1981年(昭和56年) | (39) | [14] | 乗降人員78人 | ||
1992年(平成 | 4年)(12) | [10] | 乗降人員24人 | ||
2011年(平成23年) | (3) | [21] | 乗降人員6人 | ||
2012年(平成24年) | (5) | 乗降人員10人 | |||
2013年(平成25年) | (4) | 乗降人員8人 | |||
2014年(平成26年) | (5) | 乗降人員10人 | |||
2015年(平成27年) | 「10名以下」 | [JR北 1] | |||
2016年(平成28年) | 5.8 | [JR北 2] | |||
2017年(平成29年) | 5.4 | [JR北 3] | |||
2018年(平成30年) | 4.8 | [JR北 4] | |||
2019年(令和元年) | 3.8 | [JR北 5] | |||
2020年(令和 | 2年)3.6 | [JR北 6] | |||
2021年(令和 | 3年)3.4 | [JR北 7] | |||
2022年(令和 | 4年)3.4 | [JR北 8] | |||
2023年(令和 | 5年)4.0 | [JR北 9] |
駅周辺
[編集]駅前にレンタサイクルがある[17]。周辺には小さな集落がある。
- 北海道道252号美深名寄線
- 天智橋
- 智恵文郵便局
- ピヤシリ牧場[10]
- ひまわり畑 - 東京ドーム2個分の広さである[17]。
- ひぶなの里 ちえぶんパーク[17]
- 智恵文沼 - 駅から北西に約1.0km[14]。地名由来の元となった沼とされている[14]。
- 天塩川
- 智恵文市街地(旧・中川郡智恵文村中心部) - 国道40号沿い。
隣の駅
[編集]- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■宗谷本線
- *:
打消線は廃駅 - **:上り最終列車は智北駅を通過する。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、899頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ a b “鉄道院告示 第92号”. 官報 (大蔵省印刷局) (8510). (1911-10-31). NDLJP:2951867 .
- ^ a b c 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179-180ページより。
- ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)46ページより。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ a b 「風連など停留所化へ 国鉄で合理化 当分は運転要員常駐派遣」『名寄新聞』1984年11月9日。
- ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)149ページより。
- ^ 「国鉄のダイヤ改正 宗谷線の無人化も進む」『名寄新聞』1986年10月31日。
- ^ a b c d e f g h i 宮脇, 俊三、原田, 勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、146頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 『そうやほんせん各駅散歩』始発ちゃんと駅長さん、2024年8月12日。
- ^ a b c d 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)33ページより。
- ^ “アイヌ語地名リスト セッ~ツキガ P71”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)179ページより。
- ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)121ページより。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b c d e f g h 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)209ページより。
- ^ a b 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、1419-1421頁。doi:10.11501/9490573 。2022年6月13日閲覧。
- ^ 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、866-868頁。doi:10.11501/9490573 。2022年9月11日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、887頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
JR北海道
[編集]- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ 「宗谷線(名寄・稚内間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブ 。2017年12月30日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年7月2日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 智恵文|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company