安達亮
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名前 | ||||||
カタカナ | アダチ リョウ | |||||
ラテン文字 | ADACHI Ryo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1969年7月2日(55歳) | |||||
出身地 | 兵庫県西宮市[1] | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1985-1987 | 市立船橋高校 | |||||
1988-1991 | 専修大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992 | 横浜フリューゲルス | 0 | (0) | |||
通算 | 0 | (0) | ||||
監督歴 | ||||||
2012 | ヴィッセル神戸 | |||||
2012-2014 | ヴィッセル神戸 | |||||
2018-2020 | カターレ富山 | |||||
2021 | ラインメール青森FC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
安達 亮(あだち りょう、1969年7月2日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。父親はヴィッセル神戸のゼネラルマネージャーや社長も務めた安達貞至[2]。
来歴
[編集]市立船橋高校時代はキャプテンを務め[2]、全国に先駆けてブロックサインを導入するなどの頭脳プレーでチームを牽引した。
横浜フリューゲルスでは選手兼アシスタントコーチを経て[2]、Jリーグ元年の1993年はサテライトチームにてゲルト・エンゲルスの下でアシストタントコーチに就いた[2]。その後は横浜F、横浜F・マリノス、鹿児島実業高校で育成年代の指導者を歴任。横浜FMユース監督時代の教え子である栗原勇蔵は「亮さんじゃなかったら、俺なんてどうなっていたかわからない。たまたま亮さんが監督だったら今があるんだと思います」と語っている[3]。
2006年からはヴィッセル神戸に在籍。2010年は強化部長を務めていたが、2010年9月に三浦俊也が監督を解任されると、ヘッドコーチの和田昌裕の監督昇格に合わせて、安達はヘッドコーチに就任した[4]。2012年4月末、成績不振を理由に和田から安達への監督交代が発表され[1]、西野朗が新監督に就任するまでの5試合のあいだ神戸の指揮を執った[5]。同年11月、その西野も成績不振により解任されたのを受け、再び神戸の監督に就任[6]。この年こそ就任前の順位を挽回できずJ2降格を喫したものの、2013年も引き続き神戸を指揮してJ1昇格を果たす。
2014年シーズン終了をもって神戸の監督を退任し[7]、V・ファーレン長崎のヘッドコーチに就任[8]。
2016年シーズン終了をもって長崎を退団し、神戸の強化本部長 強化部部長 兼 スカウト部部長に就任[9]。3年ぶりの神戸復帰となったが、同年11月1日付をもって退任となった[10]。
2018年5月、契約解除となった浮氣哲郎の後任として、カターレ富山の監督に就任した[11]。
2020年12月、任期満了により富山の監督を退任[12]。
2020年12月30日、ラインメール青森FCの監督に就任した[13]。
所属クラブ
[編集]- 船橋市立船橋高等学校
- 1988年 - 1991年 専修大学
- 1992年 横浜フリューゲルス
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 横浜F | - | J | - | 0 | 0 | |||||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
総通算 | 0 | 0 | 0 | 0 |
指導歴
[編集]- 1993年 - 1998年 横浜フリューゲルス
- 1993年 - 1996年 トップチーム コーチ
- 1997年 - 1998年 ユース 監督
- 1999年 横浜F・マリノス コーチ
- 1999年 鹿児島実業高校 コーチ
- 2000年 - 2003年 横浜F・マリノスユース 監督
- 2004年 JFAナショナルコーチ(U-16日本代表・関西トレセン)
- 2005年 JFAナショナルコーチ(U-17日本代表監督・U-18日本代表コーチ)
- 2006年 - 2014年 ヴィッセル神戸
- 2006年 - 2007年 U-21 監督
- 2008年 ユース 監督
- 2009年 トップチーム コーチ
- 2010年 強化部長
- 2010年9月 - 2012年11月 トップチーム ヘッドコーチ
- 2012年4月 - 同年5月 監督代行[1]
- 2012年11月 - 2014年 トップチーム 監督
- 2015年 - 2016年 V・ファーレン長崎 ヘッドコーチ
- 2017年 ヴィッセル神戸 強化部長
- 2018年5月 - 2020年 カターレ富山 監督
- 2021年 ラインメール青森FC 監督
- 2022年 - 横浜F・マリノス アシスタントコーチ
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ルヴァンカップ | 天皇杯 | |||
2012 | J1 | 神戸 | 16位 | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | グループリーグ敗退 | - |
2013 | J2 | 2位 | 83 | 42 | 25 | 8 | 9 | - | 3回戦敗退 | |
2014 | J1 | 11位 | 45 | 34 | 11 | 12 | 11 | ベスト8 | 2回戦敗退 | |
2018 | J3 | 富山 | 11位 | 35 | 22 | 10 | 5 | 7 | - | 2回戦敗退 |
2019 | 4位 | 58 | 34 | 16 | 10 | 8 | - | 3回戦敗退 | ||
2020 | 9位 | 50 | 34 | 15 | 5 | 14 | - | 県予選敗退 | ||
2021 | JFL | 青森 | 9位 | 45 | 32 | 12 | 9 | 11 | - | 県予選敗退 |
- 2012年は5月(暫定)、11月から指揮。
- 2018年は、5月から指揮。
脚注
[編集]- ^ a b c “監督交代のお知らせ [ 神戸 ](12.04.30)”. J's GOAL (2012年4月30日). 2012年10月17日閲覧。
- ^ a b c d 加茂周『モダンサッカーへの挑戦』、講談社、1994年、196頁。
- ^ 川端暁彦 (2006年). “Jユースサハラカップ2006:インタビュー(栗原勇蔵)”. J's GOAL. 2012年10月17日閲覧。
- ^ 『監督交代のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2010年9月12日 。2021年3月1日閲覧。
- ^ 芥川和久 (2012年6月6日). “【ヤマザキナビスコカップ 大宮 vs 神戸】プレビュー:ともにチーム立て直しの修正ポイントがぶつかる一戦。大宮のゾーンディフェンスか、神戸のポゼッションか?(12.06.06)”. J's GOAL. 2012年10月17日閲覧。
- ^ 『監督交代のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2012年11月8日 。2012年11月8日閲覧。
- ^ 『安達亮監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2014年11月3日 。2014年12月13日閲覧。
- ^ 『安達 亮ヘッドコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2014年12月8日 。2014年12月13日閲覧。
- ^ 『安達亮氏 強化本部長就任の知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2017年1月20日 。2017年11月2日閲覧。
- ^ 『ヴィッセル神戸 強化本部長退任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2017年11月2日 。2017年11月2日閲覧。
- ^ 『安達亮氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)カターレ富山、2018年5月9日 。2018年5月9日閲覧。
- ^ 安達亮監督 契約満了のお知らせカターレ富山
- ^ 『安達亮 氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ラインメール青森FC、2020年12月30日 。2021年3月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 安達亮 - Soccerway.com
- 安達亮 - FootballDatabase.eu
- 安達亮 - WorldFootball.net
- 安達亮 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 安達亮 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 安達亮 - J.League Data Siteによる監督データ