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敏音知駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
敏音知駅
敏音知駅改札(1989年3月)
ぴんねしり
Pinneshiri
恵野 (3.9* km)
(4.1* km) 周磨
所在地 北海道枝幸郡中頓別町字敏音知
北緯44度52分43秒 東経142度12分44秒 / 北緯44.87861度 東経142.21222度 / 44.87861; 142.21222
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 27.1 km(音威子府起点)
電報略号 ヒネ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1916年大正5年)10月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
テンプレートを表示
1977年の敏音知駅と周囲約500m範囲。左上が中頓別方面。単式ホーム2面2線、駅舎横中頓別側に貨物ホームと引込み線、駅裏側に副本線を持っていた[2]。この時点では既に貨物の取扱が廃止され、駅裏のストックヤードは原野に戻りつつあり、副本線も確認できない。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

敏音知駅(ぴんねしりえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡中頓別町字敏音知にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号ヒネ事務管理コードは▲121904[3]

歴史

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駅名の由来

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当駅付近の頓別川東側に2つの独立峰があり、それぞれアイヌ語で「ピンネシㇼ(pinne-sir)」(男である・山)、「マッネシㇼ(matne-sir)」(女である・山)と対になって呼ばれていた。当駅はそのうち前者から名づけられたものである[6]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された列車交換可能な交換駅であった[7]。互いのホームは駅舎側ホーム北側と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[7]。駅舎側ホーム(南西側)が下り線、対向ホーム(北東側)が上り線となっていた[7]。そのほか上り線の南稚内方から分岐し構内外側への行き止まりの側線を1線有していた[7]

職員配置駅となっており、駅舎は構内の南西側に位置し両ホームとは通路及び構内踏切で連絡した[7]。古い木造ながら、チョコレート色の化粧ベニヤ張りの駅舎であった[7]。ホームの長さは50メートルで、サルビアが植えられている花壇があった[7]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1921年(大正10年) 70 [8]
1935年(昭和10年) 30
1953年(昭和28年) 69
1978年(昭和53年) 24 [9]
1981年(昭和56年) 6 [7] 1日乗降客数12人

駅周辺

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駅跡

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駅跡周辺は、現在「道の駅ピンネシリ」になっている。
敏音知駅のモニュメント

1997年(平成9年)時点では道の駅ピンネシリとして整備されている。オートキャンプ場がありその一角に鉄道を記念するホームが築かれていた[11]。2010年(平成22年)時点[12]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[13]レール枕木は本物であるがホームは模擬であり、そのほか踏切警報機付きの踏切と、「旧 天北線 敏音知駅跡」と刻まれた石碑、路線地図が描かれた駅名標型の案内板も存在している[13]。敏音知岳の登山をする際の入山届手続きも道の駅で行っている。道の駅の向かいにはピンネシリ温泉もある。

隣の駅

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北海道旅客鉄道
天北線
恵野駅 - 敏音知駅 - 周磨駅

脚注

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  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、905頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  4. ^ 内閣印刷局, ed (1916-09-27). “鉄道院告示 第46号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1248). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953359/1. 
  5. ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日) 
  6. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  7. ^ a b c d e f g h i j 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)188ページより。
  8. ^ 中頓別町史 平成9年5月発行 P397/8,855
  9. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、893頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  10. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)16ページより。
  11. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング1997年12月発行)24-25ページより。
  12. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)15-17ページより。
  13. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)244-245ページより。

関連項目

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