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大友純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおとも じゅん
大友 純
本名 同じ
生年月日 (1899-11-21) 1899年11月21日
没年月日 (1978-12-28) 1978年12月28日(79歳没)
出生地 日本の旗 日本 宮城県仙台市
職業 俳優
ジャンル 軽演劇映画テレビドラマ
活動期間 1929年 - 1970年代
活動内容 1929年 軽演劇出演
1935年 映画デビュー
主な作品
東海道四谷怪談
地獄
怪談残酷幽霊
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大友 純(おおとも じゅん、明治32年(1899年11月21日[1][2] - 昭和53年(1978年)12月28日)は、日本の俳優である。綜芸プロ[2]、テアトロ脚光[1]、ハナブサプロ[1]東京俳優生活協同組合に所属していた[3]

来歴

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1899年(明治32年)11月21日宮城県仙台市に生まれる[4]

旧制・東京音楽学校(現在の東京芸術大学)乙種師範科卒業[2]1923年(大正12年)から1929年(昭和4年)まで、旧制・大阪市立難波高等小学校(現在の大阪市立難波元町小学校)と同じく旧制の群馬県師範学校(のちの群馬師範学校、現在の群馬大学学芸学部)に音楽教師として勤務した[4][2]。1929年、田谷力三淡谷のり子らと松竹座チェーンのアトラクションに出演し、以後は歌手兼俳優としてカジノ・フォーリームーランルージュ新宿座榎本健一一座などで活躍する[4][2]

1935年(昭和10年)、成瀬巳喜男監督、P.C.L.映画製作所(現在の東宝スタジオ)製作の『乙女ごころ三人姉妹[5]に、浅草六区の不良役で映画デビューする[6]第二次世界大戦中は国策で作られた移動演劇隊のひとつである東宝移動文化隊に所属し、地方巡業や慰問活動の演劇に出演した[4]

戦後は脇役俳優として、おもに東宝新東宝の映画に出演して、1961年(昭和36年)の新東宝倒産まで映画を中心に出演。以後はテレビドラマにも活動の場を広げ、1973年(昭和48年)まで俳優として活躍した[7]

また、新東宝時代には石井輝男中川信夫の監督作品に多数出演して、個性派の中老脇役として活躍する[4]。中川信夫監督作品『東海道四谷怪談』 ではお岩とともに亡霊となって伊右衛門を呪い殺す按摩の宅悦、『地獄』では物語のキーパーソンとなる地獄絵図に取り憑かれた日本画家・谷口円斎と、重要な役で出演した。

脇役としての出演が多いが、大蔵映画で製作された小林悟監督作品『怪談残酷幽霊』(1964年)では主役もつとめている[8]

人物・エピソード

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キネマ旬報社・刊『日本映画俳優全集・男優編』で大友の項目を執筆した田中純一郎は、『東海道四谷怪談』の宅悦役を「(映画の)不気味さを大いに盛り上げた」として大友の代表作に挙げている[4]

昭和39年の大蔵映画『怪談残酷幽霊』は、大友の映画初主演作(海軍士官役)である。新東宝時代に大友と組んだ小林悟監督によると、大友は「知りあうとなかなかいい人だった」とのことで、大蔵貢社長に「憎らしそうな男を選べ!」と言われた小林監督が、それならと大友を選んだのだという。これを大友に伝えると、「えー、じゃあ僕主役ですねえ、主役したこと無いですから、何十年もやってますけど、こんなの初めてです」と喜んでいたという。

小林によると大友は温厚で、怖い顔をしていても性格柄、笑い顔が「いい人」の顔になってしまった。『怪談残酷幽霊』でも「その笑い顔やめてください」「じゃあもっと怖い顔でやるんですか?」というやり取りがあり、結局照明を下から当てて工夫したが、やはり優しい笑い顔になってしまったという。この場面の撮影が終わって一緒に飲んだ時に、大友は大笑いして「確かにいつも怖い怖いって言われるんだけど、優しいって言われたのは初めてです」と小林に言ったという。

演技については、自分でプランをキチッと作ってくる人だったそうで、小林もこれに敬意を表して大友に合わせて撮るようにしていた。小林は「やっぱり大友さんうまいですね。なんていうのか表面だけじゃなくて、中から憎たらしいというか、そういうのが出てるんですね。あの顔で倍くらい憎らしさが出てくるんですよ」と語っている。中川信夫監督も、大友を高く評価していた一人だった[9]

出演作品

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日本映画データベース参照[6]
キネマ旬報映画データベース参照[10]
テレビドラマデータベース参照[7]

映画

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1935年
1938年
1954年
1955年
1956年
1957年
1958年
1959年
1960年
1961年
1962年
1963年
  • 男の嵐』 : 日米映画、中川信夫監督 - 坊主の七造
1964年
1966年
1968年
1969年
1970年
  • 沖縄』 : 劇映画「沖縄」製作上映委員会、武田敦監督 - 美里
1972年

テレビドラマ

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[編集]
  1. ^ a b c 『出演者名簿』《昭和36年度版》著作権資料協会、1961年、70頁。 
  2. ^ a b c d e 『日本映画人大鑑』キネマ旬報社、1959年、107頁。 
  3. ^ 『出演者名簿』《昭和48年度版》著作権資料協会、1972年、82頁。 
  4. ^ a b c d e f 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年、p.107.
  5. ^ a b 乙女ごころ三人姉妹東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年3月13日閲覧。乙女ごころ三人娘(日本映画データベース、2010年3月13日閲覧)は誤り。
  6. ^ a b 大友純、日本映画データベース、2010年3月13日閲覧。
  7. ^ a b 大友純、テレビドラマデータベース、2010年3月13日閲覧。
  8. ^ 怪談残酷幽霊、日本映画データベース、2010年3月13日閲覧。
  9. ^ ここまで『幻の怪談映画を追って』(山田誠二、洋泉社)より
  10. ^ 大友純、キネマ旬報映画データベース、2010年3月13日閲覧。

外部リンク

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