佐渡ヶ嶌林蔵
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佐渡ヶ嶌 林蔵(さどがしま りんぞう、1909年10月5日 - 1955年3月17日[1])は、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)出身で浅香山部屋、井筒部屋に所属した力士。本名は佐々木 林蔵。182cm、98kg。最高位は西前頭12枚目。
経歴
[編集]1933年1月初土俵。軍隊を終えた後だったため、23歳と遅い入門だった。入門した浅香山部屋が同年7月師匠(元横綱三代目西ノ海)の急逝により閉鎖されたため、井筒部屋に移籍した。左四つの吊り寄りが得意であったが、けたぐりの飛び道具もしばしば見せた。熱心な稽古の甲斐があって1939年1月十両昇進、1940年5月新入幕を果たし、翌1941年1月には最高位となる西前頭12枚目に昇進し、横綱男女ノ川と大関五ッ島を倒す殊勲を演じたものの4勝11敗と大きく負け越した。結果的にこの男女ノ川戦が唯一の横綱戦となったため、対横綱戦勝率10割の珍記録を持っている。その後1942年応召、1943年5月に復帰したが出場せず廃業し、栃木で余生を送り1955年に45歳で没した。
成績
[編集]- 幕内5場所(応召された1942年除く)17勝28敗30休
- 通算18場所88勝78敗30休1分
- 金星1(男女ノ川から)
場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | |||||
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1933年 (昭和8年) |
(前相撲) | 東序ノ口12枚目 4–2 |
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1934年 (昭和9年) |
西序二段22枚目 3–3 |
西序二段8枚目 5–1 |
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1935年 (昭和10年) |
東三段目14枚目 3–3 |
東三段目12枚目 3–3 |
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1936年 (昭和11年) |
東三段目7枚目 4–2 |
東幕下21枚目 7–4 |
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1937年 (昭和12年) |
東幕下7枚目 6–5 |
東幕下3枚目 5–8 |
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1938年 (昭和13年) |
東幕下11枚目 8–5 |
東幕下筆頭 4–3 |
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1939年 (昭和14年) |
西十両14枚目 8–5 |
西十両6枚目 7–7 1分 |
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1940年 (昭和15年) |
西十両4枚目 11–4 |
東前頭18枚目 8–7 |
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1941年 (昭和16年) |
西前頭12枚目 4–11 ★ |
西前頭14枚目 5–10 |
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1942年 (昭和17年) |
東前頭19枚目 – 応召 |
x | ||||
1943年 (昭和18年) |
x | 東前頭19枚目 引退 0–0–15 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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安藝ノ海 | 0 | 1 | 綾昇 | 0 | 1 | 綾若 | 1 | 0 | 五ツ嶋 | 1 | 0 | |||
笠置山 | 0 | 1 | 鹿嶋洋 | 0 | 1 | 九州山 | 0 | 1 | 駒ノ里 | 0 | 1 | |||
相模川 | 0 | 2 | 櫻錦 | 0 | 1 | 四海波 | 1 | 1 | 神東山 | 1 | 1 | |||
大邱山 | 2 | 1 | 武ノ里 | 1 | 0 | 出羽湊 | 0 | 1 | 十三錦 | 1 | 1 | |||
豊嶋 | 0 | 1 | 藤ノ里 | 0 | 2 | 前田山 | 0 | 1 | 増位山 | 0 | 2 | |||
松ノ里 | 0 | 3 | 男女ノ川 | 1 | 0 | 陸奥ノ里 | 0 | 1 | 八方山 | 1 | 0 | |||
倭岩 | 0 | 2 | 大和錦 | 3 | 0 | 龍王山(竜王山) | 1 | 0 | 両國 | 0 | 1 |
改名
[編集]- 改名歴なし[2]
出典
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 97頁
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709