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倭岩英太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

倭岩 英太郎(やまといわ えいたろう、1910年7月6日 - 1982年12月2日)は、福岡県福岡市出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は中村 英太郎。身長176cm、体重120kg。

経歴

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1926年1月場所、出羽海部屋から初土俵、1932年1月に十両昇進をはたした。ところが、場所前に勃発した春秋園事件のために協会を脱退、関西角力協会に所属する。関西協会では関脇まで昇進し、1937年の解散まで土俵をつとめた。解散後、再び出羽海部屋に戻り、1938年1月場所に幕下格で復帰、5月には再十両、1939年5月場所には新入幕をはたした。だがその場所高登との対戦で右ひざを負傷し途中休場、それが尾をひき、結局最高位は新入幕の場所の東前頭13枚目、幕内在位も6場所に終わり、1944年1月場所限りで廃業した。

主な成績

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  • 幕内成績 33勝45敗12休

場所別成績

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倭岩 英太郎
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1926年
(大正15年)
(前相撲) x 新序
0–1 
x
1927年
(昭和2年)
東序ノ口19枚目
4–2 
東序ノ口19枚目
0–1 
西序二段41枚目
5–1 
東序二段54枚目
 
1928年
(昭和3年)
東三段目42枚目
4–2 
東序二段35枚目
5–1 
東三段目19枚目
4–2 
東三段目19枚目
0–1 
1929年
(昭和4年)
東幕下31枚目
3–3 
東幕下31枚目
4–2 
東幕下15枚目
2–4 
東幕下15枚目
4–2 
1930年
(昭和5年)
東幕下15枚目
5–1 
東幕下15枚目
4–2 
東幕下4枚目
2–4 
東幕下4枚目
2–4 
1931年
(昭和6年)
西幕下13枚目
3–3 
西幕下13枚目
4–2 
西幕下5枚目
3–3 
西幕下5枚目
5–1 
1932年
(昭和7年)
西十両8枚目

脱退
 
x x x
1933年
(昭和8年)
x x x x
1934年
(昭和9年)
x x x x
1935年
(昭和10年)
x x x x
1936年
(昭和11年)
x x x x
1937年
(昭和12年)
x x x x
1938年
(昭和13年)
幕下付出8枚目
10–3 
x 西十両10枚目
10–3 
x
1939年
(昭和14年)
東十両2枚目
9–4 
x 東前頭13枚目
3–8–4 
x
1940年
(昭和15年)
西前頭20枚目
6–7–2 
x 東十両4枚目
9–6 
x
1941年
(昭和16年)
東前頭18枚目
8–7 
x 東前頭18枚目
8–7 
x
1942年
(昭和17年)
西前頭14枚目
6–9 
x 西前頭19枚目
2–7–6 
x
1943年
(昭和18年)
西十両8枚目
7–8 
x 西十両11枚目
7–4–4 
x
1944年
(昭和19年)
東十両7枚目
引退
5–10–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青葉山 3 2 旭川 1 0 大熊 0 1 大潮 1 0
小戸ヶ岩 1 2 桂川 2 1 金湊 0 2 清美川 1 1
九ヶ錦 1 2 源氏山 0 1 小嶋川 1 1 小松山 2 0
佐賀ノ花 1 1 佐渡ヶ嶋 2 0 鯱ノ里 2 1 高登 0 1
楯甲 0 2 鶴ヶ嶺 1 4 照國 0 1 輝昇 0 1
冨ノ山 0 1 巴潟 1 1(1) 錦谷 1 0 幡瀬川 2 0
盤石 0 1 番神山 1 0 備州山 1 2 藤ノ川 0 1
冨士ヶ嶽 0 2 二瀬川 0 3 双見山 2 1 松浦潟 0 2(1)
若潮 1 2 若瀬川 1 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。

参考文献

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  • 『大相撲星取大鑑』昭和編第2巻(医聖社)