コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

渡辺岳夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大塩潤から転送)
渡辺岳夫
別名 大塩 潤
(おおしお じゅん、別名)
ナベタケ
(愛称)
生誕 (1933-04-16) 1933年4月16日
出身地 日本の旗 日本東京都
死没 (1989-06-02) 1989年6月2日(56歳没)
学歴 武蔵大学経済学部卒業
スコラ・カントルム音楽院卒業
ジャンル アニメ
特撮
テレビドラマ
クラシック
職業 作曲家
音楽家
活動期間 1950年代 - 1989年

渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日[1] - 1989年6月2日[1])は、日本作曲家音楽家詩人東京都出身。愛称は「ナベタケ」。アニメテレビドラマ時代劇映画などの主題歌劇伴を数多く手がけた。

作品によっては「渡邊岳夫」と表記する場合もある。

略歴・評価

[編集]

作曲家である渡辺浦人の長男として生まれ、武蔵高校武蔵大学[2]経済学部を卒業した。

23歳の時にフランスパリへ留学してクラシックを学び、スコラ・カントルム音楽院卒業。その後ラジオ東京(現在のTBSホールディングス)へ入社[注釈 1]し、演出部でテレビドラマの制作をするうちに音楽に対する想いが強くなり、同社を退社して音楽家に転身した。

様々なジャンルの作曲を手がけており、特に時代劇やアニメーション作品で印象に残る曲を残している。時代劇や現代劇においては、それまで使われる事のなかったチェンバロなどの楽器を多用し、クラシック音楽をベースとした独特なメロディラインで構成された曲を数多く作曲した。

またアニメ作品の主題歌・BGMの分野では、『巨人の星』、『アタックNo.1』、『天才バカボン』、『キューティーハニー』、『アルプスの少女ハイジ』、『魔女っ子メグちゃん』、『フランダースの犬』、『キャンディ・キャンディ』、『あらいぐまラスカル』、『機動戦士ガンダム』等の日本アニメ史上に残るヒット作品の音楽を手掛け、楽曲もヒットした。『魔女っ子メグちゃん』、『あばれはっちゃく』にはタンゴが使われている。

一方で、『サラブレッド・マーチ』のような、元々は会議用に依頼され作曲したものや、舞台作品のBGMも数多く作曲したほか、自ら舞台の演出も行うなど、晩年まで精力的な創作活動を行っていた。

新選組血風録』や『巨人の星』[3]の臨場感のある曲や、『白い巨塔(1978年フジテレビ版)』と『機動戦士ガンダム』『非情のライセンス』『無敵超人ザンボット3』の哀愁を帯びたBGMなどを作曲した。作曲する際には、必ず作品の脚本を読み、作品のイメージを把握した上で作曲を開始し、録音の際に歌手や演奏者への助言を与えた。

またED曲は哀愁を帯びた曲が多く、「永遠にアムロ」「元祖天才バカボンの春」「夜霧のハニー」「宇宙の星よ永遠に」などがある。

時代劇では、『新選組血風録』や『燃えよ剣』『俺は用心棒』シリーズ、『大奥』(1968年)から始まる3部作や『眠狂四郎』に、『子連れ狼』などの作品を担当。

その一方で作詞も数多く手がけ映画主題歌『緋牡丹博徒』(1968年)は主演の藤純子人気も相まって大ヒットした。

裏番組の仕事を掛け持ちした際には、妻の旧姓を用いて大塩 潤という名義も併用した[注釈 2]

1989年平成元年)6月2日腎不全により死去。56歳没。

没後、1998年度のJASRAC賞では『アタックNo.1BGM』で国際賞を受賞。

2004年倖田來未が『キューティーハニー』(佐藤江梨子主演)の主題歌をカヴァーしてヒットさせ、さらにSugarのメンバーとして活動していたayumiがカヴァーし、韓国でも同様にヒットした。

2008年東京国際アニメフェア2008にて第4回功労賞を受賞した。

静岡県伊豆地方の稲取にある、この地方独特の雛祭りの「つるし雛」を展示するギャラリー「雛の館」には、妻の出身地の縁で、渡辺が寄贈した雛人形一式が展示されている。

作品

[編集]

テレビ番組

[編集]

アニメ

[編集]

など多数。

子供番組

[編集]

