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沼川駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沼川駅
ぬまかわ
Numakawa
曲淵 (4.3 km)
(6.2 km) 樺岡
所在地 北海道稚内市大字声問村字沼川
北緯45度15分1.8秒 東経141度50分48.5秒 / 北緯45.250500度 東経141.846806度 / 45.250500; 141.846806
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 121.0 km(音威子府起点)
電報略号 ヌワ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1922年大正11年)11月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
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1977年の沼川駅と周囲約500m範囲。左上が南稚内方面。相対式ホーム2面2線と駅舎横の貨物ホームへ引込み線、駅裏側に副本線とストックヤードを持っているが、扱うべき貨物の姿が無い。かつては駅裏のヤード南側の丁度水路が直角に曲がっている辺りに、馬力線の殖民軌道沼川線の大きな屋根を持つ停留所が置かれ、軌道はさらにヤードを縦断するように伸びていて、幌延奥地の北澤や、豊富奥地の有明方面から運び入れた多くの木材や石炭が周囲に野積みされていた[2]。右下に本線と並行して水路脇を南東に向かう[3]軌道跡が白く残されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

沼川駅(ぬまかわえき)は、北海道宗谷支庁稚内市大字声問村字沼川にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号ヌワ事務管理コードは▲121916[4]

歴史

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駅名の由来

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「付近には『沼』と『川』が相連なっている所が多くあるため[5]」の命名とされている。

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(南稚内方面に向かって右手側)に存在した[10]。そのほか1983年(昭和58年)時点では音威子府方から分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[10]。但し分岐器近くに車止めが置かれていた[10]

かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった外側の1線は交換設備運用廃止後も側線として残っていた。尚、分岐器は両方向とも維持されていたが、分岐器近くに車止めが置かれていた[10]。また本線の南稚内方から分岐した分岐器が撤去され途中に車止めの置かれた行き止まりの側線を1線有していた[10]

無人駅(駅舎内で発券の簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部に接していた。事務室の窓だけアルミサッシとなっており、待合室など他の窓は防寒のためにビニールで覆っていた[10]。1983年(昭和58年)時点の簡易委託の駅務員は植木好きの元漁船長で、駅横になどを植樹していたという[10]

また、1933年(昭和8年)から1964年(昭和39年)まで、駅裏に殖民軌道幌沼線沼川線)の停留場が置かれていた。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1935年(昭和10年) 14,945 (40.8) [11]
1949年(昭和24年) 57,533 (157.6)
1968年(昭和43年) 78,581 (215.3) [12]
1970年(昭和45年) 65,519 (179.5)
1975年(昭和50年) 45,026 (123.4)
1978年(昭和53年) 107 [13]
1980年(昭和55年) 30,447 (83.4) [12]
1985年(昭和60年) 18,557 (50.8)

駅周辺

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小さな集落があり、酪農地帯となっている。駅前道路沿いに民家が並び、駅裏は湿地帯となっていた[10]

駅跡

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2001年(平成13年)時点ではホームと駅名標、駅舎解体後の土台が放置され藪の中で朽ちている状態であった[15]が、その後撤去された。2010年(平成22年)時点では旧駅構内に小公園が整備され、裏手にはホーム跡も残存していた[16]。公園にはレプリカの駅名標と旧駅舎の写真を転写した「旧JR天北線沼川駅舎」と記載されたパネルが設置されている[17]

隣の駅

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北海道旅客鉄道
天北線
曲淵駅 - 沼川駅 - 樺岡駅

簡易軌道幌沼線

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かつて当駅から宗谷本線幌延駅へ、簡易軌道幌沼線(全通時の路線名)が運行されていた。幌延停車場 - 沼川停車場間34.9km。軌間762mm。動力は馬力農業開発が目的であった[18]。戦後の離農者の増加による人口減、及び施設の老朽化、さらに周辺道路の整備に伴い、部分廃止を経て1964年(昭和39年)全線廃止となった[18]

歴史

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  • 1920年代(大正年間)末期 - 幌延停車場 - 北沢停車場間が下エベコロベツ殖民軌道として計画される[19]
  • 1928年(昭和3年) - 殖民軌道幌延線幌延停車場 - 北沢停車場間工事着工[18][19]
  • 1929年(昭和4年)12月24日[20] - 幌延停車場 - 北沢停車場間(13.8km)開通[18][19]
  • 1932年(昭和7年)10月 - 北沢停車場 - 沼川停車場間工事着工(各集落毎の工事開始)[18]
  • 1933年(昭和8年)11月 - 殖民軌道沼川線[19]沼川停車場 - 上福永駅停車場(14.9km)開通[18][19]
  • 1934年(昭和9年)8月 - 沼川線上福永停車場 - 北沢停車場間(6.2km)延伸開通により全線開通(34.9km)[18][19]
  • 1936年(昭和11年) - 幌延線、沼川線が合併、線路名を幌沼線に改称[19][注 1]
  • 1948年(昭和23年)
    • - 幌延方に存在する熊越峠附近の軌道の崩落などで一部区間の運行不能となる[18]
    • - 幌延停車場 - 北沢停車場間廃止[18][19]。線路名を沼川線に改称[19]
  • 1950年(昭和25年) - 北沢停車場 - 有明停車場間廃止[19]
  • 1964年(昭和39年) - 有明停車場 - 沼川停車場間(13.4km)廃止(全線廃止)[18][19][注 2]

廃線跡

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2011年(平成23年)時点では残存施設は無い[19]

脚注

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注釈

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  1. ^ 別説として1938年(昭和13年)3月9日改称説あり(書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)49ページより)。
  2. ^ 別説として1965年(昭和40年)頃全線廃止説あり(書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)49ページより)。

出典

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  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、907頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1949年撮影航空写真USA-R3185-A-1(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 1954年測量5万分の1地形図「沼川」
  4. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  5. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、188-189頁。ASIN B000J9RBUY 
  6. ^ 内閣印刷局, ed (1922-10-27). “鉄道省告示 第144号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3013). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955191/2. 
  7. ^ 内閣印刷局, ed (1922-10-27). “鉄道省告示 第144号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3013). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955191/2. 
  8. ^ 「12駅の無人化など 天北線 興浜北線 17日から合理化実施」『北海道新聞』1973年9月14日、夕刊。
  9. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  10. ^ a b c d e f g h 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)191ページより。
  11. ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729https://doi.org/10.11501/34487292022年8月11日閲覧 
  12. ^ a b 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、729頁。doi:10.11501/9490970https://doi.org/10.11501/94909702022年8月11日閲覧 
  13. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、894頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  14. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
  15. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング2001年8月発行)41-42ページより。
  16. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)19ページより。
  17. ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)251ページより。
  18. ^ a b c d e f g h i j 書籍『北海道の鉄道』(著:田中和夫、北海道新聞社2001年2月発行)227-228ページより。
  19. ^ a b c d e f g h i j k l 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)362-363ページより。
  20. ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)49ページより。

関連項目

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