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塩谷明正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
塩谷明正
時代 江戸時代
生誕 元禄6年(1693年
死没 宝暦7年7月26日1757年9月9日
別名 八太夫、平八郎
戒名 日信[1]、日行[2]
氏族 塩谷氏
父母 父:塩谷吉正
鈴木氏女
奉正正澄[3]酒井忠辰[4]
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塩谷 明正(しおのや あけまさ)は、江戸時代の武士。

生涯

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塩谷義通塩谷氏の五代目。塩谷吉正の子として生まれる。

父吉正とともに江戸幕府御家人となり、御腰物方同心を務め、支配勘定となる。寛延2年(1749年)5月24日には、御勘定に列し、翌年の2月13日には、幕命により関東各地の検地を行う。宝暦2年(1752年)7月18日、大坂城修造の功績により黄金2枚を受ける。

宝暦5年(1755年)12月11日、林奉行となり、その2年後に没した。享年65。墓地は、谷中妙情寺で以降代々の菩提寺となった。

脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜による。
  2. ^ 『ふるさと矢板 第七号』(矢板市文化財愛護協会 平成三年七月)による。
  3. ^ 八左衛門。大岡出雲守の家臣となった。
  4. ^ 彦兵衛。酒井彦右衛門普忠の養子となった。

参考文献

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  • 『ふるさと矢板 第七号』(矢板市文化財愛護協会 平成三年七月)
  • 寛政重修諸家譜