安濃鉄道
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 三重県津市大字刑郎508 |
設立 | 1918年(大正7年)8月20日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 |
代表者 | 社長 鈴木喜一 |
資本金 | 106,000円 |
発行済株式総数 | 2,120株 |
特記事項:1972年度現在(『私鉄要覧 昭和47年度版』 90頁) |
概要 | |
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現況 | 廃止 |
起終点 |
起点: 新町駅(本線) 安東駅(片田支線) 終点: 林駅(本線) 片田駅(片田支線) |
駅数 | 20駅(うち片田支線6駅) |
運営 | |
開業 | 1914年12月29日 |
休止 | 1944年1月11日 |
廃止 | 1972年8月31日 |
所有者 | 安濃鉄道 |
使用車両 | 車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 |
14.5 km (9.0 mi)(新町-林間) 5.1 km (3.2 mi)(安東-片田間) |
軌間 | 762 mm (2 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
安濃鉄道(あのうてつどう)とは、かつて三重県津市と同県河芸郡椋本村(現在の津市芸濃町椋本)を結ぶ鉄道路線を運営していた会社である。他の鉄道路線とは接続していない孤立路線であった。
概要
[編集]安濃川に沿って阿漕と関間、また途中の安東で交差して一身田と片田方面を結ぶ計画だったが、中間部分の新町 - 林間、安東 - 片田間しか建設されなかった。1920年代半ばに末端部の椋本 - 林間、支線の安東 - 片田間が廃止され、太平洋戦争に入り資材供出のため1944年に不要不急線として残る新町 - 椋本間が休止となった。戦後も会社は存続し、運行再開を目指し何度か休止延長願を運輸省に提出していたが、資金調達ができず、1972年に正式に廃止された。
路線データ
[編集]- 路線距離:
- 本線:14.5km(新町 - 林)
- 片田支線:5.1km(安東 - 片田)
- 駅数:本線14駅、片田支線6駅
- 軌間:762mm
- 動力:蒸気・内燃
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 複線区間:なし(全線単線)
沿革
[編集]- 1912年(明治45年)2月3日 三重県安濃郡新町と同県河芸郡明村および高宮村を結ぶ軌間2フィート6インチ (762mm) の軽便鉄道敷設免許が安濃鉄道会社に下付[1]
- 1913年(大正2年)7月30日 会社設立。資本金26万円で本社を三重県安濃郡新町大字刑部470番地に置く。
- 1914年(大正3年)12月29日 新町 - 椋本間開業[2]
- 1915年(大正4年)
- 1917年(大正6年)
- 1922年(大正11年)5月16日 安東 - 一身田間の7回目の工事延期願の却下により同区間の免許取り消し[8]
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)11月7日 椋本 - 林間、安東 - 片田間休止
- 1927年(昭和2年)4月6日 安東 - 片田間廃止
- 1928年(昭和3年)7月1日 従前の蒸気機関車に加え、気動車(ガソリンカー)導入
- 1929年(昭和4年)5月25日 新町 - 阿漕間の免許返納[11]
- 1935年(昭和10年)7月10日 岡本駅、椋本口駅開業
- 1940年(昭和15年)4月25日 萩野駅開業
- 1941年(昭和16年)10月31日 椋本 - 林間廃止[12]
- 1944年(昭和19年)1月11日 全線を不要不急線として休止
- 1972年(昭和47年)8月31日 全線廃止
駅一覧
[編集]- 本線
- 新町駅 - 納所駅 - 安東駅 - 鹿毛駅 - 曽根駅 - 内多駅 - 安濃駅 - 荒木駅 - 岡本駅 - 萩野駅 - 安西駅 - 椋本口駅 - 椋本駅 - 林駅
- 片田支線
- 安東駅 - 跡部駅 - 分部駅 - 産品駅 - 志袋駅(貨物) - 志袋駅 - 片田駅
輸送・収支実績
[編集]年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1915 | 125,802 | 1,494 | 10,599 | 12,330 | ▲ 1,731 | 410 | 4,127 | ||
1916 | 142,699 | 2,906 | 13,054 | 14,392 | ▲ 1,338 | 雑損192 | 817 | 8,400 | |
1917 | 206,625 | 2,615 | 18,327 | 18,509 | ▲ 182 | 償却金1,078 | 1,760 | 10,841 | |
1918 | 222,211 | 3,903 | 22,884 | 27,311 | ▲ 4,427 | 雑損金及創立費償却金622 | 3,164 | 12,994 | |
1919 | 169,394 | 3,800 | 26,006 | 31,831 | ▲ 5,825 | 雑損金183 | 3,605 | 13,092 | |
1920 | 150,730 | 2,364 | 30,863 | 36,954 | ▲ 6,091 | 雑損108借入金償却金400 | 5,700 | 13,360 | |
1921 | 136,843 | 2,333 | 29,445 | 33,513 | ▲ 4,068 | ||||
1922 | 151,645 | 3,309 | 32,202 | 35,004 | ▲ 2,802 | ||||
1923 | 164,366 | 3,520 | 33,080 | 38,604 | ▲ 5,524 | 雑損110 | 4,637 | 13,405 | |
1924 | 171,615 | 2,398 | 32,958 | 38,103 | ▲ 5,145 | 雑損29 | 4,282 | 13,478 | |
1925 | 156,247 | 3,089 | 30,269 | 35,247 | ▲ 4,978 | 雑損106,446 | 3,975 | 2,127 | |
1926 | 135,584 | 2,961 | 26,232 | 26,933 | ▲ 701 | 4,066 | |||
1927 | 140,781 | 4,472 | 27,895 | 31,462 | ▲ 3,567 | 雑損8 | 4,481 | ||
