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大鷲型哨戒艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大鷲型哨戒艇
基本情報
種別 哨戒艇 (PKM)
建造所
運用者
  •  大韓民国海軍
  •  バングラデシュ海軍
  •  東ティモール国防軍
  •  ガーナ海軍
  •  カザフスタン海軍
  •  フィリピン海軍
  • 就役期間 1978年 - 現在
    建造数 105隻[1]
    前級 雁型 (PKMM)[注 1]
    次級 新大鷲型 (PKMR)
    要目
    軽荷排水量 113トン
    満載排水量 156トン
    全長 33.10 m
    水線長 31.25 m
    最大幅 6.92 m
    吃水 1.75 m
    主機 MTU 16V538 TB90
    ディーゼルエンジン×2基
    推進器 スクリュープロペラ×2軸
    出力 最大10,800bhp(定格9,000bhp)
    速力 最大34ノット
    航続距離 1,000海里(20kt巡航時)
    乗員 士官5名+下士官26名
    レーダー レイセオン1645対水上捜索/航海用
    テンプレートを表示

    大鷲型哨戒艇(チャムスリがたしょうかいてい、英語: Chamsuri-class patrol vessels)は、韓国海軍哨戒艇の艦級。シードルフィン級として輸出市場にも提示された[2]。なお、当初は先行する試作艇と同様に(キロギ)型と称されていたが、より武張った艦級名が求められたために改名されたという経緯がある[3]

    来歴

    [編集]

    1968年の選挙アメリカ合衆国大統領となったリチャード・ニクソンは、米中接近の一環として、1970年3月、さしあたり在韓米軍の1個歩兵師団の撤退を決定した上で、追加的に相当規模の削減を模索することを決定した[4][注 2]。しかし同年6月には、黄海において、対北放送を行っていた韓国海軍の放送船が北朝鮮の哨戒艇によって拿捕される事件が発生するなど、依然として北朝鮮の脅威は深刻であった[5]

    このことから、大韓民国では自主国防が焦眉の急となった。アメリカ合衆国と協議の上で「国軍現代化5か年計画」を策定、1972年12月29日には国防目標を制定し、1973年3月5日には防衛産業育成のため特別法を制定した。そして1974年より、戦力拡充のための8ヶ年計画として栗谷計画が発動された。この計画の一環として建造されたのが本型であり、最初の契約が1976年11月に締結されたのち、13次に渡って発注された[1]

    設計

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    本型は、やや先行して計画されていた燕(チェビ)型PK(Patrol Killer)よりも一回り大きなPKM(Patrol Killer Medium)として計画された。最初期型は全長33.1メートル、排水量141トンとされ、また1982年に発注された5次事業建造分からは全長37メートル、排水量157トンに改訂された。燕(チェビ)型に準じた高速性能が要求されたことから[1]主機は、これと同系列のMTU 16V538 TB90が用いられている[6]。出力は最大10,800馬力(定格9,000馬力)に強化されており、当初は最大速力38ノットとして設計されたが、実際の最大速力は34ノットとされている[2]

    当初は、先行して試作された雁(キロギ)型ミサイル艇(PKMM: Guided Missile Medium Patrol Killer)と同様にエグゾセMM38艦対艦ミサイルを搭載することが計画されたものの[注 1]、本計画を後援していたアメリカが、フランス製兵器の搭載に難色を示したために実現せず、砲熕兵器のみを搭載することになった[1]

    1~4次事業分では、船首甲板75口径30mm機関砲(エリコンKCB)を連装に配した米エマーソン社製の有人砲塔、後部甲板室上に70口径20mm機関砲の単装砲架、船尾甲板にMk.3 40mm単装機関砲の開放砲架を搭載した。続く5~9次事業分では艇後部の武装を有人砲塔式の20mm多砲身機関砲に、また最後期型にあたる10~13次事業分では、艦首砲を有人砲塔式の60口径40mm単装機関砲に変更した[2][1]

    1~4次事業分 5~9次事業分 10~13次事業分
    75口径30mm連装機関砲×1基 60口径40mm単装機関砲×1基
    60口径40mm単装機関砲×1基 20mm多砲身機関砲×2基
    70口径20mm単装機関砲×1基

    脚注

    [編集]

    注釈

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    1. ^ a b 雁型は韓国科学技術研究院(KIST)が設計して1972年より2隻が就役、1975年にはエグゾセMM38艦対艦ミサイルを搭載した[7]
    2. ^ 1971年に第7歩兵師団がアメリカ本土に帰還したが、在韓米軍が削減された場合にそれを補うように日本の軍事的プレゼンスが増大することを恐れた中国側が、在韓米軍の削減を主張しなくなったこともあって、それ以上の削減は行われなかった[4]
    3. ^ PKM-357は第2延坪海戦で戦没し、後に引き揚げられたが、戦争記念館に展示されているのはPKM-301を使ったレプリカである。

    出典

    [編集]

    参考文献

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    • Gardiner, Robert (1996), Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995, Naval Institute Press, ISBN 978-1557501325 
    • Saunders, Stephen (2015), Jane's Fighting Ships 2015-2016, Janes Information Group, ISBN 978-0710631435 
    • Wertheim, Eric (2013), The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World (16th ed.), Naval Institute Press, ISBN 978-1591149545 
    • 윤, 병노 (2019年5月1日 (2019a)). “[군함이야기 우리 해군 최초 유도탄 고속정 ‘키스트보트’ 탄생 <42> 국산 건조 함정의 시작 ‘키스트 보트’ ‘학생호’ ‘제비급 고속정’ [私たちの海軍最初の誘導弾高速艇”KISTボート”誕生 <42>国産建造艦艇の始まり、KISTボート・学生号ハクセンホ・チェビ級高速艇]”] (朝鮮語). 国防日報 (国防広報院). https://kookbang.dema.mil.kr/newsWeb/20190429/1/BBSMSTR_000000010206/view.do 
    • 윤, 병노 (2019年5月10日 (2019b)). “[군함이야기 연평해전 주역…北 경비정 침범 수차례 막아 <43> 국내 건조 고속정 ‘결정판’ PKM [高速戦闘艇の導入…国産建造時代の土台<43>国内建造高速艇”決定版”PKM(チャムスリ級)]”] (朝鮮語). 国防日報 (国防広報院). https://kookbang.dema.mil.kr/newsWeb/20190513/1/BBSMSTR_000000010206/view.do 
    • 香田洋二「韓国海軍 その現況と将来 (特集・韓国海軍の現況)」『世界の艦船』第704号、海人社、75-81頁、2009年4月。 NAID 40016485796 
    • 李東俊「米中和解と朝鮮問題、1971-73年-在韓米軍と正統性をめぐる攻防と協力」『Asian studies』第55巻、第4号、アジア政経学会、1-19頁、2009年10月。 NAID 40017013728 

    外部リンク

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