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有秋台団地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姉崎住宅団地から転送)

有秋台団地(ゆうしゅうだいだんち)は、千葉県市原市有秋地区に位置する団地(ニュータウン)である。1960年代に千葉県が姉崎住宅団地(あねさきじゅうたくだんち)の名で土地区画整理事業を行った。

概要

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姉崎沿岸部工業地域の従事者の居住のための企業社宅を中心とし,辰巳台団地に次いで市内で2番目の大規模住宅団地として開発された[1]。1965年5月28日に施工等認可が下り、第一工区は1967年5月9日、第二工区は1968年6月14日に換地処分を実施した[1]。総事業費は14億円、施工面積は81.5ha、計画人口10,200人[1]

地理

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大字

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河川

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  • 不入斗川
  • 深城川

歴史

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地名の由来

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旧地名は迎田不入斗深城

「有秋」の名は、明治時代に設立された小学校が校名として使用している(市原市立有秋東小学校も参照)。『千葉県市原郡誌』(1916年)によれば、1873年(明治6年)に学制が施行された際、「深城役場」管轄地域[注釈 1]には深城小学校と片又木小学校の2校があり、合併が提起されたものの住民の意見がまとまらず、不調に終わった[2]。1886年(明治19年)の小学校令施行を契機として戸長が「再合併」を働きかけて協議をまとめ、不入斗区にあった旧深城小学校を校舎として「有秋尋常小学校」が発足したのであるという[3]。有秋尋常小学校は1902年(明治35年)より不入斗区内に新たに校地を購入して新校舎建設を始め、1904年(明治27年)に新校舎の使用を開始した[4]。この時の校区は不入斗・立野豊成・深城・天羽田椎津・山谷・永藤・迎田・片又木畑木の10区であった[4]

沿革

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施設

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行政・公共施設

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学校教育施設

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医療施設

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  • 有秋台医院

公園・緑地

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  • 有秋公園(有秋台東3丁目)
  • 有秋中央公園(有秋台東2丁目)
  • 有秋台東公園(有秋台東3丁目)
  • 永藤公園(有秋台西1丁目)
  • 有秋広場(有秋台西1丁目)

交通

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鉄道

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団地内に鉄道は通っていないが、JR東日本の最寄は姉ケ崎駅で小湊鉄道の最寄りは光風台駅である。

路線バス

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  • 小湊鉄道(通常旅客案内で系統番号は用いられていない)[6]
    • 姉04系統(姉ケ崎駅東口〜有秋台団地下〜市原緑園都市ターミナル)
    • 姉05系統(姉ケ崎駅東口〜有秋台団地〜市原緑園都市ターミナル)
    • 姉06系統(姉ケ崎駅東口〜有秋台団地)
    • 姉07系統(姉ケ崎駅東口〜有秋台団地下〜光風台駅)
    • 姉24系統(姉崎ターミナル〜有秋台団地下〜市原緑園都市ターミナル)
    • 姉25系統(姉崎ターミナル〜有秋台団地〜市原緑園都市ターミナル)
    • 姉26系統(姉崎ターミナルー有秋台団地)
    • 姉27系統(姉崎ターミナル〜有秋台団地下〜光風台駅)
    • 姉28系統(姉崎ターミナル〜有秋台団地下〜市原緑園都市ターミナル〜光風台駅)
  • 日東交通[7]
    • 姉ケ崎・桜台団地線(姉ケ崎駅前〜桜台団地・茅野)

道路

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近隣のニュータウン

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1873年(明治6年)時点は大区小区制の時代である。1889年(明治22年)に町村制施行に伴い鶴牧村が発足、1891年(明治24年)の町制実施に際し姉崎町となる。

出典

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  1. ^ a b c 千葉県土地区画整理事業地区別一覧表”. 千葉県. 2022年7月21日閲覧。
  2. ^ 千葉県市原郡教育会 1916, p. 728.
  3. ^ 千葉県市原郡教育会 1916, pp. 728–729.
  4. ^ a b 千葉県市原郡教育会 1916, p. 729.
  5. ^ a b c 『わたしたちの市原市』市原市、12頁。 
  6. ^ 小湊鉄道バス路線図木更津地区”. 小湊鉄道株式会社. 2022年7月21日閲覧。
  7. ^ 日東交通姉ケ崎・桜台団地線”. 日東交通. 2022年7月21日閲覧。

参考文献

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  • 千葉県市原郡教育会『千葉県市原郡誌』千葉県市原郡、1916年。NDLJP:951002 

関連項目

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