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白鴎型ミサイル艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
白鴎型ミサイル艇
米海軍「ベニシア」(後の白鴎51号)
米海軍「ベニシア」(後の白鴎51号)
基本情報
艦種 ミサイル艇 (PGM)
就役期間 1971年 - 1998年
前級 なし
次級
要目
基準排水量 240トン
満載排水量 268トン
全長 53.7 m
最大幅 7.3 m
吃水 2.9 m
機関方式 COGAG方式
主機 TF-35ガスタービンエンジン×6基
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 16,800馬力
速力 最大40ノット
航続距離 2,400海里(18kt巡航時)
乗員 士官5名+下士官兵27名
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白鴎型ミサイル艇 (ペックがたミサイルてい、朝鮮語: 백구급 미사일 고속정)は、大韓民国海軍ミサイル艇の艦級。アメリカ海軍からアシュビル級哨戒艇英語版1隻を購入したのち、その準同型艇を発注したもので、後期建造分は国産化された[2]。PSMM-5型とも称される[1][3]

来歴

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朝鮮人民軍海軍は、まずコマール型(183R型)、また1968年からはより大型で強力なオーサ型(205型)を配備して、ミサイル艇戦力を整備していた[4]。また1960年代後半からは、工作船(FIAC)についても、大型化・高速化や武装の強化を進めていった[2]

これに対し、韓国海軍では、まず1967年よりアメリカ沿岸警備隊ケープ型カッター英語版の譲渡を受けて梟(オルッペミ)型として再就役させるとともに[2]、1971年にはアメリカ海軍アシュビル級哨戒艇英語版の1隻である「ベニシア」(PG-96)を購入して「白鴎」として再就役させた[1]

またこれに続いて、同級を元にした準同型艇の導入にも着手した。その第1陣となる「白鴎52号」は、同級を設計したアメリカ合衆国シアトル・タコマ造船所[2]、1975年3月14日に起工された。その後、4番艇「白鴎56号」以降は、装備に小改正を加えたうえで韓国タコマ造船所(現在の韓進重工業)で建造された[3]

設計

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上記の経緯により、基本的な設計はアシュビル級に基づいているが、船体は3.5メートル延長され、基準排水量にして15トンの大型化となった。船体はアルミニウム合金製である[1]。また主機関も、「白鴎51号」ではカミンズVT12-875Mディーゼルエンジン2基とLM1500ガスタービンエンジンゼネラル・エレクトリック J79の舶用転用型)1基によるCODOG機関(最大12,500馬力)であったのに対し、AVCO TF-35ガスタービンエンジンによるCOGAG機関(最大16,800馬力)に強化されている[3]

「白鴎」は、アメリカ海軍在籍中の1971年、試験的にRGM-66D「スタンダード」艦対艦ミサイル(SSM)を搭載しており[5]、韓国への譲渡後の1975年から1976年にかけて再装備された[1]。前期建造艇でもこれを踏襲して、単装発射筒2基に収容して搭載しており、また次発装填装置を備えていた。主砲としては50口径7.6cm単装速射砲(Mk.34 3インチ砲)を備えており、AN/SPG-50追尾レーダーを備えたMk.63 砲射撃指揮装置による統制を受けていた。後期型では、艦対艦ミサイルは新開発のハープーンに、また主砲も76mmコンパット砲とW-120追尾レーダーの組み合わせに変更された[3]

前期型
(PGM-352〜355)
後期型
(PGM-356〜361)
兵装 50口径3インチ単装速射砲×1基 62口径76mm単装速射砲×1基
56口径40mm単装機関砲×1基 85口径30mm連装機関砲×1基
12.7mm重機関銃M2×4挺 12.7mm重機関銃M2×2挺
スタンダードSSM単装発射筒×2基 ハープーンSSM連装発射筒×2基
レーダー AN/SPS-58 対水上捜索用 HC-75 対水上捜索用

同型艇

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建造時期 # 艦名 造船所 就役 退役
旧米軍艦 PGM-11→101
→351
白鴎
→白鴎51号
シアトル・タコマ 1971年10月
[注 2]
1996年から1998年にかけて
順次に退役[2]
前期型 PGM-352 白鴎52号 1975年3月
PGM-353 白鴎53号
PGM-355 白鴎55号 1975年2月
後期型 PGM-356 白鴎56号 韓国タコマ
PGM-357 白鴎57号 1977年
PGM-358 白鴎58号
PGM-359 白鴎59号
PGM-360 白鴎60号 1978年

脚注

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注釈

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  1. ^ 本型の経験を踏まえて、韓国タコマ社で2隻が試作されたミサイル艇。満載140トン、全長32.9メートルでエグゾセ2発を搭載したが、続く大鷲型は、フランス製兵器の導入についてアメリカが難色を示したために、砲艇として建造された[1]
  2. ^ アメリカ軍艦としては1970年4月に就役[3]

出典

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  1. ^ a b c d e Gardiner 1996, p. 249.
  2. ^ a b c d e 尹 2019.
  3. ^ a b c d e Prezelin 1990, pp. 343–344.
  4. ^ Gardiner 1996, p. 251.
  5. ^ Moore 1975, p. 219.

参考文献

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外部リンク

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