土倉勝看
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 元亀3年(1572年) |
死没 | 寛永14年11月21日(1638年1月6日) |
官位 | 市正 |
主君 | 池田利隆→光政 |
藩 | 因幡鳥取藩→備前岡山藩 |
氏族 | 土倉氏 |
父母 | 父:岩田小左衛門、養父:土倉貞利 |
妻 | 村上周防守娘 |
子 | 一成 |
土倉 勝看(とくら かつみ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。池田家の家老。備前国佐伯土倉家初代当主。
生涯
[編集]元亀3年(1572年)、滝川一益の家臣・岩田小左衛門の子として尾張国にて誕生し、池田家家老・土倉貞利の養子となる。
天正18年(1590年)、小田原征伐に出陣する。慶長2年(1597年)、26歳で養父・貞利の家督を相続する。元和2年(1616年)、藩主池田光政が幼くして家督相続し、鳥取に転封されると、光政を補佐して日置忠俊と共に藩政を司った。寛永9年(1632年)、光政の岡山転封に伴って、備前磐梨郡佐伯に移り、陣屋を構えて代々知行した。
寛永14年(1637年)11月21日、死去。享年66。
『常山紀談』に、池田光政から御使番の人選を相談され、日頃不仲の中村忠左衛門を推挙した、公正な人柄を物語る逸話が記載されている。
出典
[編集]- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』