宮城信勇
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宮城 信勇(みやぎ しんゆう、1920年11月28日 - 2019年9月16日)は、沖縄県出身の八重山方言研究家、郷土史家[1]。石垣市名誉市民[2]。
略歴
[編集]1920年11月28日、沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)新川で生まれる。母は『八重山生活誌』で第1回伊波普猷賞を受賞した宮城文。九 州帝国大学法文学部を卒業。教員を経て、八重山群島政府文教部長、八重山地区教育長、琉球政府企画局長、沖縄電力取締役等を歴任[1][3]。
定年後の1976年、母とともに石垣方言の研究をはじめ、翌1977年に『八重山ことわざ事典』を出版。2003年には、1万7千語余りを収録する『石垣方言辞典』を完成させた[1][3]。1993年に東恩納寛惇賞[4][5]、2016年に伊波普猷賞、2020年に吉川英治文化賞を受賞[1]。
また、1973年の復帰記念沖縄特別国民体育大会の際には、愛称公募に応募した「若夏国体」が当選し、その名付け親となった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “宮城信勇氏が死去 八重山方言研究に尽力 98歳”. 琉球新報. (2019年9月17日). オリジナルの2019年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “構成市町 : 石垣市”. 八重山広域市町村圏事務組合. 2023年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月20日閲覧。
- ^ a b “石垣島方言を後世へ 宮城信勇氏を偲ぶ会”. 八重山日報. (2020年2月25日). オリジナルの2020年9月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ “東恩納寛惇賞 歴代受賞者”. 琉球新報社 (2016年6月27日). 2023年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月20日閲覧。
- ^ “故・宮城氏の功績継承を 関係者約130人、冥福祈る”. 八重山毎日新聞. (2020年2月26日). オリジナルの2021年12月4日時点におけるアーカイブ。