富山市立神保小学校
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富山市立神保小学校 | |
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北緯36度38分13.56秒 東経137度8分7.213秒 / 北緯36.6371000度 東経137.13533694度座標: 北緯36度38分13.56秒 東経137度8分7.213秒 / 北緯36.6371000度 東経137.13533694度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山市 |
併合学校 | 千里小学校 富川小学校が合併 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B116220100634 |
所在地 | 〒939-2613 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富山市立神保小学校(とやましりつ じんぼしょうがっこう)は富山県富山市にある公立小学校。
沿革
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- 前史
- 1873年11月 - 大坪森田の普存寺に凞春小学校創立。
- 1874年
- 5月 - 校舎(5間4尺×4間半)建設。
- 8月 - 余川村竹内弥平宅に余川小学校創立。
- 1882年12月 - 高日附村に仁精小学校創設。同月、凞春、余川、仁精小学校を廃し、高日附村に研精小学校を設け、小倉、下吉川(明倫小学校)に同分教場を設置する。
- 1887年4月 - 明倫、仁精の2校を廃止し、高日附村に尋常研精小学校、簡易高日附小学校を設け、小倉と下吉川に分教場を設けた。
- 1888年4月 - 研精小学校を廃し、島田村に簡易島田小学校、上吉川に簡易上吉川小学校を設置。
- 旧・千里小学校
- 1890年4月 - 簡易島田小学校を廃止し、同所に群秀小学校(尋常科)と千里小学校(簡易科)を設置する。
- 1892年4月 - 群秀小学校と千里小学校を統合し、群秀尋常小学校を設置。
- 1895年4月 - 千里尋常小学校に改称。
- 1913年2月 - 校舎を千里村島田261番地に新築。
- 1914年4月 - 女子補習所を開設。
- 1920年4月 - 千里実業補習学校を開設。
- 1926年6月 - 実業補習学校に青年訓練所を充当。
- 1927年4月 - 千里尋常高等小学校に改称。
- 1941年4月 - 千里国民学校に改称。
- 1947年4月 - 千里小学校に改称。
- 旧・富川小学校
- 1890年4月 - 簡易上吉川小学校を廃止し、河原町に簡易河原町小学校、上吉川に簡易育英小学校の2校に分離。
- 1892年10月 - 河原尋常小学校、育英尋常小学校に改称。
- 1897年 - 河原尋常小学校、育英尋常小学校を廃止し、上吉川に富川小学校を創立[3]。
- 1898年11月 - 階上62坪階下52坪の校舎を新築。
- 1922年 - 富川村上吉川2258番地に校舎竣工。
- 1927年4月 - 高等科を併置し、富川川尋常高等小学校に改称[3]。
- 1941年 - 富川国民学校に改称。
- 1947年4月 - 富川小学校に改称。
- 神保小学校
- 1953年4月 - 両校統合し、神保小学校となる。
- 1954年
- 3月 - 現在地に校舎新築。校歌作成、二宮尊徳像を寄贈。
- 4月 - 幼稚園を併置。
- 1955年
- 3月 - 校旗樹立、国旗掲揚塔設置。
- 9月 - 完全給食実施。
- 1956年3月 - 給食室内部改装。
- 1959年1月 - 婦中町立となる。
- 1970年 - プール竣工[3]。
- 1984年1月 - 体育館改築[3][4]。
- 1986年8月 - 現校舎改築、グラウンド造成[3][5]。
通学区域
[編集]婦中町千里西部、婦中町千里南部、婦中町千里北部、婦中町千里東部、婦中町小倉、婦中町熊野道、婦中町島田、婦中町上井沢、婦中町高日附、婦中町余川西、婦中町富崎、婦中町河原町、婦中町上吉川、婦中町下吉川、婦中町富川、婦中町千里団地、婦中町上吉川ニュータウン、婦中町かたかご台、婦中町千里グリーンハイツ、婦中町高日附学園台[6]