大町地震
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(大正大町地震から転送)
大町地震(おおまちじしん)は、1918年(大正7年)11月11日に長野県大町市付近を震源として発生した内陸地震。1858年の地震(信濃大町地震)と区別するため、大正大町地震とも呼ばれている。
解説
[編集]いわゆる双子地震で、2時59分 M 6.1 と16時04分 M6.5 により住居全壊6棟、土地の隆起などの被害を生じた。また、震央付近で約200mm隆起し、大町西方の清水地区寺海戸から大崎付近にかけて地表地震断層(寺海戸断層)が出現した。ただし、家屋被害の詳細は資料編纂者により異なっている[1][2]。
震源要素は、下記の様に分析されている。
- 2時59分 マグニチュード 6.1 (前震) - 北緯36度30分 東経137度54分 / 北緯36.5度 東経137.9度 地殻内浅い
- 16時4分 マグニチュード 6.5 (本震) - 北緯36度30分 東経137度54分 / 北緯36.5度 東経137.9度 地殻内浅い
NE-SSW走向、西傾斜の震源断層の逆断層運動による。
地震規模などの経験則から活動した断層長は約10kmと推定されている[3]。しかし、大正時代の地震のため地震発生時の記録の精度が十分でなく、後年様々な解析が試みられた[1][4]が起震断層の特定は行えていない。
この地域で発生した他の地震
[編集]- 信濃大町地震(1858年) - M 5.7。信濃大町地震の詳細は資料が残されておらず一切不明である。しかしながら、宇佐美龍夫は震源域を神城断層南部から松本盆地東縁断層北部と想定している[5]。1854年に発生した安政東海地震の誘発地震ともされる。
参考文献
[編集]- 大森房吉(1919):信州大町地方の地震に就きて (承前) 地学雑誌 1919年 31巻 2号 p.89-97, doi:10.5026/jgeography.31.89
- 中村左衛門太郎(1919):大町附近の地震に就きて(第三報) 氣象集誌. 第1輯 1919年 38巻 5号 p.147-151, doi:10.2151/jmsj1882.38.5_147
- 大森房吉(1921):大正七年信州大町地方激震調査報告 震災豫防調査會報告,94,16-69, NAID 110006606170, hdl:2261/17435
- 大森房吉(1922):大正七年信州大町地方激震調査報告(第二回) 震災豫防調査會報告 98,23-31,1922-08-31, NAID 110006606198, hdl:2261/17463
- 坪井誠太郎(1922):信州大町地震調査概報 震災豫防調査會報告. 第98號, 1922.8, pp. 13-21, hdl:2261/17462
- 1918年大正大町地震 気象庁松代地震観測所
- 多田堯、橋本学、1918年 (大正7年) 大町地震の断層モデルとその地学的意義 地震 第2輯 1988年 41巻 2号 p.259-262, doi:10.4294/zisin1948.41.2_259
脚注
[編集]- ^ a b 1918年 (大正7年) 大町地震の断層モデルとその地学的意義
- ^ “関東・中部地方の主な地震活動” (PDF形式:1536kB). 気象庁. p. 3. 2016年4月22日閲覧。
- ^ 1918年信州大町地震の断層運動 河内一男:日本海東縁プレート境界の地震地学
- ^ 鷺谷威、1918年大町地震の震源断層モデル 地震 第2輯 2003年 56巻 2号 p.199-211,doi:10.4294/zisin1948.56.2_199
- ^ 飛越地震と大町 地震予知連絡会会報 第33巻 1985年2月 (PDF)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 長野県の地震活動の特徴 地震調査研究推進本部
- 佃為成、酒井要、小林勝 ほか、広義の前震・余震活動を伴った1986年長野県北西部大町付近の地震(M5.9)の震源過程と地震テクトニクス 東京大学地震研究所彙報 64(3), p.433-456, 1989-12, NAID 120000871843, hdl:2261/13042