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姉崎町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あねさきまち
姉崎町
廃止日 1963年5月1日
廃止理由 編入合併
姉崎町市原町五井町三和町市津町市原市
現在の自治体 市原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
市原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 27.39 km2
総人口 11,307
(1960年)
隣接自治体 市原郡五井町、南総町君津郡袖ヶ浦町平川町
姉崎町役場
所在地 千葉県市原郡姉崎町
座標 北緯35度28分17秒 東経140度02分43秒 / 北緯35.47144度 東経140.04533度 / 35.47144; 140.04533座標: 北緯35度28分17秒 東経140度02分43秒 / 北緯35.47144度 東経140.04533度 / 35.47144; 140.04533
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姉崎町(あねさきまち)は、千葉県中央部の千葉地域にかつて存在した[1]。現在の市原市とほぼ同範囲を郡域とする市原郡に属していた[1]

概要

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1889年の町村制施行にともない鶴牧村(つるまきむら)として発足し、1891年に町制を布いた際に姉崎町に改称した。昭和の大合併により廃止されて市原市の一部となった[1]

旧町域は市原市役所姉崎支所の管轄区域、また後年一部は市原市役所有秋支所の管轄区域となっており、姉崎地区及び有秋地区と呼ばれている[2]

地理

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地形

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北西方向は東京湾に面している。埋め立て以前の浜は遠浅で、太平洋沿岸や南房総のような大きく激しい波がなく、毎年3月の大干潮では岸から4,800m程の沖合まで徒歩で行くことが可能で、満潮の時には7 - 10m位の場所まで泳ぐことが出来た[3]。東京湾の奥に富士山一帯の連峰を見渡せ、北の遥かには筑波山を眺めることができる[3]

気候

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気象上、この地方一帯は、熱が取り払われた海風によって、涼味に浸ることができた[3]

河川

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主な河川は以下の通りである。

  • 椎津川
  • 深城川
  • 片又木川

隣接自治体

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地域

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町内の大字は以下の通りであった[1]

町村制 大字
併合後 施行後 施行前
姉崎町 鶴牧村 姉ヶ崎村 姉崎
畑木村 畑木
椎津村 椎津
深城村 深城
豊成村 豊成
不入斗村 不入斗
片又木村 片又木
立野村 立野
千種村 今津朝山村 今津朝山
白塚村 白塚
柏原村 柏原

人口

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行政

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行政中央機関

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  • 姉崎町役場

町長

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財政

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産業

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工業

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商業

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農業

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林業

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水産業

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観光業

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埋め立て以前の観光は、潮干狩り海水浴が中心であった[3]。海は穏やかで、遠浅でハマグリバカガイなどの貝類が養殖されている浜であったため、特に当時の女性が「危険の少ない潮干狩り場」としてよく訪れており、東京の各女学校から学生が潮干狩りによく訪れていたという[3]。太平洋沿岸や房州のような大きく激しい波がなく、やはり女性の海水浴に人気であった。町営の脱衣場が整備され、公衆浴場もでき、事務所がある等、様々な海水浴客の求めに応えられる設備が整っていた[4]

歴史

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沿革

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年表

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生活

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明治後期 - 大正時代

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避暑地として新開な地域であったため、人々は純朴であり、都会人を見て暴力行為を行うことは決してなく、むしろ優待していたという[3]。物価は安く、特に魚類は新鮮溌溂なものが常に食膳に並んでいた[3]。当時、東京で風味の良い魚の多くは、この辺りで獲れたものに限られていると言われていた位である[3]。野菜は近在の生産者から直接買われ、その他梨桃などの果物は「市原梨」と言う風味の良いものが多く生産されていた[3]。家賃は1ヶ月畳代1円50銭から2円程であり、比較的安価であった[3]。また、飲料水が清洌で噴出するので、保健上で配慮するところが少なかった[3]

昭和時代

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文化

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施設

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名所

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交通

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脚注

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注釈

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  1. ^ 現在使用している太陽暦では8月29日

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『市原のあゆみ』市原市、1973年。doi:10.11501/9640298 
  2. ^ 矢島秀朗『市原現代年表』市原市、2016年12月。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 市原郡教育會 編『市原郡誌』市原郡教育會、1916年。 
  4. ^ 『あねがさき案内』詳報堂、姉崎304番地、1922年。 

関連項目

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