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佐渡ヶ嶌林蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐渡ヶ嶋林蔵から転送)

佐渡ヶ嶌 林蔵(さどがしま りんぞう、1909年10月5日 - 1955年3月17日[1])は、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身で浅香山部屋井筒部屋に所属した力士。本名は佐々木 林蔵。182cm、98kg。最高位は西前頭12枚目。

経歴

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1933年1月初土俵。軍隊を終えた後だったため、23歳と遅い入門だった。入門した浅香山部屋が同年7月師匠(元横綱三代目西ノ海)の急逝により閉鎖されたため、井筒部屋に移籍した。左四つの吊り寄りが得意であったが、けたぐりの飛び道具もしばしば見せた。熱心な稽古の甲斐があって1939年1月十両昇進、1940年5月新入幕を果たし、翌1941年1月には最高位となる西前頭12枚目に昇進し、横綱男女ノ川と大関五ッ島を倒す殊勲を演じたものの4勝11敗と大きく負け越した。結果的にこの男女ノ川戦が唯一の横綱戦となったため、対横綱戦勝率10割の珍記録を持っている。その後1942年応召、1943年5月に復帰したが出場せず廃業し、栃木で余生を送り1955年に45歳で没した。

成績

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  • 幕内5場所(応召された1942年除く)17勝28敗30休
  • 通算18場所88勝78敗30休1分
  • 金星1(男女ノ川から)

場所別成績

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佐渡ヶ島林蔵
春場所 夏場所
1933年
(昭和8年)
(前相撲) 東序ノ口12枚目
4–2 
1934年
(昭和9年)
西序二段22枚目
3–3 
西序二段8枚目
5–1 
1935年
(昭和10年)
東三段目14枚目
3–3 
東三段目12枚目
3–3 
1936年
(昭和11年)
東三段目7枚目
4–2 
東幕下21枚目
7–4 
1937年
(昭和12年)
東幕下7枚目
6–5 
東幕下3枚目
5–8 
1938年
(昭和13年)
東幕下11枚目
8–5 
東幕下筆頭
4–3 
1939年
(昭和14年)
西十両14枚目
8–5 
西十両6枚目
7–7
1分
 
1940年
(昭和15年)
西十両4枚目
11–4 
東前頭18枚目
8–7 
1941年
(昭和16年)
西前頭12枚目
4–11
西前頭14枚目
5–10 
1942年
(昭和17年)
東前頭19枚目

応召
 
x
1943年
(昭和18年)
x 東前頭19枚目
引退
0–0–15
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
安藝ノ海 0 1 綾昇 0 1 綾若 1 0 五ツ嶋 1 0
笠置山 0 1 鹿嶋洋 0 1 九州山 0 1 駒ノ里 0 1
相模川 0 2 櫻錦 0 1 四海波 1 1 神東山 1 1
大邱山 2 1 武ノ里 1 0 出羽湊 0 1  十三錦 1 1
豊嶋 0 1 藤ノ里 0 2 前田山 0 1 増位山 0 2
松ノ里 0 3 男女ノ川 1 0 陸奥ノ里 0 1 八方山 1 0
倭岩 0 2 大和錦 3 0 龍王山(竜王山) 1 0 両國 0 1

改名

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  • 改名歴なし[2]

出典

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 97頁
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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