1928 | 130,128 | 5,691 | 27,371 | 29,761 | ▲ 2,390 | 4,842 | |||
1929 | 125,310 | 3,699 | 26,493 | 24,573 | 1,920 | 減資益金184,000 | 雑損57,435 | 5,078 | |
1930 | 121,867 | 2,380 | 21,553 | 22,391 | ▲ 838 | 584 | |||
1931 | 122,385 | 2,311 | 18,441 | 17,769 | 672 | 雑損569 | 585 | ||
1932 | 109,433 | 2,183 | 15,964 | 15,655 | 309 | 369 | |||
1933 | 110,075 | 2,549 | 16,529 | 16,105 | 424 | 516 | |||
1934 | 109,885 | 2,367 | 16,202 | 15,367 | 835 | 雑損623 | 233 | ||
1935 | 112,048 | 1,995 | 15,910 | 15,363 | 547 | 雑損600 | 210 | ||
1936 | 113,722 | 1,886 | 16,691 | 16,551 | 140 | 202 | |||
1937 | 112,183 | 1,721 | 17,579 | 17,015 | 564 | 償却金548 | 174 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
[編集]蒸気機関車
[編集]- 1 - 3
- 開業に備えてコッペルで製造されたB形5tタンク式蒸気機関車。気動車の増備により3は1933年(昭和8年)に、1・2は1938年(昭和13年)に廃車となった。
- 4
- 片田支線の開業に備えて1917年(大正6年)に大日本軌道で製造されたB形6tタンク式蒸気機関車。1933年(昭和8年)に廃車。
客車
[編集]- 1 - 4
- 開業に備えて名古屋電車製作所で製造された2軸ボギー客車。出入台にドアのないオープンデッキ構造である。1935年(昭和10年)に3・4が廃車となり、3は中遠鉄道に譲渡された。1・2は全線休止まで使用された。
- 5・6
- 片田支線の開業に備えて1917年(大正6年)に加藤車輌で製造された2軸ボギー客車。1 - 4と同じくオープンデッキ構造だが、連結面に窓が設けられた。1935年(昭和10年)に5が廃車となった。6は全線休止まで使用された。
貨車
[編集]- ワ1・2
- 開業に備えて名古屋電車製作所で製造された3t積み2軸有蓋貨車。ワ1は開業翌年の1915年(大正4年)に火災により車体が焼失したため、郵便室付き有蓋緩急車ゴワ1に改造された。ワ2は1917年(大正6年)に火災により車体が焼失し、3t積み無蓋貨車ト3に改造された。改造後、どちらも1935年(昭和10年)に廃車となった。
- ワ3・4
- 片田支線の開業に備えて1917年(大正6年)に加藤車輌で製造された3t積み2軸有蓋貨車。2両とも1923年(大正12年)3t積み無蓋貨車に改造され、ト4・5となった。1935年(昭和10年)にト4が廃車となり、ト5は2t積みに変更されて休止時まで使用された。
- ト1・2
- 開業に備えて名古屋電車製作所で製造された3t積み2軸無蓋貨車。ト1は1933年(昭和8年)に廃車となった。ト2は休止時まで使用された。
気動車
[編集]計3両が製造されている。いずれも戦時中は木炭ガス発生装置を装備し、休止時まで気動車として使用された。
- ジ1
- 1928年(昭和3年)に丸山車輌で製造された単端式(片運転台)2軸ガソリンカー。エンジンはフォードT形 (18.75HP)。
- ジ2
- ジ1と同じく1928年(昭和3年)に丸山車輌で製造された単端式2軸ガソリンカー。エンジンは同じくフォードT形 (18.75HP)。車両後部に手荷物室を設けた。
- カ10
- 1935年(昭和10年)に日本車輌で製造された単端式2軸ガソリンカー。エンジンはフォードBBF (43.5HP)。
脚注
[編集]- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年2月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年1月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1915年3月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1915年11月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1917年4月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「輕便鐵道線路一部免許取消」『官報』1917年6月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道免許取消」『官報』1922年5月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 山崎(1986)63頁。9月1日とする資料もある「地方鉄道駅設置」『官報』1924年10月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)、『停車場一覧 昭和2年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年11月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 日付は山崎(1986)61頁による「鉄道免許失効」『官報』1929年9月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 山崎(1986)62頁によれば7月24日許可10月31日実施「地方鉄道運輸営業廃止」『官報』1941年7月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)では即日(7月24日)実施
参考文献
[編集]- 山崎寛「失われた鉄道・軌道をたずねて〔57〕安濃鉄道」『鉄道ピクトリアル』1986年3月号(通巻460号)、電気車研究会、1986年3月。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790026-5。
外部リンク
[編集]- “「軽便鉄道」復旧の希望かなわず-安濃鉄道「休止延長願」何度も”. 発見!三重の歴史. 三重県. 2023年12月4日閲覧。