仮面浪人
仮面浪人(かめんろうにん)とは、学校に入学・在籍しながら、他学校または他学部の再受験を目指す浪人の一種[1]。
概要
[編集]「仮面」とは学校に在籍しながら他の学校を目指して受験勉強をする立場を指していい、その「仮面」をつけて現役で進学した人よりも1年以上遅れて入学しようとする者である[2]。すなわち「学校在籍者」でありながら浪人を行うことを言う。仮面浪人は、日本のみならず受験戦争が激しい韓国や中国でも近年散見される[3][4]。東京大学合格者に対する調査によれば、多浪での合格者の多くが2浪目または3浪目から予備校での浪人から仮面浪人に切り替えている[5]。
メリット
[編集]- 本来は志望校ではない学校の学生・生徒であったとしても、学生・生徒としての社会的地位を得られる[2]。
- 学生・生徒の立場を確保しながら、次年度の入試で第一志望の学校を目指せる[2]。
- 結果的に失敗に終わっても、在籍校に残って卒業を目指せる[2]。
- 大学生活を体験することができる[2]。
デメリット
[編集]- 「学生・生徒」と「浪人生」の中間という中途半端な状態となるため、在籍校の勉強をしながら志望校の受験勉強をする必要があり、二重に負担が掛かる[2]。
- 確実に合格するために在籍校を捨て石にする場合はこの限りではないが、その覚悟で勉強しても確実に合格できるとは限らず、結果的には受験に失敗した上に、在籍校においても留年ないしは退学するに至るという二重のデメリットをはらむ可能性がある。
- 費用がかさむ[2]。志望校に合格して在籍校を退学した場合、その在籍校への入学の際に納入した学費等は基本的に返還されない。むしろ、新入学先の学校(以下「新入学校」)に入学金や授業料などを支払わなければならないため、その分経済的な負担が大きい。
- 友人関係やモチベーションの維持が難しい[2]。
- 仮面浪人する在籍校に入学したかった人の合格枠を奪うという倫理的な問題[6]。
- 元在籍校での在学期間が長いほど新入学校への入学年齢が本来の学生・生徒よりも高くなるため、入学後の学校生活などに影響を及ぼす場合がある。また卒業時における年齢も高くなるため[注釈 1]、就職活動などに影響を及ぼす場合がある。
仮面浪人をせざる得ない例
[編集]在籍校や志望校などの性質上、やむを得ず仮面浪人をせざる得ない場合も存在する。
- 大学(短期大学を含む)卒業後に専修学校専門課程(以下「専門学校」)に入学する場合は高等学校卒業者等(以下「高卒等」)として1年次から入学し直す形になるため、結果として仮面浪人をしたことになる。
- 高等専門学校(高専)の第3学年修了者においては高卒等に相当し[注釈 2]、大学など上位の学校を受験することができるが、第4学年または第5学年在学者であっても第3学年修了者として受験する扱いになるため[注釈 3]、やはりこの場合も仮面浪人ということになる。
仮面浪人と呼ばれない例
[編集]大学受験予備校の本科(「大学受験科」「高卒生コース」など)は翌年に大学を目指す高卒等が対象であり、中には専修学校一般課程または各種学校のものも存在し[注釈 4]、それらの学校の在籍者からすれば同一入学資格の学校を目指すことになるが、それでも仮面浪人ではなく「受験浪人」などと呼ばれるのが一般的である。
その他の用法
[編集]仮面浪人は学校に在籍しながら他校の入学試験を目指すことだが、社会人として働きながら学校への入学を目指すことを「職場仮面浪人」と呼ぶことがある[7]。また、組織に所属(あるいは内々定を受諾)しながら他組織への転職活動を行っている場合は「仮面就活」と呼ばれることもある[8]。
歴史
[編集]「仮面浪人」という形態自体は古くから存在した。著名な事例として1921年(大正10年)に杉之原舜一が京都帝国大学法学部から東京帝国大学法学部を受験し合格したが、京大法学部教授会が杉之原を放校処分とし、東大も杉之原の入学を取り消した事件がある[9]。大正デモクラシーの影響下で読売新聞がこの事件を取り上げ、行き場を失った学生に同情的な意見が出た[9]。杉之原は京大法学部長の助力で最終的に京大に復学し、後に民法学者となっている[9]。杉之原によれば京大生の東大再受験は当時でも珍しくはなかったという[9]。
