宮崎竜成
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ヤマハ硬式野球部 #2 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県板野郡北島町 |
生年月日 | 2000年12月9日(23歳) |
身長 体重 |
173 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 二塁手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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宮崎 竜成(みやざき りゅうせい、2000年12月9日 - )は、徳島県板野郡北島町出身の野球選手(内野手)。右投左打。
母は元ソフトボール選手で、1996年アトランタオリンピック日本代表の児玉千佳[1]。
経歴
[編集]北島南小3年生から北島南十字星で軟式野球を始め、北島中時代はヤング徳島ホークスでプレーした[2][3]。
創志学園高等学校では1年秋からベンチ入りした[3]。2年春の第89回選抜高等学校野球大会に出場。三浦銀二、古賀悠斗擁する福岡大大濠との初戦で1安打を記録したが、試合は敗れた[4]。3年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会にも出場し、2試合で2安打を記録した[5][6]。1学年上に難波侑平、1学年下に西純矢、草加勝がいた。
高校卒業後は立命館大学へ進学。1年秋からリーグ戦に出場[3]。4年時の2022年から主将を務めたが、同年春のリーグ戦では1982年のリーグ発足後初の最下位に転落してしまった[7]。
大学卒業後は野球を辞めるつもりだったが、ヤマハから勧誘を受けて、同社で野球を続けることになった[8]。1年目の2023年は右肘のクリーニング手術を受け、リハビリに努めた。2024年より二塁手のレギュラーに定着し、同年9月24日に開催されたドラフト会議にて、千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けた[2][8]。
脚注
[編集]- ^ “もっと社会人野球:「死にはせんから」オリンピアンの母の教え ヤマハ・宮崎竜成”. 毎日新聞. 2024年10月27日閲覧。
- ^ a b 「【ドラフト】ロッテ2位のヤマハ宮崎竜成「正直上位指名にはびっくり。人生で忘れられない1日」」『日刊スポーツ』2024年10月24日。2024年10月28日閲覧。
- ^ a b c 「今秋ドラフト候補の立命大・宮崎竜成が始動 創志学園で阪神・西純の1年先輩「MVPを取れる活躍したい」」『Sponichi Annex』2022年1月12日。2024年10月28日閲覧。
- ^ “創志学園 対 福岡大大濠 - スコア詳細 - 第89回選抜高校野球(2017) : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年10月27日閲覧。
- ^ “創志学園 対 創成館 - スコア速報 - 夏の甲子園2018 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年10月27日閲覧。
- ^ “下関国際 対 創志学園 - スコア速報 - 夏の甲子園2018 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年10月27日閲覧。
- ^ “立命大が連勝で同大の胴上げを阻止 主将・宮崎が決勝場外弾「最高に気持ちよかった」 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年10月27日閲覧。
- ^ a b 日本放送協会. “ロッテ2位指名 ヤマハ宮崎竜成選手 “びっくりした”|NHK 静岡県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2024年10月27日閲覧。