「あした天気になあれ」作詞:増永直子、作曲:渡辺岳夫、編曲:松山祐士、歌:いのうえみどり、コロムビアゆりかご会

テレビドラマ・特撮

[編集]

など多数。

時代劇

[編集]

など多数。

クイズ番組

[編集]

劇場映画・その他

[編集]

実写映画

[編集]

など多数。

アニメ映画・その他

[編集]
  • 鉄人28号(1959年):ニッポン放送ラジオドラマ
  • 海底3万マイル(1970年)
  • きかんしゃやえもん D51の大冒険(1974年)
  • 劇場版 機動戦士ガンダム(1981年)※松山祐士と共同
  • 劇場版 機動戦士ガンダムII 哀・戦士篇(1981年)※松山祐士と共同
  • 劇場版 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙篇(1982年)※松山祐士と共同

など。

その他

[編集]

渡辺岳夫の世界(テレビ版)

[編集]

渡辺の死去から2か月経った1989年8月2日深夜に、関西テレビ放送より追悼番組として放送された番組。

渡辺ゆかりの人達によるコメントや本人のインタビュー映像とともに、各局で放送されたドラマやアニメのオープニング曲が、放送当時そのままの形で放送された。

1991年には、この放送映像をベースに、放送当時に入り切らなかった曲を加えて再構成したVHSビデオソフト『決定版・渡辺岳夫の世界』がキングレコードから発売された。

なお、同ビデオソフトに付属のブックレットには、生前渡辺と公私に渡り親交のあった元関西テレビプロデューサーの加藤哲夫[注釈 3]が弔文を寄せている。

曲名(特記事項を除きオープニングテーマ曲・映像付き)

[編集]

出演

[編集]

ナレーション

参考文献

[編集]
  • 『作曲家・渡辺岳夫の肖像 〜ハイジ、ガンダムの音楽を作った男』 加藤義彦・鈴木啓之・濱田高志編著
    (ブルース・インターアクションズ、2010年)。ISBN 978-486020-391-7

関連項目

[編集]
  • 松山祐士 - 作曲・編曲家。1970年代以降、渡辺が劇伴音楽を手掛けた作品の編曲や、楽曲の編曲に携わった。また、『機動戦士ガンダム』等、渡辺と松山が共同で劇伴音楽を手掛けた作品も少なからず存在する[注釈 4]
  • 加藤哲夫 - 元関西テレビのプロデューサーで、後に同局の制作局長やKBS京都の社長等を歴任。渡辺とは、加藤自ら演出を手掛けた『風の武士』や、企画・プロデュースを手掛けた『大奥(1968年版)』『あゝ忠臣蔵』『騎馬奉行』等を通じて親交があり、加藤は渡辺の事を「岳夫ちゃん」と呼んで親しんでいた[6]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 先輩局員の演出部員に円谷一がいた。
  2. ^ ただし「大塩潤」を使用しないこともあり、例えば1971年4月 - 9月には『金メダルへのターン!』と『魔法のマコちゃん』、1976年4月 - 1977年2月には『元祖天才バカボン』と『ザ・カゲスター』といった、担当作がぶつかったことがあった(いずれも月曜19:00)が、全て「大塩潤」名義を使用しなかった。
  3. ^ 後に同局制作局長・KBS京都代表取締役社長等を歴任。詳細はこちらも参照のこと。
  4. ^ 無敵超人ザンボット3』や『無敵鋼人ダイターン3』等。

出典

[編集]
  1. ^ a b 野村宏平、冬門稔弐「4月15日 / 4月16日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、106頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  2. ^ 土曜講座での渡辺岳夫氏 | 武蔵写真館 | 根津育英会 武蔵学園百年史 | 根津育英会武蔵学園百年史”. 100nenshi.musashi.jp. 2024年1月14日閲覧。
  3. ^ ガンダム、巨人の星、天才バカボンがオーケストラで響く!「渡辺岳夫音楽祭」9月3日開催決定!”. GUNDAM.INFO (2017年7月7日). 2017年12月31日閲覧。
  4. ^ キューティーハニー”. 東映アニメーション. 2016年5月23日閲覧。
  5. ^ 少年徳川家康”. 東映アニメーション. 2016年5月23日閲覧。
  6. ^ VHSビデオソフト『決定版・渡辺岳夫の世界』付属ブックレットより。

外部リンク

[編集]