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宮崎県営鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮崎県営鉄道(みやざきけんえいてつどう)は、宮崎県がかつて運営していた公営鉄道である。

路線はいずれも後に国有化され、日本国有鉄道(国鉄)妻線1984年廃止)、日本国有鉄道・九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線鉄道省油津線(1941年廃止、一部改築され日本国有鉄道・九州旅客鉄道日南線)のそれぞれ一部となった。

歴史

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建設開始まで

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九州各県の中でも宮崎県は鉄道建設が遅れていたが、明治末年になり県内でも建設を求める声が高まり始めた。

1911年(明治44年)3月13日有吉忠一朝鮮総督府より転任して第13代宮崎県知事に就任すると、鉄道建設構想は一気に具体化し始める。有吉はかつて千葉県知事を務めていた際に全国初の県営鉄道となる千葉県営鉄道を建設・開業させた実績があった。有吉は前年(1910年)に公布されていた軽便鉄道法に注目し、就任した年の11月に宮崎(穂北村、現在の西都市)を結ぶ軽便鉄道路線の建設について言及。翌1912年(明治45年)2月10日、宮崎 - 妻間(妻線)に加え、油津 - 飫肥間(飫肥線)について県営事業として路線免許を取得することに成功した[1]

建設と開業

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元号が大正に改まった同年9月26日、妻線がまず着工された。翌1913年(大正2年)5月21日、県営軽便鉄道管理所を県庁内に設置。同年12月15日、宮崎 - 福島町(現佐土原付近、1920年廃止)間が開業した[2]。既に鉄道院により吉松から宮崎までの鉄道が着工され、宮崎駅の駅舎は先に完成していたため、県営鉄道がその駅舎を借り受け使用する形をとった。

以後の路線延伸については妻線・日豊本線・日南線の各項目を参照されたい。

国有化

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妻線は着工時点で既に将来の国有化を見越して国鉄と同じ1067mm軌間を採用していた。鉄道院による宮崎までの路線延伸が順調に進み、1916年(大正5年)10月25日清武 - 青井岳間の開業で吉松から伸びてきた宮崎線が全通すると、宮崎以北への延伸工事が着工されてまもない翌1917年(大正6年)9月21日に妻線は国有化された。

飫肥線は当面他線と接続する予定がなかったこと等から762mm軌間を採用していた。昭和に入り、大隅半島に国鉄線の延伸が具体化して志布志線が延伸されてくる中で、1935年(昭和10年)7月1日に飫肥線と同線から分岐していた宮崎県営軌道線が国有化され国鉄油津線となり[3]、宮崎県営鉄道は四半世紀近くの歴史の幕を閉じた。

路線

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妻線

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  • 宮崎 - 福島町 - 妻
  • 宮崎 - 川口(貨物支線)
  • このほか、国鉄が建設した宮崎 - 清武間の宮崎線についても営業を受託していた。

飫肥線

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  • 飫肥 - 油津
    • いずれも現在のJR九州日南線の駅とは別の場所。
  • 星倉 - 大藤(軌道線)

輸送・収支実績

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鉄道線

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年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1913 224,676 3,508 19,189 24,430 ▲ 5,241
1914 570,091 23,934 74,885 45,390 29,495 79 24,246
1915 604,441 33,327 81,623 43,258 38,365 35,634
1916 568,337 47,905 93,048 47,921 45,127 25,504
1917 351,879 39,496 55,311 43,749 11,562 12,243
1918 175,489 20,455 19,002 22,960 ▲ 3,958 9,901
1919 206,549 16,888 23,713 29,481 ▲ 5,768 雑損1,177 9,667 9,465
1920 235,636 16,460 30,449 31,252 ▲ 803 9,667 9,828
1921 187,141 12,105 33,011 34,351 ▲ 1,340
1922 210,967 9,342 34,198 30,991 3,207
1923 221,253 6,316 33,293 30,918 2,375 3,757
1924 209,076 5,141 29,918 25,581 4,337
1925 203,075 4,877 27,034 25,017 2,017
1926 190,654 3,313 24,686 24,735 ▲ 49 雑損1,093
1927 184,930 2,739 24,460 24,167 293
1928 174,661 3,315 22,807 21,041 1,766
1929 197,732 1,760 25,302 23,874 1,428
1930 192,650 1,228 23,990 23,128 862
1931 196,444 926 24,012 25,317 ▲ 1,305 雑損123
1932 165,755 4,266 21,990 23,167 ▲ 1,177 雑損586
1933 175,470 7,706 23,209 22,428 781
1934 177,193 11,269 25,523 20,080 5,443
1935 48,359 3,744 6,257 7,111 ▲ 854

軌道線

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年度 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1932 2,499 1,773 4,271 ▲ 2,498 2,405
1933 6,256 4,737 5,261 ▲ 524 3,118
1934 9,749 7,451 5,259 2,192 雑損257 3,038
1935 3,359 2,527 1,801 726
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

車両

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妻線

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飫肥線

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開業時に南満州鉄道から、改軌により不要になった安奉線の車両(蒸気機関車、客車、貨車)を譲り受けている。

軌道線用には「*」を付す。

  • 蒸気機関車
    • ヲ1, ヲ2 - 買収後ケ290形(ケ290, ケ291)
  • ガソリン機関車
  • 気動車
    • ヲジ1, 3 - 買収後ケキハ550形(550, 551)
    • ヲジ2 - 買収後ケキハ520形(520)
  • 客車(買収後形式)木製ボギー客車。元安奉線の車両で南満州鉄道時代に貨車から改造している。汽車製造1905年製。
    • ケコハ400形(400 - 402) - 買収前はヲハ1 - 3 後に魚沼線で使用。
    • ケコユニ860形(860)
  • 貨車(買収後形式)
    • ケワ40形(43)
    • ケワフ100形(102 - 104)
    • ケチ50形(50)
    • ケチ100形(100 - 104)
    • *ケチ350形(350 - 369)

脚注

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  1. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年2月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年12月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「鉄道省告示第257号」『官報』1935年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『鉄道院年報. 大正元年度』『鉄道院年報. 大正3年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

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  • 澤内一晃「南海の二軸客車」『鉄道ピクトリアル』No.835
  • 中川浩一「内地の私鉄に譲渡された満鉄の客車」『鉄道ピクトリアル』通巻160号、1964年8月
  • 南満州鉄道株式会社編『南満州鉄道株式会社十年史』(明治百年史叢書 239)復刻原書房、1974年(原本は1919年)

関連項目

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外部リンク

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