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大内弘直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大内弘直
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 不詳
死没 延元元年/建武3年7月7日1336年8月14日
別名 新介[1][2]、介三郎[1]
戒名 瑞雲寺海浄智
墓所 宝珠山瑞雲寺(現在の山口県山口市龍福寺
氏族 多々良姓大内氏
父母 父:大内重弘
兄弟 弘幸弘直師直
隆直
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大内 弘直(おおうち ひろなお)は、鎌倉時代後期から南北朝時代周防国の武将。大内氏第7代当主大内重弘の子[1]。第8代当主、弘幸の弟[1]。新介[1][2]、介三郎[1]と称した。

建武2年(1335年12月、東へ行き新田義貞に従って足利尊氏と戦う[2]。その後周防国に帰国するが、足利尊氏の九州下向に際して摂津助清尊教乗小笠原長光らと語らって挙兵する。摂津助清尊らは敷山城(現在の山口県防府市牟礼敷山)に籠城して足利勢と戦うも城は落城して自害、弘直も延元元年(1336年7月7日死去[1][3]。『大内系図』では石見国益田大山で上野頼兼と戦って戦死したとある。

菩提寺は周防国吉敷郡上宇野令白石の宝珠山瑞雲寺(現在の山口県山口市龍福寺)、法名は瑞雲寺海浄智[3][4]

関連項目

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 『大内系図』
  2. ^ a b c 太平記
  3. ^ a b 龍福寺位牌
  4. ^ 『龍福寺所蔵年譜』

外部リンク

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  • 周防・敷山城(城郭放浪記)”. PEI. 2017年1月15日閲覧。
  • 敷山城』 - コトバンク
  • 周防太平記・敷山城の戦い”. UNIC.LTD.. 2017年1月15日閲覧。
  • 近藤清石『大内氏實録』中元壮作、宮川臣吉、山口県山口町、1885年10月28日。 NCID BA33800345 オープンアクセスNDLJP:780384