一説に「仮面浪人」という言葉は1970年代後半から使われ始めたとされる[6]。それ以前は「潜在浪人」「在籍浪人」などという呼称があった[10][11]。教育ジャーナリストの小林哲夫によると1979年当時、大学に在籍しながら浪人する者は一定数居たものの「仮面浪人」という言葉は聞いたことがなかったとしている[12]。受験戦争が激化した1980年代になると、多くの大学で仮面浪人が見られるようになった[13]。
ある大学に在籍したまま、他大学に入学を希望して受験勉強を続ける、いわゆる潜在浪人といわれる変則的なものがある。この実数は明確ではない。東大受験生の何割かは、この変則的な浪人であるという話を聞いたこともある。 — 後藤誠也、『浪人に関する一考察』(1961年)
このように大学に一応在籍しながら他大学への再受験をめざす"在籍浪人"は以前からいることはいたが、 (略) — 本多二朗、『共通一次試験を追って』(1980年)
いったんは大学に入ったものの、実体は他大学を受けるための浪人生活をしている「仮面浪人」が増加しているともいう。 — 鶴蒔靖夫、『学校教育は死んだ プライベートスクールの研究』(1983年)
1981年の『サンデー毎日』は「広島大キャンパスの"仮面浪人"たち 在学していても心は東大・京大へ」と題して広島大学における仮面浪人を特集した記事を組んでいる[14]。1990年代になると『東京大学物語』などの漫画で仮面浪人をする生徒が描写された[6]。2000年代になると東京大学に不合格となった学生が多い早稲田大学で「仮面浪人サークル」が立ち上げられるなど一部大学で定着するようになっていた[15]。駿台予備学校の推計によれば2007年に約1万7千人だった再受験生が、2013年には約3万8千人に増加しており、浪人が減少する一方で仮面浪人は増加傾向にあると報じられている[16]。とりわけ2010年代以降の仮面浪人の増加は、私立大学の入学定員の厳格化に伴って有名大学の不合格者が増加したためとされ、近年は仮面浪人が3万人程度いるという推定もある[17]。
かつては短期大学(学校教育法(以下「法」)第108条第2項)や高等専門学校(法第122条)と異なり、以下の学校・課程[注釈 5]については卒業・修了しても大学の学部への編入学が認められていなかった。そのため、在学生が学部を目指す場合、高卒等として1年次から入学し直す必要があり、結果として仮面浪人をせざる得なかった。
- 専門学校 - その後、1998年の法改正により適用(法第132条)。なお、法改正後も大学側の判断により編入学が認められない場合があり、その場合は1年次から入学し直すために仮面浪人をする必要がある。
- 下記の学校の各専攻科 - その後、2015年の法改正により適用。括弧内は適用後。
著名な仮面浪人経験者
[編集]学者
[編集]- 小柴昌俊(物理学者) - 東京明治工業専門学校(現・明治大学理工学部)で仮面浪人して第一高等学校へ
- 西成活裕(数理物理学者) - 早稲田大学理工学部で仮面浪人して東京大学理科一類へ[18]
- 石黒一憲(法学者) - 京都大学で仮面浪人して東京大学へ
- 石黒圭(言語学者) - 北海道大学で仮面浪人して一橋大学社会学部へ
- 三好行雄(国文学者) - 九州帝国大学理学部で仮面浪人して、東京大学へ
- 磯田道史(歴史学者) - 京都府立大学で仮面浪人して慶應義塾大学文学部へ
- 山口昌男(文化人類学者) - 青山学院大学で仮面浪人して東京大学へ
- 小熊英二(社会学者) - 名古屋大学理学部で仮面浪人して東京大学へ
- 若泉敬(政治学者) - 明治大学で仮面浪人して東京大学法学部へ
- 小島茂(社会学者) - 東京外国語大学で仮面浪人して一橋大学へ
- 佐藤良明(文学者) - 東北大学で仮面浪人して東京大学へ
