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小嶌川庄吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小嶌川 庄吉(こじまがわ しょうきち、1914年9月5日 - 1946年9月15日[1])は、現在の東京都江東区出身で立浪部屋に所属した力士。本名は米花 庄吉(こめばな しょうきち)。173cm、102kg。最高位は西前頭5枚目[2]。引退後は4代八角を襲名したが、在職中に死去した。

経歴

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1928年5月初土俵、1934年5月十両昇進。1938年1月新入幕。肋膜を患って1942年5月限り急遽引退し、7月の八角(大鳴門)の死去により八角を襲名した。素早い出足からの激しい突っ張り、押しを武器に人気を集めた江戸っ子力士であった[2]。1946年巡業先で32歳で急死。

同部屋の羽黒山横綱に昇進した際、土俵入り露払いを務めた。

成績

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  • 幕内6場所29勝40敗15休
  • 通算18場所91勝102敗15休

場所別成績

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小嶌川庄吉
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1928年
(昭和3年)
x x (前相撲) (前相撲)
1929年
(昭和4年)
東序ノ口20枚目
1–5 
東序ノ口20枚目
0–2 
西序ノ口8枚目
1–5 
西序ノ口8枚目
4–2 
1930年
(昭和5年)
西序二段40枚目
4–2 
西序二段40枚目
3–3 
東序二段7枚目
3–3 
東序二段7枚目
2–4 
1931年
(昭和6年)
西序二段8枚目
1–5 
西序二段8枚目
2–4 
西序二段22枚目
4–2 
西序二段22枚目
4–2 
1932年
(昭和7年)
西三段目23枚目
5–3 
西三段目23枚目
4–6 
西三段目9枚目
6–4–1 
西三段目9枚目
7–4 
1933年
(昭和8年)
西幕下13枚目
5–6 
x 東幕下17枚目
6–5 
x
1934年
(昭和9年)
西幕下10枚目
8–3 
x 東十両9枚目
4–7 
x
1935年
(昭和10年)
東幕下2枚目
5–6 
x 西幕下7枚目
4–7 
x
1936年
(昭和11年)
西幕下16枚目
8–3 
x 西幕下4枚目
8–3 
x
1937年
(昭和12年)
東十両9枚目
7–4 
x 東十両4枚目
8–5 
x
1938年
(昭和13年)
東前頭16枚目
8–5 
x 東前頭10枚目
7–6 
x
1939年
(昭和14年)
西前頭5枚目
4–9 
x 西前頭12枚目
休場
0–0–15
x
1940年
(昭和15年)
東前頭20枚目
6–9 
x 西十両3枚目
8–7 
x
1941年
(昭和16年)
西十両筆頭
8–7 
x 西前頭18枚目
4–11 
x
1942年
(昭和17年)
西十両2枚目
休場
0–0–15
x 西十両12枚目
引退
2–13–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青葉山 1 0 安藝ノ海 1 2 綾錦 1 0 綾昇 0 1
綾若 1 1 一渡 1 0 五ツ嶋 0 1 射水川 1 0
大蛇潟 1 0 海光山 2 0 鏡岩 0 1 笠置山 1 1
鹿嶋洋 0 2 九州山 0 1 駒ノ里 1 3 櫻錦 0 1
四海波 0 1 鯱ノ里 0 1 神東山 2 0 大邱山 2 0
高登 0 1 玉ノ海 0 1 筑波嶺 0 1 出羽ノ花 0 1
十三錦 0 1 巴潟 1 0 幡瀬川 0 1 磐石 0 1
番神山 1 0 肥州山 0 1 冨士ヶ嶽 1 0 藤ノ里 0 2
松ノ里 0 1 陸奥ノ里 0 1 八方山 0 1 倭岩 1 1
大和錦 2 2 竜王山 2 0 両國 1 0 和歌嶋 3 0

改名

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改名歴なし [3]

出典

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010113182500/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19380102.htm
  2. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p25
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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