太田武彦
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太田 武彦 おおた たけひこ | |
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別名 | 太田かおる、太田かほる |
生誕 | 1925年1月5日(99歳)[1] |
出身地 |
日本 東京府南葛飾郡 (現:東京都江戸川区)[1] |
学歴 | 旧制上野中学校 卒業[2] |
ジャンル | 道民歌、市町村歌、校歌、社歌、歌謡曲 |
職業 | 作詞家、陸上自衛官 |
活動期間 | 昭和後期 - 平成 |
太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日[1] - )は、日本の作詞家、元自衛官。別名義に太田 かおる[1]、太田 かほる[3]。
来歴
[編集]現在の東京都江戸川区生まれ[1]。1944年(昭和19年)に旧制上野中学校を卒業後、陸軍少年飛行兵に志願して終戦を迎える[2]。復員後は国警秋田県本部に採用され警察官となったが、1950年(昭和25年)の警察予備隊発足と同時に入隊して以降、陸上自衛隊で仙台・青森・札幌・帯広を経て美幌駐屯地に転属した[1]。
美幌時代は本名もしくは「太田かほる」名義で作詞の懸賞募集への投稿を精力的に行い、1966年(昭和41年)に北海道が公募した「道民のうた」で応募作「光あふれて」が入選した[2]。以降も1970年(昭和45年)の日本万国博覧会公式テーマソング「世界のひろばで」[1]、三越の2代目社歌などで入選[3]。この他に、野村将希「幸せ行きの汽車が出る」をはじめとした歌謡曲も手掛けている。
平成以降では、1994年(平成6年)に秋田県立平成高等学校の校歌を作詞した[4]。
主な作品
[編集]注記の無い場合は本名の「太田武彦」名義。
歌謡曲
[編集]自治体歌
[編集]- 光あふれて(作曲:中村八大) - 「北海道民のうた」3曲のうち行進曲。
- 若いふるさと(作曲:山本丈晴) - 北海道伊達市
- のぞみ新たに(作曲:藤掛廣幸) - 太田かおる名義、岐阜県関市
- 紫波町民歌(補作:紫波町民の歌選定委員会、作曲:押尾司) - 岩手県紫波郡紫波町
- 弥彦村民歌(補作:弥彦村民歌制定委員会、作曲:遠藤実) - 新潟県西蒲原郡弥彦村
- 廃止楽曲
校歌
[編集]- 秋田県立平成高等学校(補作:大友康二、作曲:後藤洋) - 太田かほる名義
社歌
[編集]その他
[編集]参考文献
[編集]- 三友新聞社 編『三越三百年の商法 その発展のものがたり』(評言社、1972年) NCID BN13269886