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坪憲章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坪憲章
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県宝塚市
生年月日 (1951-12-29) 1951年12月29日(72歳)
所属団体 日本中央競馬会
初免許年 1983年(1985年開業)
経歴
所属 戸山為夫(1975年-1983年、厩務員→調教助手)
栗東T.C.(1983年-2017年、調教師)
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坪 憲章(つぼ のりあき、1951年12月29日 - )は、日本中央競馬会に所属した元調教師栗東トレーニングセンター所属)。兵庫県宝塚市出身。

主な管理馬に1992年の朝日杯3歳ステークスに優勝したエルウェーウィン、1987年から1989年まで3年連続でJRA賞最優秀アラブに選出されたアキヒロホマレ重賞4勝を挙げたムービースターなどがいる。同会騎手・調教師の坪重兵衛は父、調教師の坪正直は叔父[1]

経歴

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1951年、国営競馬(のち日本中央競馬会)騎手・坪重兵衛(のち調教師)の息子として生まれる。阪神競馬場の厩舎内で育ちながら乗馬経験もなかったが、宝塚高等学校[2]2年次より将来の職業として調教師を意識し始める[3]。高校卒業後は北里大学獣医学部に進学[1]。在学中に重兵衛が死去[3]、卒業後の1975年より栗東トレーニングセンターの戸山為夫厩舎に入った[1]

厩務員から調教助手を経て、1983年に調教師免許を取得。当年7人が同時合格し、管理馬房に空きがなかったため、しばらく技術調教師(研修中の状態)として過ごした。翌1984年にくじ引きで2人が開業し、坪は1985年より開業した[2]。1987年、アラブアキヒロホマレが6勝を挙げ最優秀アラブに選出。同年、年間23勝を挙げた坪も優秀調教師賞を受賞した。翌1988年には同馬がセイユウ記念を制し、厩舎の重賞初勝利を挙げた。1992年12月にはエルウェーウィン朝日杯3歳ステークスを制し、GI競走を初制覇を果たした。同馬はその後長く低迷したが、1996年秋のアルゼンチン共和国杯で復活勝利を挙げ、約3年11カ月という最長間隔での複数重賞勝利記録(当時)を樹立した[4]

エルウェーウィン以降は重賞勝利から遠ざかっており、年間勝利数でも2007年以降は一桁台の成績が続いていた。

2017年2月28日付けで調教師を引退した[5]

成績

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主な管理馬

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※括弧内は坪管理下における優勝重賞競走。

GI競走優勝馬

その他重賞競走優勝馬

受賞歴

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出典:日本中央競馬会公式サイト・調教師名鑑「坪憲章」

関連項目

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  • 橋田満 - 日本中央競馬会調教師。宝塚高等学校の同窓生[2]

出典

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  1. ^ a b c 『優駿』1989年3月号、
  2. ^ a b c 『優駿』1985年9月号、pp.73-74
  3. ^ a b 芦谷(1999)p.236
  4. ^ 『優駿』1997年1月号、p.161
  5. ^ 調教師4名、武 幸四郎・田中 博康騎手が引退日本中央競馬会、2017年2月9日閲覧

参考文献

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  • 芦谷有香『栗東厩舎探訪記(1) 』(翔雲社、1999年)ISBN 978-4921140021
  • 『優駿』1985年9月号(日本中央競馬会)
    • 今井昭雄「厩舎ぶらり歩き - 船出のとき 橋田満調教師」
  • 『優駿』1989年3月号(日本中央競馬会)
    • 「杉本清の競馬談義・第48回 - 坪憲章調教師」