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山軽駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山軽駅
山軽駅跡(2011年8月5日)
やまがる
Yamagaru
浜頓別 (6.2 km)
(2.7 km) 安別
所在地 北海道枝幸郡浜頓別町字山軽
北緯45度9分36.9秒 東経142度18分21.1秒 / 北緯45.160250度 東経142.305861度 / 45.160250; 142.305861
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 67.7 km(音威子府起点)
電報略号 ヤル
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年大正8年)11月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
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1977年の山軽駅と周囲約1km範囲。左上が南稚内方面。無人化された後の姿で、既に棒線化されているが、かつては相対式ホーム2面2線と駅舎横の貨物ホームに引込み線、駅裏に副本線とストックヤードを有する普通の駅だった。写真の時点で既に周辺は全くの無人地帯である。木造駅舎はそのまま残されているが、後年プレハブの待合室に置き換えられている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

山軽駅(やまがるえき)は、かつて北海道宗谷支庁枝幸郡浜頓別町字山軽に置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号ヤル事務管理コードは▲121909[2]

歴史

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この地はクッチャロ湖の大沼と小沼を結ぶ運河状の川に面して開かれた開拓地で、駅前の川側に集落が形成された。旧国道は、海側から踏切を通って駅前を通り、また踏切を通って海側へ戻るようにわざわざ曲げられている。クッチャロ湖の周囲を開拓伐採した木材が湖面を渡り、この駅に集積したことから集落は発展した。その後は終戦直後の食糧難時代の農業開拓者受入事業などによって人口も増えたが、木材需要の低迷と農業に適さない気候風土によって、昭和40年代の高度経済成長期に入ると一気に過疎化し、この集落を通らずに真っ直ぐ敷き直された国道周辺に散在する酪農家以外は、全くの無人地帯となった。1971年(昭和46年)度には、当駅の年度乗降客数(1971年4月1日から1972年3月31日までの乗降客の合計)0人を記録している。

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(南稚内方面に向かって左側)に存在した[3]分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては2面2線の相対式ホームを有する、列車交換可能な交換駅であった。

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去され待合所が2棟、ホームから少し離れた位置に建築されていた。ホームは気動車1両分の長さの土盛りであった[3]

駅名の由来

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当駅が所在した地名より。地名は、アイヌ語の「ヤワッカル[4]」〔冷たい・水(~のある、あるいは、~を汲みに行く)・道〕に由来する[5]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1934年(昭和09年) 15 [6]
1951年(昭和26年) 25
1961年(昭和36年) 30
1965年(昭和40年) 27
1971年(昭和46年) 0
1978年(昭和53年) 4 [7]
1981年(昭和56年) 1 [6]

駅周辺

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広大な牧草地、原野が広がっている。

駅跡

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周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」に転用されている[9]

2001年(平成13年)時点ではサイクリングロード沿いにホーム、駅名標、待合所が残存し、待合所はサイクリングの休憩所に再利用されていた[9]。2010年(平成22年)時点でも同様であったが、待合所は2001年時点にあった出入口扉や窓が無くなるなど荒廃していた[10]。ガラスは割れて室内に散乱し、建材の腐敗臭が漂う。また駅前広場に荒れた放置車両があり、景観を著しく乱している。2017年(平成29年)6月時点では熊出没の為、サイクリングロードの当駅跡付近(浜頓別駅跡-安別駅跡間)が立入禁止となっている。

隣の駅

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北海道旅客鉄道
天北線
浜頓別駅 - 山軽駅 - 安別駅
かつて浜頓別駅と当駅との間に北頓別仮乗降場(きたとんべつかりじょうこうじょう)が存在した(開業年月日不詳、1967年(昭和42年)10月1日廃止)。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、906頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ a b c 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、189頁。ISBN 978-4093951012 
  4. ^ アイヌ語ラテン翻字: yam-wakka-ru
  5. ^ アイヌ語地名リスト モク~リ P131-140”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
  6. ^ a b 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010 
  7. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、894頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  8. ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。 
  9. ^ a b 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVIII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、2001年7月、40-42頁。ISBN 978-4533039072 
  10. ^ 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、18頁。ISBN 978-4533078583 

関連項目

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