安田久雄
安田 久雄(やすだ ひさお、Paul Hisao Yasuda, 1921年12月20日 - 2016年4月23日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック大阪大司教区第2代司教。洗礼名は「パウロ」。
生涯
[編集]福岡県久留米市生まれ[1]。1943年に東京帝国大学農学部水産学科を卒業後、同年から中央気象台化学科生物係、1945年10月から1947年2月まで神戸海洋気象台海洋課化学生物係で働いた[1]。
1951年に東京の上智大学文学部哲学科を卒業し、同年7月から1955年6月までアメリカ合衆国に留学[1]。ボルティモアの聖マリア大学で学び、1955年5月21日に司祭に叙階[1]。同年10月から1957年10月までローマに留学し、教皇庁立ウルバノ大学大学院博士課程を卒業した[1]。
1958年から1963年はカトリック大阪教区の司教秘書、1963年から1967年英知大学副学長を務め、1967年から北浜教会の主任司祭となった[2]。
1970年2月5日に大阪大司教教区の補佐司教に任命され[3]、同年3月21日に司教に叙階[2]。1978年2月23日に現役のまま死去した田口芳五郎大司教の後任として、同年11月15日に大司教に任命され[3]、1979年2月12日に着座した[2]。
1995年1月17日の阪神淡路大震災では被災教区の大司教として対応にあたり、「新生計画」を発表。復旧ではない新たな発展とし、被災した教会などは早急な再建・修理を目指すものの、西宮市の大司教館敷地売却、神戸市の下山手教会、中山手教会、灘教会は新設される神戸中央教会への統合、北浜教会及び神学院の廃止を含む「リストラ」であった[4]。同年11月2日にはイエズス会士の池長潤神父が協働大司教に任命されている[3]。
1997年5月10日に大阪教区長を引退[3]。晩年は姫路市の仁豊野ヴィラで過ごした[5]
2016年4月23日、同所で老衰のため死去。享年94歳。4月26日に大阪カテドラル聖マリア大聖堂で葬儀ミサが捧げられた[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e カトリック教報 第1040号2016年6月1日発行カトリック長崎大司教区
- ^ a b c 【訃報】安田大司教、逝去 April 23, 2016ウェブアーカイブ カトリック新聞オンライン
- ^ a b c d カトリック大阪大司教区(大阪府、兵庫県、和歌山県)カトリック中央協議会
- ^ ハダカになって再建へ 思い切ったリストラ策 他教団にも大きな示唆『中外日報』平成7年2月28日付(25272号)18面
- ^ 2016年に帰天された3人の司教様を偲んで2016年11月1日 カトリック仁川教会
- ^ 2016年月4日26日(火)パウロ 安田久雄名誉大司教様安らかに カトリック堺教会
外部リンク
[編集]- カトリック大阪大司教区
- Archbishop Paul Hisao Yasuda†Catholic-Hierarchy
先代 田口芳五郎 |
カトリック大阪大司教区 教区長 1978年 – 1997年 |
次代 池長潤 |