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小松塁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小松 塁
名前
愛称 ルイ
カタカナ コマツ ルイ
ラテン文字 KOMATSU Rui
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-08-29) 1983年8月29日(41歳)
出身地 高知県安芸市
身長 190cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 高知追手前高校
2002-2005 日本の旗 関西学院大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2011 日本の旗 セレッソ大阪 146 (41)
2006 日本の旗 V・ファーレン長崎 0 (0)
2012 日本の旗 川崎フロンターレ 12 (0)
2013 日本の旗 大分トリニータ 5 (1)
2013-2014 日本の旗 V・ファーレン長崎 42 (8)
2015-2017 日本の旗 ギラヴァンツ北九州 88 (22)
通算 293 (72)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小松 塁(こまつ るい、1983年8月29日 - )は、高知県出身の元プロサッカー選手で、サッカー指導者。セレッソ大阪スポーツクラブ所属。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。

来歴

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関西学院大学時代の2005年ユニバーシアード日本代表に選ばれ、優勝に貢献。

2006年に前年特別指定選手として登録されていたセレッソ大阪に入団したが、シーズン途中の10月に全国地域リーグ決勝大会突破とJFL昇格を目指していた当時Kyuリーグ所属のV・ファーレン長崎期限付き移籍する。全国地域リーグ決勝大会では小松と同様に期限付き移籍で加入した林祐征とツインタワーを組んでいた。

2007年はC大阪に復帰。当初は出場機会に恵まれなかったものの、シーズン途中から監督に就任したレヴィー・クルピがFWとしての総合的な能力の高さに着目してレギュラーに抜擢、スタメンに定着。古橋達弥と2トップを組んで、古橋の変幻自在な動きをカモフラージュするかのような動きを見せて、2人で合計30得点(古橋:18得点、小松:12得点)を挙げた。12得点はチーム2位の数字である。

2008年も当初は出場機会に恵まれなかったが、第8節のロアッソ熊本戦でスタメンに復帰すると、第9節の横浜FC戦から5試合連続でゴールを挙げるなど、スタメン起用に応えて成果を挙げている。2008年シーズンでは、古橋の負傷もあり、小松が1トップとなり、左に香川真司、右に柿谷曜一朗ないしは白谷建人、後半以降は乾貴士がシャドープレーヤーとなるフォーメーションを組むことが多かった。時として、森島康仁カイオとツインタワーを組むこともあった。しかし10月のフォーメーション変更後は、カイオにポジションを奪われ、再び控え暮らしが続くようになった。それでも、香川と並んで、チームトップタイの16得点を稼いだ。

2009年も前年末同様の1トップ2シャドーが基本フォーメーションであった。この為、香川・乾の2シャドーを活かすことに徹するカイオと異なり、自ら得点を狙おうとする意識が仇となり、カイオとのスタメン争いで苦戦することとなった。

2012年川崎フロンターレに移籍。リーグ開幕戦から数試合でスタメン起用されるも結果を残すことができず、監督が相馬直樹から風間八宏に交代した後は殆ど出場機会を与えられなかった。

2013年大分トリニータに移籍[1]7月22日、長崎へ2度目の期限付き移籍[2]

2015年にはギラヴァンツ北九州へ完全移籍。J2リーグでは、前半戦で通算8ゴールを挙げ、第21節から9試合連続ゴールなしだったものの、第30節から第41節の12試合中9試合で計10ゴール 、特に第37節からは5試合連続計6ゴールを挙げ[3]、自身の年間ゴール数最多記録となる年間18ゴールで、同シーズンのJ2リーグゴールランキング3位、日本人選手ではトップとなった。しかし翌2016年は、33試合に出場しながら4ゴールと激減、チームもJ2最下位でJ3降格となる。

2017年は、天皇杯2回戦清水エスパルス戦でチーム唯一のゴールを決めたものの、J3リーグ戦では14試合に出場しながらゴールを挙げられず、同年11月22日、クラブから契約満了により翌年の契約を更新しないことが発表された[4]。同年12月にはJリーグ合同トライアウトに出場した[5]が、新たな所属先を決めることは無かった。

2018年1月30日、現役続行を断念し引退を発表。併せてセレッソから分離された一般社団法人であるセレッソ大阪スポーツクラブに入団し、スクールコーチに就任することが発表された[6]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 C大阪 15 J1 1 0 0 0 - 1 0
長崎 38 九州 0 0 - - 0 0
2007 C大阪 15 J2 32 12 - 2 0 34 12
2008 32 16 - 1 0 33 16
2009 35 6 - 1 0 36 6
2010 J1 23 2 5 2 1 0 29 4
2011 23 5 1 0 3 1 27 6
2012 川崎 17 12 0 2 0 1 0 15 0
2013 大分 9 5 1 2 0 - 7 1
長崎 34 J2 12 4 - 1 0 13 4
2014 40 30 4 - 3 1 33 5
2015 北九州 25 41 18 - 2 1 43 19
2016 33 4 - 0 0 33 4
2017 J3 14 0 - 1 1 15 1
通算 日本 J1 64 8 10 2 5 1 79 11
日本 J2 215 64 - 10 2 225 66
日本 J3 14 0 - 1 1 15 1
日本 九州 0 0 - - 0 0
総通算 293 72 10 2 16 4 319 78

※2005年は特別指定選手登録

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2011 C大阪 15 6 1
通算 AFC 6 1

代表歴

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指導歴

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脚注

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  1. ^ 小松 塁選手 川崎フロンターレより完全移籍加入のお知らせ”. 大分トリニータ (2013年1月8日). 2013年1月8日閲覧。
  2. ^ 小松 塁 選手 大分トリニータより期限付き移籍加入のお知らせ”. V・ファーレン長崎 (2013年7月22日). 2013年7月22日閲覧。
  3. ^ 天皇杯2試合1ゴールは含まず。
  4. ^ 契約満了選手のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年11月22日). 2017年11月22日閲覧。
  5. ^ 【一覧リスト】2017「Jリーグトライアウト」に107人参加 FW21人、MF40人、DF34人、GK12人に”. football-zone (2017年). 2022年12月12日閲覧。
  6. ^ 小松 塁 選手 現役引退 ならびに セレッソ大阪スクールコーチ就任のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2018年1月30日). 2018年1月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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