コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

埼玉県立上尾高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
埼玉県立上尾高等学校
地図北緯35度59分3秒 東経139度34分34.4秒 / 北緯35.98417度 東経139.576222度 / 35.98417; 139.576222座標: 北緯35度59分3秒 東経139度34分34.4秒 / 北緯35.98417度 東経139.576222度 / 35.98417; 139.576222
過去の名称 共立上尾商業高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 埼玉県の旗 埼玉県
校訓 文武不岐、自主自律
設立年月日 1958年
創立記念日 11月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制・定時制
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科、商業科
学期 3学期制
学校コード D111210000441 ウィキデータを編集
高校コード 11163F
所在地 362-0073
埼玉県上尾市浅間台1-6-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

埼玉県立上尾高等学校(さいたまけんりつあげおこうとうがっこう)は、埼玉県上尾市浅間台にある男女共学の高等学校。通称、「上高」(あげこう)。エレベーターやスロープが設置されており、バリアフリー構造となっている。

設置学科

[編集]
  • 全日制
  • 定時制
    • 普通科 (1クラス×4学年)(組なし)(全日制1年1-4組と教室共有)

沿革

[編集]
1965年頃の上尾高等学校とその周辺。周囲は武蔵野の雑木林や耕地が広がる。校庭にはアカマツの大木も見られる。
  • 1958年(昭和33年)
    • 1月 - 学校の設立を認可。また、初代校長(福岡鶴吉校長)を内定する[1][2]
    • 4月 - 学校事務組合(北足立郡上尾町(現上尾市)、桶川町(現桶川市)、伊奈村(現伊奈町)の2町1村)共立上尾商業高等学校創設[1]。校舎は上尾中学校を間借りした。普通科と商業科の二科を設置。
    • 10月15日 - 工費1500万円をかけてRC二階建て校舎が完成し、上尾中学校より現在地に移転する[1]
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 埼玉県へ管理運営移管。校名を埼玉県立上尾高等学校と改称[1]
  • 1961年(昭和36年) -
    • 月日不明 - 中央小学校を間借りしていた[1]埼玉県立浦和高等学校上尾分校(定時制課程普通科)を併合。
    • 4月20日 - 総工費2500万円をかけて体育館兼講堂、家庭科教室、柔剣道場などが完成し、県立移管ならびにその完成記念祝賀会や校庭の披露が行なわれる[1][3]。また、翌日に校歌の発表会があり、県警によるブラスバンド演奏が実施される。
  • 1963年(昭和38年)2月12日 - 昨年3月より着工していた鉄筋四階建ての新校舎が同年1月落成され、落成式が10時より挙行された。工費は6000万円であった[1]
  • 1988年(昭和63年)12月 - 校地の東側にJR北上尾駅が開業する。
  • 1990年(平成2年) - 各学年10学級(各学年普通科7学級、商業科3学級)計30学級となる。
  • 2007年(平成19年) - 創立50周年記念式典を開催。

部・同好会

[編集]

野球部は1970年代の中頃から1980年代の中頃を中心に甲子園へ7回(夏4回、春3回)出場の実績がある[4]。創部と同時に元プロ野球選手[5]野本喜一郎を招聘して強化が進められ、山崎裕之を擁して1963年春(第35回)に初出場した。1975年夏(第57回)では、今太(こん・ふとし)投手を擁し、高知県の土佐高校や神奈川県の東海大相模高校などを下してベスト4に進出した[4]。野本の退任後、1984年夏の(第66回)にも出場を果たしたが、それ以降は甲子園からは遠ざかっている。

出場回
1963年春(第35回)、1974年夏(第56回)、1975年夏(第57回)、1979年夏(第61回)、1980年春(第52回)、1982年春(第54回)、1984年夏(第66回

著名な卒業生

[編集]

野球

[編集]

ソフトテニス

[編集]

バドミントン

[編集]

その他

[編集]

芸能

[編集]

政治家

[編集]

最寄り駅

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日、685-689頁。 
  2. ^ 原典は『朝日新聞』埼玉版 昭和33年1月31日。
  3. ^ 原典は『毎日新聞』埼玉版 昭和36年4月21日。
  4. ^ a b 森岡浩『高校野球甲子園全出場校大事典』東京堂出版、2000年、80-81頁。ISBN 978-4490105414 
  5. ^ 柳川事件によるプロアマ断絶以前だった。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]