大原真福
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大原 真福(おおはら の まさき、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。初名は魚福(ぎょふく)[1]。氏姓は大原真人だが一時服部真人を称した。弾正尹・大原桜井の子。官位は従五位上・民部大輔
経歴
[編集]称徳朝にて大原真人姓から服部真人(波登理真人)姓に改姓させられるが[1]、光仁朝の宝亀3年(771年)本姓の大原真人姓に復す。
桓武朝の延暦16年(797年)従五位下に叙爵し、平城朝の大同3年(808年)備後守に任官する。嵯峨朝では弘仁3年(812年)従五位上に昇叙され、弘仁5年(814年)民部大輔に任ぜられた。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 天平神護元年(765年) 6月6日:大原真人から服部真人(波登理真人)に改姓
- 宝亀3年(771年) 4月3日:復本姓大原真人
- 時期不詳:正六位上
- 延暦16年(797年) 正月7日:従五位下
- 大同3年(808年) 9月5日:備後守
- 弘仁3年(812年) 正月7日:従五位上
- 弘仁5年(814年) 7月10日:民部大輔