- 中田考(イスラム学者) - 早稲田大学政治経済学部で仮面浪人して東京大学文科三類へ
- 中野聡(歴史学者) - 早稲田大学法学部で仮面浪人して一橋大学法学部へ
- 中村吉治(歴史学者) - 京都帝国大学で仮面浪人して東京帝国大学へ
政治・行政
[編集]- 小林鷹之(政治家)- 慶應義塾大学経済学部で仮面浪人して東京大学文科一類へ
- 仁坂吉伸(政治家、元和歌山県知事) - 京都大学で仮面浪人して東京大学へ
- 小西洋之(政治家) - 徳島大学医学部で仮面浪人し東京大学教養学部へ
- 新井将敬(政治家) - 東京大学理科一類で仮面浪人して東京大学文科一類へ
- 金子洋一(政治家) - 早稲田大学で仮面浪人して東京大学へ
- 熊坂義裕(政治家) - 東北大学で仮面浪人して弘前大学医学部へ
- 小寺次郎(外交官) - 東京外国語大学で仮面浪人して一橋大学へ
- 小林剛也(官僚) - 東京水産大学で仮面浪人し早稲田大学政治経済学部へ
- 杉本和行(官僚) - 京都大学で仮面浪人し東京大学へ
- 武村正義(政治家) - 名古屋大学で仮面浪人して東京大学へ
- 中川昭一(政治家) - 慶應義塾大学経済学部で仮面浪人して東京大学文科一類へ
- 村田吉隆(政治家) - 東京外国語大学で仮面浪人し京都大学法学部へ
- 山本忠通(外交官) - 早稲田大学理工学部を中退し東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部へ
- 臥雲義尚(政治家) - 早稲田大学経済学部で2年間仮面浪人し東京大学へ
- 浅川雅嗣(官僚) - 早稲田大学で仮面浪人し東京大学へ[19]
法曹
[編集]経済
[編集]- 安部敏樹(起業家) - 横浜国立大学経済学部で仮面浪人し東京大学文科Ⅱ類へ
- 臼井興胤(実業家) - 防衛大学校で仮面浪人し一橋大学商学部へ
- 斎藤英四郎(実業家) - 神戸商業大学で仮面浪人して東京帝国大学経済学部へ
- 袴田武史(起業家) - 上智大学理工学部で仮面浪人して名古屋大学工学部へ
- 穂刈正樹(起業家) - 信州大学教育学部で仮面浪人して横浜国立大学経営学部へ
作家・出版
[編集]- 菊池寛(作家) - 東京高等師範学校退学、明治大学退学、早稲田大学(徴兵逃れ)を経て第一高等学校へ
- 江上英樹(編集者) - 早稲田大学で仮面浪人して東京大学へ
- 遠藤周作(作家) - 上智大学で仮面浪人して慶應義塾大学文学部へ
- 河合敦(歴史研究家) - 桜美林大学経済学部で仮面浪人して青山学院大学史学科へ
- 小島一志(編集者) - 立教大学で仮面浪人して早稲田大学へ
- 中原中也(詩人) - 中央大学で仮面浪人して東京外国語大学へ
- 堀井憲一郎(フリーライター) - 仮面浪人を含む3浪を経て早稲田大学第一文学部へ
- 加藤志異(絵本作家) - 3浪を経て明治大学文学部へ進学するも仮面浪人して早稲田大学第二文学部へ
報道
[編集]- 田原総一朗(ジャーナリスト) - 早稲田大学第二文学部で仮面浪人して早稲田大学第一文学部へ
- 菅沼栄一郎(朝日新聞記者) - 慶應義塾大学で仮面浪人して東京大学へ
- 中島静佳(アナウンサー) - 龍谷大学で仮面浪人して千葉大学へ
- 斉藤一也(アナウンサー) - 早稲田大学で仮面浪人して東京大学へ
- 高瀬耕造(アナウンサー) - 関西の大学で仮面浪人して早稲田大学へ
- 植村智子(アナウンサー) - 某大学で仮面浪人して早稲田大学人間科学部へ
芸術・芸能
[編集]- 水野良樹(ミュージシャン、いきものがかり) - 明治大学政治経済学部で仮面浪人して一橋大学社会学部へ[20]
- 佐々木蔵之介(俳優) - 東京農業大学で仮面浪人して神戸大学農学部へ
- 三浦奈保子(アイドル)- 早稲田大学法学部で仮面浪人して東京大学文科三類へ
- 草野マサムネ(ミュージシャン) - 東京造形大学で仮面浪人して武蔵野美術大学へ
- タケカワユキヒデ(歌手) - 横浜国立大学で仮面浪人して東京外国語大学へ
