寺本比呂文
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県上益城郡甲佐町 |
生年月日 | 1973年6月7日(51歳) |
身長 体重 |
186 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1994年 ドラフト5位 |
初出場 | 1996年8月14日 |
最終出場 | 1998年10月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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寺本 比呂文(てらもと ひろふみ、1973年6月7日 - )は、熊本県上益城郡甲佐町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]甲佐高では速球を持ち味として地区大会で優勝した[1]が、県大会は3年春ベスト8が最高[2]。社会人野球の川崎製鉄神戸では3年目の1994年に先発投手の一人として都市対抗出場などに貢献[3]、全国大会ではエース豊田次郎の存在があって登板はなかった。同年で野球部が廃部となったが、ドラフト会議で西武ライオンズから指名を受け、契約金6700万円、年俸1000万円(いずれも推定)で入団契約を結んだ[4]。背番号は工藤公康の47を引き継いだ。
2年目の1996年には出身地・熊本の藤崎台球場で行われたジュニア・オールスターゲームでイースタンの先発を任されたものの、敗戦投手となっている[5]。一軍でも登板機会を与えられ、翌1997年はキャンプ終了後から肩痛に悩まされ、オフまで投球練習ができなかった[6]。加藤初二軍コーチの激励もあって1998年は一軍で初先発・初勝利を挙げ[6]、16試合に登板した。1999年以降は一軍登板がなく、2001年限りで現役を引退した。スライダーが武器。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1996 | 西武 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | ---- | 50 | 12.0 | 7 | 1 | 7 | 0 | 0 | 13 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.00 | 1.17 |
1998 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 133 | 29.0 | 33 | 4 | 13 | 0 | 0 | 18 | 3 | 2 | 21 | 16 | 4.97 | 1.59 | |
通算:2年 | 16 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | -- | .500 | 183 | 41.0 | 40 | 5 | 20 | 0 | 0 | 31 | 3 | 2 | 25 | 20 | 4.39 | 1.46 |
記録
[編集]- 初登板:1996年8月14日、対近鉄バファローズ15回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に鈴木貴久から
- 初セーブ:1996年9月16日、対福岡ダイエーホークス25回戦(西武ライオンズ球場)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回無失点
- 初先発・初勝利:1998年6月18日、対日本ハムファイターズ12回戦(西武ドーム)、5回 被安打6、与四球3、奪三振4、自責点1
背番号
[編集]- 47 (1995年 - 2001年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 寺本比呂文 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)