大形村 (新潟県)
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おおがたむら 大形村 | |
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廃止日 | 1943年6月1日 |
廃止理由 |
編入合併 大形村→新潟市 |
現在の自治体 | 新潟市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 中蒲原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,073人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 新潟市、石山村、大江山村、北蒲原郡松ヶ崎浜村・濁川村 |
大形村役場 | |
所在地 | 新潟県中蒲原郡大形村大字海老ヶ瀬[1] |
座標 | 北緯37度55分31秒 東経139度07分24秒 / 北緯37.92514度 東経139.12347度座標: 北緯37度55分31秒 東経139度07分24秒 / 北緯37.92514度 東経139.12347度 |
ウィキプロジェクト |
大形村(おおがたむら)は、かつて新潟県中蒲原郡にあった村。1943年6月1日の新潟市への合併によって消滅し、現在は新潟市東区の一部となっている。
以下の記述は合併直前当時の旧大形村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。
概要
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
1901年(明治34年)から1943年(昭和18年)まで存在し、村役場は海老ヶ瀬に設置された[1]。
地名について
[編集]現在の新潟市東区河渡本町にある大形神社より見渡した土地は低湿地帯であり、かつては潮の干満によって大きな沼地が現れ、大きな潟の様であった様子から「大潟」となり、最終的に「大形」となった説が有力である。
歴史
[編集]- 1877年(明治10年)3月15日 - 海老ヶ瀬村と海老ヶ瀬新田が合併し、海老ヶ瀬村となる。
- 1877年(明治10年)6月23日 - 寺山新田と石仏新田が合併し、寺山新田となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともなう合併により、松島村と日本岡村が発足。
松島村 | 海老ヶ瀬村、逢谷内新田、寺山新田、津島屋村、松崎村、河渡新田 |
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日本岡村 | 岡山村、石動新田、本所村、中興野村、一日市村 |
新松島村 | 津島屋村、松崎村、河渡新田 |
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三箇村 | 海老ヶ瀬村、逢谷内新田、寺山新田 |
行政
[編集]歴代村長
[編集]学校
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小学校
[編集]大形小学校の起源となる大形尋常小学校は大正12年4月1日、海老ケ瀬、本所、松崎、津島屋の4つの尋常小学校の合併により誕生する。 これら4校の尋常小学校の中では海老ケ瀬校の設置がもっとも古く、明治8年5月の設置である。 1941年(昭和16年)の国民学校令の施行により、大形村大形国民学校と改称し、その後1943年の新潟市への編入に伴い新潟市立大形国民学校と改称。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]現在は旧村域に東日本旅客鉄道(JR東日本)白新線大形駅が設置されているが、当時は未開通。
脚注
[編集]注釈
出典
参考文献
[編集]- 『新潟県年鑑(昭和八年度版)』新潟県年鑑社、1933年3月25日。
- 『新潟県年鑑(昭和九年度版)』新潟毎日新聞社、1933年12月31日。
- 『新潟県年鑑(昭和十年版)』新潟毎日新聞社、1934年12月7日。
- 『新潟県年鑑(昭和十一年版)』新潟毎日新聞社、1936年1月5日。
- 『新潟県年鑑(昭和十六年版)』新潟毎日新聞社、1940年12月1日。
- 『新潟県年鑑(昭和十七年版)』新潟日日新聞社、1941年11月20日。
- 『新潟県年鑑(昭和十八年版)』新潟日報社、1942年12月10日。
関連項目
[編集]- 日本の廃止市町村一覧
- 新潟県の廃止市町村一覧
- 新潟市
- 大形村(曖昧さ回避ページ)