- 丹下健三(建築家) - 日本大学芸術学部で仮面浪人して東京帝国大学建築科へ
- 日比野克彦(美術作家) - 多摩美術大学で仮面浪人して東京芸術大学へ
- 布施英利(芸術家)- 千葉大学教育学部で仮面浪人して、東京芸術大学美術学部へ
- 山本コウタロー(歌手) - 上智大学で仮面浪人して一橋大学へ
医学・教育
[編集]- 荒川英輔(医師) - 東京大学教育学部で仮面浪人して東北大学医学部へ
- 榎木英介(病理医) - 早稲田大学理工学部で仮面浪人して東京大学理科二類へ[21]
- 佐藤忠志(予備校講師) - 立教大学で仮面浪人して慶應義塾大学へ
- 佐藤東洋士(学校法人桜美林学園理事長)- 慶應義塾大学経済学部を中退後、桜美林大学文学部へ
- 濱井正吾(Youtuber) - 龍谷大学経済学部で仮面浪人した後、社会人を経て早稲田大学教育学部へ[7]
スポーツ
[編集]皇族
[編集]失敗・断念した著名な人物
[編集]- 松岡洋右(外交官) - 明治法律学校(明治大学の前身)で仮面浪人して東京帝国大学を目指したが外交官試験に目標変更
- 山田真貴子(官僚)- 早稲田大学法学部で仮面浪人して東京大学文科一類を受験するも失敗[24]
- 土井敏邦(ジャーナリスト)- 広島大学で医学部を目指して仮面浪人をしたが失敗[25]
- 井上ひさし(作家) - 上智大学で仮面浪人し弘前大学医学部と岩手医科大学を目指すも失敗
- 岡田龍太郎(俳優) - 同志社大学商学部で仮面浪人し東京大学を目指すも失敗[26]
- 徳井義実(お笑い芸人)- 花園大学で仮面浪人して関関同立を目指すも失敗[27]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “今どきの仮面浪人 SNSで交流、支え合いも”. 日本経済新聞電子版. 日本経済新聞 (2024年11月4日). 2024年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “仮面浪人とは?メリット・デメリットや今のうちに考えておくべきポイントを紹介”. 個別指導塾スタンダード (2024年3月11日). 2023年5月29日閲覧。
- ^ “韓国医大ブームで…今年の大学修学能力試験 「仮面浪人」受験者9万人で過去最多”. 中央日報日本語版. 中央日報 (2024年10月23日). 2024年12月29日閲覧。
- ^ 中島恵 (2024年6月6日). “じつはいま中国で“仮面浪人生”が増えていた…「受験戦争」に格差が広がる衝撃の現状”. 現代ビジネス. 講談社. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “【受験生応援2023】浪人生「進捗なし」を防ぐ工夫とは? 仮面浪人どうして決意? 現役東大生31人へのアンケートと取材で探る”. 東大新聞オンライン. 東京大学新聞社 (2023年5月29日). 2024年12月30日閲覧。
- ^ a b c 小林哲夫 (2024年12月21日). “「年内入試」の増加は、浪人生に逆風 今後、「浪人」はどうなるのか”. 朝日新聞Thinkキャンパス. 朝日新聞. 2024年12月29日閲覧。
- ^ a b 白石圭 (2022年2月17日). “31歳の早稲田大4年生 コンプレックスに翻弄された「地獄の仮面浪人生活」を経て得られたものとは”. AERAdot. 朝日新聞出版. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “内定辞退したあの会社 もう一度行ってもいいの?”. 日本経済新聞. (2016年6月29日)
- ^ a b c d 尾原宏之 (2024年7月10日). “「仮面浪人」は許される行為なのか?――「東大を再受験した京大生」が引き起こした100年前の大論争”. デイリー新潮. デイリー新潮. 2024年12月29日閲覧。
- ^ 後藤誠也 1961, p. 1.
