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声問駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
声問駅
声問駅(1989年3月)
こえとい
Koetoi
恵北 (5.5 km)
(5.0* km) 宇遠内
所在地 北海道稚内市声問5丁目
北緯45度24分11秒 東経141度45分53.1秒 / 北緯45.40306度 東経141.764750度 / 45.40306; 141.764750
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 141.8 km(音威子府起点)
電報略号 コヒ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1922年大正11年)11月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*宇遠内駅とのキロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の声問駅と周囲約500m範囲。左が南稚内方面。千鳥式ホーム2面2線と駅舎横の貨物ホームへ引込み線、駅裏にも貨物ホームと副本線を持っていた。荷物扱い廃止及び無人化後の姿だが、この時点で駅舎横の引込み線が撤去されていたかどうかは不明。この1年後の貨物扱い廃止後、副本線は恵北側の分岐が撤去され、待避用として引込み線化された。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

声問駅(こえといえき)は、北海道宗谷支庁稚内市大字声問村字声問にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。事務管理コードは▲121919[2]

歴史

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駅名の由来

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所在地名より。アイヌ語の「コイトゥイェ(koy-tuye)」(波が・崩す)に由来する。現在の声問川の河口付近で風波によって砂州が崩されていた様子から名付けられた[6][7]

駅構造

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廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは、駅舎側ホーム東側と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた[8]。駅舎側(北側)ホームが上下共用の1番線、対向側ホームが上りの2番線となっていた[8]。そのほか、2番線の南稚内方から対向側ホーム外側に分岐した行き止まりの側線を1線有していた[8]

1973年(昭和48年)から廃止まで、無人駅扱いの運転取り扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の北側(南稚内方面に向かって右側)に位置し、1番線ホーム中央部に接していた[8]。ホームには花壇があり、風が強いために一度温床で苗を育ててから移植していた[8]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1935年(昭和10年) 32,520 (88.9) [9]
1949年(昭和24年) 75,831 (207.8)
1968年(昭和43年) 115,093 (315.3) [10]
1970年(昭和45年) 76,257 (208.9)
1978年(昭和53年) 77 [11]

駅周辺

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駅跡

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2001年(平成13年)時点では空き地となっていた[13]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[14]が、線路跡は国道238号に転用されており、駅跡地は全く分からなくなっている。

2023年11月現在の駅跡(左側に写っている建物は当駅廃止時点でも存在した。)

その他

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1987年(昭和62年)4月時点で、当駅を発着駅とする区間列車が上下1本(稚内駅 - 当駅間、下りは休日運休、上りは声問駅 - 南稚内駅間休日運休)設定されていた(1987年(昭和62年)3月20日改定の時刻[15])。

隣の駅

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北海道旅客鉄道
天北線
恵北駅 - (臨)東声問駅 - 声問駅 - 宇遠内駅

脚注

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  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、907頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ a b 内閣印刷局, ed (1922-10-27). “鉄道省告示 第144号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3013). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955191/2. 
  4. ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日) 
  5. ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
  6. ^ アイヌ語地名リスト キト~コム P41-50P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
  7. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、161-162頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  8. ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)191ページより。
  9. ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729https://doi.org/10.11501/34487292022年8月11日閲覧 
  10. ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、729頁。doi:10.11501/9490970https://doi.org/10.11501/94909702022年8月11日閲覧 
  11. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  12. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
  13. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング2001年8月発行)42ページより。
  14. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)19ページより。
  15. ^ 時刻表『JNR編集 時刻表 1987年4月号』(弘済出版社1987年4月発行)508-509ページより。

関連項目

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