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大内返

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大内返(おおうちがえし)は、柔道投技足技21本の一つ。講道館では、1982年(昭和57年)に新たに名称として登録された。講道館国際柔道連盟 (IJF) での正式名。IJF略号OUC

概要

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大内刈の返し技で後の先の技の一種である。受の崩しや刈り足の力が不十分だった時に有効である。

返し方には主に二種類ありどちらも技の名前は大内返となる。以下、受と自分(取)がともに右組の場合で解説する。

名称の経緯については後の先も参照のこと。

基本形は大内刈を小外掛で返す。 受が大内刈で右脚で取の左脚を内側から刈りにきたとき、取は受の掛けて来た脚をそのまま払い上げ、受を後方もしくは左側に投げる。技の形としては小外掛になるため、足技の大内返である。

相手の大内刈をすかしてからの場合は小外掛が記録される。小外刈で、相手の大内刈に返し技として仕掛けた場合は、小外刈が記録される。

変化

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受が大内刈で右脚で取の左脚を内側から刈りにきたとき、取は受の軸脚の方を小外掛の様に左足で刈って返す大内返もある[1]YouTube KODOKANチャンネルの大内返の動画ではこの技も紹介されている[2]

大内すかし

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大内すかし(おおうちすかし)は受が大内刈で右脚で取の左脚を内側から刈りにきたとき、取はその足を浮かせて受の刈り脚のかわし、受が片足になり不安定になったところを右前隅、もしくは左前隅に大きく崩しながら引き落とす大外返。

技の形としては手技浮落であるため、この形で投げた場合は手技とするのが妥当であるとも考えられ、1982年の「講道館柔道の投技の名称」制定に向けて講道館では新名称の候補に挙がったが、採用されなかった[3][4]。柔道家の醍醐敏郎によると、「大内隙」または「大内刈隙」の名称で採用が内定していたが採用されなかった[5]。別表記大内透[6]大内隙[5]。別名大内刈隙[5](おおうちがりすかし)。

脚注

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  1. ^ 醍醐敏郎「講道館柔道・投技~分類と名称~(第32回)9,大内返<足技>」『柔道』第64巻第10号、講道館、1993年10月1日、44-46頁、NDLJP:6073718/28 
  2. ^ 大内返 / O-uchi-gaeshi(32s〜) - YouTube KODOKANチャンネル
  3. ^ 「柔道の投技の名称について」『柔道』第54巻第2号、講道館、1983年2月1日、22頁、NDLJP:6073590/16。「参考 新しい投技名称の候補として挙げられたけれども、採用されなかったもの」 
  4. ^ 醍醐敏郎『写真解説 講道館柔道投技 中』本の友社 1999年 ISBN 4-89439-189-9[要ページ番号]
  5. ^ a b c 醍醐敏郎「講道館柔道・投技~分類と名称~(第32回)9,大内返<足技>」『柔道』第64巻第10号、講道館、1993年10月1日、49-50頁、NDLJP:6073718/30 
  6. ^ 嘉納行光川村禎三中村良三醍醐敏郎竹内善徳『柔道大事典』佐藤宣践(監修)、アテネ書房、日本(原著1999年11月21日)、64頁。ISBN 4871522059。「大内透」 

外部リンク

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