- ^ 本多二朗 1980, p. 69.
- ^ 小林哲夫 [@vys03470] (2024年8月21日). "これまたご教示、感謝。わたしが受験した1979年(共通一次スタート年)、仮面浪人という言葉は聞いたことがなく、1980年代に入ってちらほら耳にするようになりました。古い「螢雪時代」を引っ張り出してみます。". X(旧Twitter)より2024年12月29日閲覧。
- ^ 鶴蒔靖夫 1983, p. 78.
- ^ 『サンデー毎日』1981年2月, 毎日新聞出版
- ^ 黒島暁生 (2024年12月27日). “「早稲田大学は「本当は違う第一志望があって、満足していない人が集まる場所」…? “仮面浪人サークル”創設者として受験生を応援し続ける男性が明かした“学歴”についての“意外な考え””. Yahoo!ニュース. 文春オンライン. 2024年12月29日閲覧。
- ^ 川口昌人 (2013年4月2日). “今年はおよそ4万人? 仮面浪人激増の理由”. PRESIDENT Online. プレジデント. 2024年12月29日閲覧。
- ^ 週刊ダイヤモンド編集部 (2018年8月29日). “「仮面浪人生」激増中!私大が入学定員数を厳格化した余波で”. DIAMOND online. 週刊ダイアモンド. 2024年12月29日閲覧。
- ^ 西成活裕 (2024年12月25日). “東京大学大学院教授 西成活裕さん”. 日経電子版. 日本経済新聞. 2024年12月29日閲覧。
- ^ 『過去最長の財務官(2)内閣官房参与兼財務省顧問浅川雅嗣さん(人間発見)』日本経済新聞 2019/10/29 夕刊 2頁
- ^ 水野良樹 (2008年1月20日). “よっちゃんの受験生活~前編~”. いきものがかり よっちゃんのつぶやき. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “榎木英介について”. 病理医、科学・医療ウォッチャー榎木英介. 2021年12月1日閲覧。
- ^ 宮脇博久 (2024年4月29日). “受験連敗、仮面浪人…高校“未経験”も「清原さんがいる」 全国準V逸材の絶えなき情熱”. ライブドアニュース. Full-Count. 2024年12月29日閲覧。
- ^ 女性自身編集部 (2024年10月22日). “悠仁さま“本命候補”大学の自己推薦入試にお姿を見せず…浪人も辞さない「ガチ受験」の可能性”. WEB女性自身. 光文社. 2024年12月29日閲覧。
- ^ 『週刊文春』2021年3月4日号, 文藝春秋, p.24-25
- ^ 土井敏邦 (2009年7月9日). “インタビュー「パレスチナと私」”. 土井敏邦Webコラム. 2024年12月29日閲覧。
- ^ “[誕生日]俺の人生マンガで描いてみた”. YouTube. りゅうちゅーぶ (2019年12月27日). 2019年12月27日閲覧。
- ^ “徳井義実”. モデルプレス. モデルプレス. 2024年12月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 伊藤美奈子「不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討」『青年心理学研究』第7巻、1996年、30-41頁、CRID 1390001205280350464、doi:10.20688/jsyap.7.0_30。
- 後藤誠也「浪人に関する一考察」『教育社会学研究』第16巻、1961年10月20日、86-98頁、doi:10.11151/eds1951.16.86。
- 鶴蒔靖夫『学校教育は死んだ プライベートスクールの研究』IN通信社出版部、1983年6月。全国書誌番号:84021526。
- 本多二朗『共通一次試験を追って』評論社〈評論社の現代選書 33〉、1980年12月。全国書誌番号:81010336。