対馬市立加志々中学校
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対馬市立加志々中学校 | |
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(2012年4月から対馬市立南小学校が使用) | |
北緯34度21分28.98秒 東経129度15分36.288秒 / 北緯34.3580500度 東経129.26008000度座標: 北緯34度21分28.98秒 東経129度15分36.288秒 / 北緯34.3580500度 東経129.26008000度 | |
過去の名称 |
奴加岳村立唐洲中学校 豊玉村立唐洲中学校 豊玉村立加志々中学校 豊玉町立加志々中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 対馬市 |
校訓 | 誠実 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
閉校年月日 | 2011年(平成23年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒817-1245 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
対馬市立加志々中学校(つしましりつかししちゅうがっこう, Tsushima City Kashishi Junior High School)は、2011年(平成23年)3月末まで長崎県対馬市豊玉町[1]唐洲(からす)にあった公立中学校。対馬中部、浅茅湾を望む豊玉地区の南西部にあった。略称「加中」(かちゅう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革の際に旧・奴加岳[2]村立唐洲[3]国民学校の改組によって発足した「奴加岳村立唐洲小学校[4]・中学校(併設校)」を前身とする。1957年(昭和32年)に小学校との併設を解消し、「豊玉村立加志々中学校」に改称した。2011年(平成23年)3月に対馬市の学校規模適正化(統廃合)に伴い、対馬市立豊玉中学校に統合され64年の歴史に幕を下ろした[5]。
- 校訓
- 「誠実」[6]
- 校章
- 赤い太陽と青い海を背景に校名の「加中」の文字(縦書き)が入っている。
- 校歌
- 1960年(昭和35年)に制定。作詞は加志々中学校職員一同、作曲は長嶋曙光による。歌詞は3番まであり、3番に校名の「加志々」が登場する。
- 旧・校区
- 住所表記で対馬市豊玉町の後に「貝口、東加藤、水崎、加志々、唐洲、廻」が続く地域。小学校区は対馬市立南小学校[7]。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 旧・奴加岳村立唐洲国民学校の初等科が改組され、奴加岳村立唐洲小学校となる。
- 旧・奴加岳村立唐洲国民学校の高等科が改組され、「奴加岳村立唐洲中学校」(新制中学校)となり、小学校に併設される。
- 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳村の合併で豊玉村が発足したことにより、「豊玉村立唐洲中学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)
- 3月14日 - 新校地に校舎、へき地集会所(講堂)、運動場が完成。
- 4月1日 - 「豊玉村立加志々中学校」に改称。
- 1960年(昭和35年)
- 3月13日 - 校舎(職員室・2階教室)を増築。
- 4月 - 校歌・校章・校訓を制定。
- 1962年(昭和37年)4月23日 - 特別教室を増築。
- 1963年(昭和38年)4月20日 - 西側校舎を改修。
- 1964年(昭和39年)- 生徒数が最大数の142名を記録する。
- 1966年(昭和41年)8月15日 - 校門が完成。
- 1967年(昭和42年)2月 - バスケットボールスタンドを設置。
- 1975年(昭和50年)4月 - 町制施行で、「豊玉町立加志々中学校」となる。
- 2004年(平成16年)3月 - 市町村合併で、「対馬市立加志々中学校」(最終名)となる。
- 2009年(平成21年)4月 - 第1・2学年複式学級となる。
- 2010年(平成22年)11月 - 劇団「道化」と共に最後の文化祭を実施。
- 2011年(平成23年)
- 閉校後
学校行事
[編集]- 文化祭(11月)
- 中3保育実習(1月)
教育活動
[編集]部活動
[編集]- 運動部
- ソフトテニス部 - 県大会ベスト8、九州大会ベスト16の経験を持つ。
アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 最寄りの道路
- 長崎県道232号唐崎岬線
- 対馬北部(比田勝港・佐須奈)から
- 国道382号で南下。仁位交差点で右折。県道232号線沿い。
- 長崎県道39号上対馬豊玉線で南下。国道382号と合流するところで左折。「仁位」で右折。県道232号線沿い。
- 対馬南部(厳原港・対馬空港)から
- 国道382号を北へ。仁位で左折。県道232号線沿い。
- 対馬北部(比田勝港・佐須奈)から
周辺
[編集]参考資料
[編集]- 「豊玉町誌」(1992年(平成4年)3月発行, 豊玉町役場)p.799 ~ p.801
脚注
[編集]- ^ 対馬市発足前は「とよたまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「とよたままち」と読まれるようになった。
- ^ 読みは「ぬかだけ」。
- ^ 読みは「からす」。
- ^ 唐洲小学校は1971年(昭和46年)に加藤小学校と統合し、豊玉村立南小学校となった。
- ^ 同時に対馬市立南陽中学校(東部中学校に統合)、対馬市立豊中学校(比田勝中学校に統合)も閉校した。
- ^ 「加志々中で閉校式-対馬市-54年の歴史に幕」(2011年(平成23年)3月14日) - 西日本新聞記事
- ^ 所在地は対馬市豊玉町唐洲331番地
- ^ 加志々中学校から約10km離れている。
- ^ 『「加志々中 最後の文化祭」 最優秀 日本ケーブルテレビ大賞番組』(2011年(平成23年)6月23日)- 長崎新聞記事
- ^ 「仁位」(にい)は豊玉地区中心部。「廻」(まわり)は加志々の少し西にある、岬のバス停。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 対馬市立加志々中学校 - 閉校後ではあるが、2012年(平成24年)8月現在閲覧できる。