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智恵文駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
智恵文駅
駅舎(2017年10月)
ちえぶん
Chiebun
W49 日進 (11.0 km)
(2.1 km) 智北 W52
地図
所在地 北海道名寄市智恵文十一線
北緯44度27分19秒 東経142度24分53秒 / 北緯44.45528度 東経142.41472度 / 44.45528; 142.41472座標: 北緯44度27分19秒 東経142度24分53秒 / 北緯44.45528度 東経142.41472度 / 44.45528; 142.41472
駅番号 W51
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 91.2 km(旭川起点)
電報略号 チフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度-
10人/日
-2014年-
開業年月日 1911年(明治44年)11月3日[1]
備考 無人駅
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智恵文駅(ちえぶんえき)は、北海道上川総合振興局名寄市智恵文十一線にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。電報略号チフ事務管理コードは▲121822[2]駅番号W51

歴史

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1977年の智恵文駅と周囲約500m範囲の状況。上が稚内方面。千鳥式ホーム2面2線とその外側に貨物積卸用の副本線。駅舎横の名寄側に貨物積卸場と引込み線及びストックヤード。駅裏のストックヤードは既に使用されていない。また島状のホームの副本線側が植栽され、単式ホームとして使用されているのが確認できる。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の由来

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開業時の所在地名(下名寄村字智恵文[3])より。

「智恵文」の名称は現在の智恵文沼のアイヌ語名「チェウントゥ(ciep-un-to)」(魚・入る・沼)に由来し[13][14][15][16]、後年大地名化して村名となり、現在でも字名として用いられている。

駅構造

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単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の西側(稚内方面に向かって左手側、旧1番線)に存在する[10]分岐器を持たない棒線駅となっている[10]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[14]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム北側と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[14]。駅舎側(西側)が下り1番線、対向側ホームが上り2番線となっていた[14]。そのほか対向側ホーム外側への、主に貨物の留置用もしくは山側からの貨物積卸用として副本線を1線[14]、1番線の旭川方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[14]。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲している[10]

名寄駅管理の無人駅。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している[10]有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[12]のヨ4053を改造した貨車駅舎となっている[10]。旧駅舎の基礎の上に設置されている[17]。宗谷本線のほかの貨車駅舎と違い、外壁に華やかな藤色の鋼板が張られている[17]。塗色によるものではなく、完全に新調された外壁で、間隔が細かい波板を使用している[12]。同時に内部も再整備されている模様である[12]。改築当初は他の貨車駅舎と同様の塗色であったが(1993年(平成5年)3月時点ではこの塗色[10])その後外壁にひまわりの絵が描かれた時期[17]を経て現在の外壁となった[17]。駅舎内にトイレを有する[17]。かつての2番線ホームは1番線ホームに比べ有効長が短かった[14]

かつて林業が盛んであった頃は、近隣の山林から切り出した木材の積み出し駅であった。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。なお、1925年(昭和元年)から1955年(昭和30年)および1970年(昭和45年)の数値はいずれも当該年から過去5年間の平均値であり、1日平均はいずれも365で除して算出し括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1911年(明治44年) 6,847 (18.7) [18] 開通初年度。11月3日から営業。
1912年(大正元年) 15,651 (42.8)
1913年(大正2年) 12,749 (34.9)
1914年(大正3年) 10,119 (27.7)
1915年(大正4年) 14,500 (39.6)
1925年(昭和元年) 11,000 (30.1)
1935年(昭和10年) 35,065 (96.0)
1955年(昭和30年) 70,494 (193.1)
1960年(昭和35年) 65,059 178 [19]
1961年(昭和36年) 59,416 163
1962年(昭和37年) 57,288 157
1963年(昭和38年) 62,442 171
1964年(昭和39年) 66,687 183
1965年(昭和40年) 71,827 197
1966年(昭和41年) 65,966 181
1967年(昭和42年) 64,370 176
1968年(昭和43年) 62,735 172
1970年(昭和45年) 21,695 (59.4) [18]
1978年(昭和53年) 74.0 [20]
1981年(昭和56年) (39) [14] 乗降人員78人
1992年(平成04年) (12) [10] 乗降人員24人
2011年(平成23年) (3) [21] 乗降人員6人
2012年(平成24年) (5) 乗降人員10人
2013年(平成25年) (4) 乗降人員8人
2014年(平成26年) (5) 乗降人員10人
2015年(平成27年) 「10名以下」 [JR北 1]
2016年(平成28年) 5.8 [JR北 2]
2017年(平成29年) 5.4 [JR北 3]
2018年(平成30年) 4.8 [JR北 4]
2019年(令和元年) 3.8 [JR北 5]
2020年(令和02年) 3.6 [JR北 6]
2021年(令和03年) 3.4 [JR北 7]
2022年(令和04年) 3.4 [JR北 8]
2023年(令和05年) 4.0 [JR北 9]

駅周辺

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駅前にレンタサイクルがある[17]。周辺には小さな集落がある。

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
日進駅 (W49) - *智東駅 - *北星駅 (W50) - 智恵文駅 (W51) - **智北駅 (W52) - *南美深駅 (W53) - 美深駅 (W54)
*:打消線は廃駅
**:上り最終列車は智北駅を通過する。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、899頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  3. ^ a b “鉄道院告示 第92号”. 官報 (大蔵省印刷局) (8510). (1911-10-31). NDLJP:2951867. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951867/2. 
  4. ^ a b c 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)179-180ページより。
  5. ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)46ページより。
  6. ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日) 
  7. ^ a b 「風連など停留所化へ 国鉄で合理化 当分は運転要員常駐派遣」『名寄新聞』1984年11月9日。
  8. ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社2011年6月発行)149ページより。
  9. ^ 「国鉄のダイヤ改正 宗谷線の無人化も進む」『名寄新聞』1986年10月31日。
  10. ^ a b c d e f g h i 宮脇, 俊三原田, 勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、146頁。ISBN 4-09-395401-1 
  11. ^ 『そうやほんせん各駅散歩』始発ちゃんと駅長さん、2024年8月12日。 
  12. ^ a b c d 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫2007年5月発行)33ページより。
  13. ^ アイヌ語地名リスト セッ~ツキガ P71”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g h i j 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)179ページより。
  15. ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)121ページより。
  16. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  17. ^ a b c d e f g h 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社2008年8月発行)209ページより。
  18. ^ a b 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、1419-1421頁。doi:10.11501/9490573https://doi.org/10.11501/94905732022年6月13日閲覧 
  19. ^ 名寄市役所 編『名寄市史』名寄市、1971年12月1日、866-868頁。doi:10.11501/9490573https://doi.org/10.11501/94905732022年9月11日閲覧 
  20. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、887頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  21. ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧

JR北海道

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  1. ^ 極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
  2. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20171230090453/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/senku/pdf/senku/04.pdf2017年12月30日閲覧 
  3. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2017年7月2日). 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
  4. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
  5. ^ 宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
  6. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  7. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
  8. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
  9. ^ 宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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