塩谷明正
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 元禄6年(1693年) |
死没 | 宝暦7年7月26日(1757年9月9日) |
別名 | 八太夫、平八郎 |
戒名 | 日信[1]、日行[2] |
氏族 | 塩谷氏 |
父母 | 父:塩谷吉正 |
妻 | 鈴木氏女 |
子 | 奉正、正澄[3]、酒井忠辰[4] |
塩谷 明正(しおのや あけまさ)は、江戸時代の武士。
生涯
[編集]父吉正とともに江戸幕府の御家人となり、御腰物方の同心を務め、支配勘定となる。寛延2年(1749年)5月24日には、御勘定に列し、翌年の2月13日には、幕命により関東各地の検地を行う。宝暦2年(1752年)7月18日、大坂城修造の功績により黄金2枚を受ける。
宝暦5年(1755年)12月11日、林奉行となり、その2年後に没した。享年65。墓地は、谷中の妙情寺で以降代々の菩提寺となった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『ふるさと矢板 第七号』(矢板市文化財愛護協会 平成三年七月)
- 寛政重修諸家譜