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土倉光三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土倉光三郎

土倉 光三郎(とくら みつさぶろう、明治3年3月20日1870年4月20日) - 1942年昭和17年)3月7日[1])は、明治から昭和戦前期の華族男爵)。備前岡山藩家老家(佐伯1万石領主)であった土倉家当主。

生涯

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1870年(明治3年)、元美作勝山藩三浦義次の三男として生まれる[1][2]

1881年(明治14年)、土倉万亀(土倉正彦夫人)の養子となり土倉家を相続した[1][2]。土倉家には先に兄(三浦義次の次男)の鉚太郎が入って当主を務めていたが、1879年(明治12年)に離縁となっており[1]、光三郎による相続までは万亀が女戸主を務めていた[1]

1906年(明治39年)9月17日、男爵に叙され華族に列した[1]1942年(昭和17年)没。

家族・親族

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妻は、男爵(元岡山藩家老)池田政和の長女の盈(みつる[1][3])。盈は万亀(政和の姉)の姪にあたる[4]

『平成新修旧華族家系大成』は1男1女を掲載する。光三郎の死後、1943年(昭和18年)に孫の土倉一郎が爵位を継承し、その後の華族制度廃止を迎えた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下、p.177
  2. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下、p.668
  3. ^ 池田家側の系図(『平成新修旧華族家系大成』上、p.107)では「盈子」とある
  4. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上、p.107

参考文献

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
土倉家初代
1906年 - 1942年
次代
土倉一郎
当主
先代
土倉万亀
佐伯土倉家
1881年 - 1942年
次代
土倉一郎