声問駅
声問駅 | |
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声問駅(1989年3月) | |
こえとい Koetoi | |
◄恵北 (5.5 km) (5.0* km) 宇遠内► | |
所在地 | 北海道稚内市声問5丁目 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 141.8 km(音威子府起点) |
電報略号 | コヒ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 |
天北線廃線に伴い廃駅 *宇遠内駅とのキロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった) |
声問駅(こえといえき)は、北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字声問にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲121919[2]。
歴史
[編集]- 1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線の鬼志別駅 - 稚内駅(現在の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業[3]。一般駅[3]。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し路線名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1973年(昭和48年)9月17日 - 荷物の取り扱いを廃止[4]。貨物は接続専用線車扱貨物のみ取り扱い。出札・改札業務を停止し、旅客業務については無人[5](簡易委託)化(駅前の商店)。
- 1978年(昭和53年)10月2日 - 接続専用線車扱貨物取り扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。アイヌ語の「コイトゥイェ(koy-tuye)」(波が・崩す)に由来する。現在の声問川の河口付近で風波によって砂州が崩されていた様子から名付けられた[6][7]。
駅構造
[編集]廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは、駅舎側ホーム東側と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた[8]。駅舎側(北側)ホームが上下共用の1番線、対向側ホームが上りの2番線となっていた[8]。そのほか、2番線の南稚内方から対向側ホーム外側に分岐した行き止まりの側線を1線有していた[8]。
1973年(昭和48年)から廃止まで、無人駅扱いの運転取り扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の北側(南稚内方面に向かって右側)に位置し、1番線ホーム中央部に接していた[8]。ホームには花壇があり、風が強いために一度温床で苗を育ててから移植していた[8]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1935年(昭和10年) | 32,520 | (88.9) | [9] | |
1949年(昭和24年) | 75,831 | (207.8) | ||
1968年(昭和43年) | 115,093 | (315.3) | [10] | |
1970年(昭和45年) | 76,257 | (208.9) | ||
1978年(昭和53年) | 77 | [11] |
駅周辺
[編集]- 国道238号(宗谷国道)[12]
- 北海道道121号稚内幌延線
- 稚内警察署声問駐在所
- 声問郵便局
- 道立宗谷ふれあい公園
- 稚内市立声問小学校
- 緑ヶ丘学園
- 大沼球場
- 明治乳業株式会社稚内工場
- オホーツク海 - 駅から約0.2km。夏にはサハリンが望めた[8]。
- 声問川
- 大沼
- 宗谷バス「声問」停留所
駅跡
[編集]2001年(平成13年)時点では空き地となっていた[13]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[14]が、線路跡は国道238号に転用されており、駅跡地は全く分からなくなっている。
その他
[編集]1987年(昭和62年)4月時点で、当駅を発着駅とする区間列車が上下1本(稚内駅 - 当駅間、下りは休日運休、上りは声問駅 - 南稚内駅間休日運休)設定されていた(1987年(昭和62年)3月20日改定の時刻[15])。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、907頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1922-10-27). “鉄道省告示 第144号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3013) .
- ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日)
- ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
- ^ “アイヌ語地名リスト キト~コム P41-50P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、161-162頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)191ページより。
- ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729 。2022年8月11日閲覧。
- ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、729頁。doi:10.11501/9490970 。2022年8月11日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)42ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)19ページより。
- ^ 時刻表『JNR編集 時刻表 1987年4月号』(弘済出版社、1987年4月発行)508-509ページより。