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宮崎友太郎

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宮崎友太郎

宮崎 友太郎(みやさき[1] ともたろう、1868年9月23日明治元年8月8日[2][3]) - 1929年昭和4年)12月18日[1])は、明治から昭和時代初期の政治家実業家銀行家衆議院議員(2期)。

経歴

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駿河国有渡郡弥勒町(静岡県有渡郡大里村安倍郡大里村、静岡市を経て現静岡市葵区)出身[3]。宮崎安七郎の長男として生まれ、1898年(明治31年)3月、家督を相続する[2]静岡中学[4]専修学校に学び、大里村会議員、所得税調査委員、安倍川水害予防組合議員を務める[1]

財界では、静岡実業銀行[注 1]常務取締役、静岡印刷取締役、静岡米穀株式取引所、東海瓦斯、静岡軽便鉄道監査役[2]、富士電気工業、銅山川電力、東洋醸造[注 2]各取締役、静岡瓦斯監査役[5]駿河銀行取締役、静岡漁業監査役、静岡貯蓄銀行[注 3]、吉野水電興業、此花商事各取締役などを歴任した[1]

1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選[1]。つづく第15回総選挙でも当選し、衆議院議員を2期務めた[1]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 駿河銀行の前身行。
  2. ^ のち旭化成と合併。
  3. ^ 静岡銀行の前身行。

出典

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  1. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 490頁.
  2. ^ a b c d 人事興信所 1915, み55頁.
  3. ^ a b 衆議院事務局 1920, 16頁.
  4. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 43頁。
  5. ^ a b 人事興信所 1928, ミ88頁.

参考文献

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