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小幡篤次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小幡 篤次郎
おばた とくじろう
肖像写真 (中津市歴史民俗資料館蔵)
生年月日 1842年7月15日
天保13年6月8日
出生地 日本の旗 豊前国中津藩殿町
大分県中津市殿町)
没年月日 (1905-04-16) 1905年4月16日(62歳没)
出身校 慶應義塾
所属政党 懇話会
称号 勲四等瑞宝章
親族 弟:小幡甚三郎教育者
曾孫:桜井順作曲家作詞家

在任期間 1890年9月29日 - 1905年4月16日
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小幡 篤次郎(おばた とくじろう、1842年7月15日(天保13年6月8日) - 1905年(明治38年)4月16日)は、幕末中津藩士。明治時代政治家貴族院議員)・教育者思想家慶應義塾長小幡甚三郎の兄。号は箕田

生い立ち・経歴

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福沢諭吉・小幡篤次郎共著『学問のすゝめ』初編、明治5年2月(1872)

1842年(天保13年)、豊前国中津藩殿町(現在の大分県中津市殿町)に、中津藩家老小幡氏の中津藩士で、供番元締郡奉行を務める小幡篤蔵の次男として生まれる。幼時から父に四書五経を習い、中津藩の藩校進脩館(しんしゅうかん) で藩儒・野本真城野本三太郎、藩士・古宇田姑山らに就き漢学を学び、教頭となるが、1864年(元治元年)、福澤諭吉の勧めで江戸に出る。江戸では福澤の塾に入って英学を学び、塾長を務める(1866年(慶応2年)から1868年(慶應4年/明治元年)まで)。また、江戸幕府の教育機関である開成所で弟・甚三郎とともに英学教授手伝にもなった。

一方、旧臣の立場から奥平家の資産運用や財政改革に相談役として深く関与した。最後の藩主であった奥平昌邁の時代には、都会暮らしの奢侈から資産を減らすばかりの家計を助けることは難しかったが、次代の奥平昌恭の頃には徐々に家計も好転。1909年(明治42年)には、昌恭を欧米に漫遊の旅に出すことに貢献した[1]

1868年出版の著書『天変地異』は、雷、地震、彗星、虹といった自然現象について、「婦人小児の惑を」解くためのわかりやすい科学的解説を与えた本である。当時広く信じられていた陰陽五行思想を退け、近代的な科学知識を広めようとした本で、明治時代初めの科学啓蒙書ブームの先頭を切った。学制発布時には、小学校の教科書にふさわしい本の一つとして挙げられた[2]

1876年(明治9年)の東京師範学校中学師範科が創立される際には、その校務に参画。同年、ヨーロッパを歴遊しアメリカを経て帰朝する。1879年(明治12年)には初の東京学士会院会員に選ばれ、翌年には交詢社創立に参与して幹事に推挙される。1890年(明治23年)9月29日[3]、学識者として貴族院議員に推される。貴族院内部では、谷干城三浦安山川浩と共に懇話会に所属。貨幣制度調査委員となり、日本郵船の役員を兼ねる。勲四等瑞宝章を受ける。

その前年1889年(明治22年)10月、病に伏せった小泉信吉の代理として慶應義塾長の代理となり、1890年3月には重ねて慶應義塾長となる(1897年(明治30年)10月まで)。

1898年(明治31年)4月慶應義塾副社頭に、さらに福澤が亡くなった1901年(明治34年)には社頭となって慶應義塾の中心人物となった。晩年になり死期が近づくと、蔵書の半分を旧宅地とともに故郷・中津に寄附し、図書館を設立するよう指示(蔵書の残り半分は慶應義塾に寄附)。これが現在の中津市立小幡記念図書館の基となった。

1905年(明治38年)4月16日、病気のため死去。享年64。

著書

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  • 英学者として、1868年(慶應4年/明治元年)に、甚三郎とともに『英文熟語集』を編集・出版。その後も数冊の翻訳書をものす。
  • また、『天変地異』『博物新編補遺』など科学啓蒙書を著して好評をはくし、科学知識の普及に貢献した。
  • 学問のすゝめ』初編。福澤と共著した。
  • 他にも新聞「時事新報」の創刊に尽力した。

著作集

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  • 小幡篤次郎著作集編集委員会 編『小幡篤次郎著作集』 第1巻、福澤諭吉協会、2022年3月。ISBN 978-4-7664-2820-9 
    • 天変地異 全
    • 博物新編補遺 上
    • 博物新編補遺 中
    • 博物新編補遺 下
    • 生産道案内 上 
    • 生産道案内 下
    • 英文熟語集 全(影印)
  • 小幡篤次郎著作集編集委員会 編『小幡篤次郎著作集』 第2巻、福澤諭吉協会、2023年3月。ISBN 978-4-7664-2876-6 
    • 西洋各国銭穀出納表
    • 上木自由之論
    • 弥児氏宗教三論 第壱編
    • 弥児氏宗教三論 第弐編
    • 弥児氏宗教三論 未刊草稿(一神論)[4]
    • 議事必携
    • 諸文集 一 明治二年―明治十一年

脚注

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  1. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、499-500頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  2. ^ 鳥越信・編『たのしく読める日本児童文学』(戦前編)、ミネルヴァ書房、2004年、4-5頁。
  3. ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
  4. ^ 弥児氏=ジョン・スチュアート・ミル

関連項目

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外部リンク

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